27.寝る間もない生活
ヨハネスは使い魔シュヴァンツを召還し、ドロテーアを中継して、仕事場でイライラして待っているであろうヘルベルトへ遅刻の理由として「ミッヘル一味に襲われたので魔女に助けてもらい、警備兵に引き渡して証言するから」と伝えるように依頼した。ドロテーアを介したのは、彼女にも、さらにはフリッツにも今回の2度にわたるフリッツの襲撃事件を知ってもらいたいからだ。もちろん、ミッヘルがフリッツを守銭奴呼ばわりにしていたことも。
フェルナンダの方は、ドラゴンの使い魔ハインリッヒに警備兵を呼んできてもらい、ミッヘルたちの逮捕に立ち会った。それからヨハネスを連れて、二人で証言をしに警備兵の詰め所まで行ったが、詳細に聴取されたので夕刻までかかってしまった。
緯度が高いので、夕方といってもまだ空は明るい。流れる雲を見上げて、ヨハネスがつぶやいた。
「本当に、シュヴァルツコップさんは貧しい子供たちを助ける目的で金持ちを狙ったのかなぁ」
「もしそうだとしても、犯罪には変わりない。刑期を短くするために嘘をつくとか壮大に誇張するとか、卑怯な悪人を何人も見てきた」
「嘘ですか……。ああ、なんか、そんな気がしてきました、なぜって、僕みたいな身分の低い人間を蔑む人が、本当に貧しい子供にお金を渡すのか、って思うんですよ」
「だろう? ……それはそうと、うちへ寄ってみるか?」
「今からですか? その前に、ヘルベルトさんに謝らないと……って夕方じゃ、帰ったかな?」
「じゃあ、予定はないな?」
「風呂に入らないと」
「教えを請う魔女の家に行くよりも風呂が大切なのか?」
返答に窮したヨハネスは、黙ってフェルナンダの後を付いていった。
フェルナンダの家は、町の外れにある平屋の小屋だった。フリッツの家からは歩いて20分くらいの距離だ。建物の見かけはみすぼらしいが、中に入ると魔法の道具やら書物が一杯で、高級家具も立派な暖炉もある。驚いたのは、チェンバロがあったことだ。
「ああ、これか? 私は、魔法と音律には関係があると思って、研究のために手に入れたのだ」
魔女ヒルデガルトも同じことを言っていた。そのことをフェルナンダへ伝えると「ヒルデガルトの名前は知らないが」と前置きし、
「ヨハネスの師匠が同じ立場を取っているということは、ヨハネスと私は同じ流派だな。教えるのは楽かも知れない」
そう言って笑いながら、鍵盤に手を置いてポロンポロンと鳴らす。
「あっ、音程が合っていません」
「ほほう。絶対音感を持っているのか?」
「国によってピッチは違いますが、それはどこの国にもないAの音です」
ヨハネスはフェルナンダと交代して、ぐらぐらする椅子に腰掛け、最低音から最高音まで全ての音を弾いてから苦笑した。
「ほとんどが、ずれています。調律をしましたか?」
フェルナンダは頭を掻いた。
「ちょうりつって何?」
「弦を調整することです。では、これから全部直します」
かなりの時間をかけてヨハネスが調律を終えると、外はすっかり暗くなっていた。
「バッハ一族を名乗るからには、もちろん弾けると思うが、何か弾いて欲しい」
フェルナンダの要望に、ヨハネスは昨日弾いたテレマンの曲を披露した。弾き終わると、彼女は目を輝かせて感嘆する。
「この楽器がそんな音が出るとは思わなかった」
「買った時に戻ったと思いますが」
「手に入れたとは言ったが、買ったのではない。拾ったのだ」
「なるほど……」
「ヨハネスの演奏は、力強く、情熱的だ。若さが溢れ、躍動的で、聞く者に迫ってくる。実に素晴らしい!」
「ありがとうございます」
「ただ、時には荒削りな感じもする。楽器のせいか……」
「いえ、私が未熟だからです」
「魔法も拙劣で荒っぽい。磨けば、かなり上達すると思う」
「頑張ります!」
「その心意気だ」
フェルナンダは破顔微笑した。
翌日からは、ヨハネスの多忙な一日が始まった。
朝食の後、クララとアンゲリカにチェンバロを教授。
昼食の後、ヘルベルトと分担して品物の仕入れと得意先への納入の肉体労働。
夜食の後は、フェルナンダの家で魔法の練習。
深夜に帰宅して、1日1曲という日課のような作曲。
マナの消費を減らすため、月が出ているときは魔法の照明は使わず、月明かりを頼りに筆を進めた。睡眠は長くて3時間程度しかない。寝ても、楽想が湧いてきて起きてしまうこともしばしばだ。
この生活が1週間続いた頃、新たなチャンスが巡ってきた。




