26.魔女の機転
魔女をナイフで脅すミッヘルを見上げていたヨハネスは、最初は、仲間割れが始まったと思った。ありがちな、金を巡るゴタゴタだ。しかし、支払いに固執する仲間を脅すにしては、いきなりナイフを突きつけて、しかも自分も道連れに殺すはないだろう。そのような希薄な仲間関係から察するに、魔女はおそらく雇われている。彼女は「単なる仲間ってとこさ」と言ったが、雇われたことを隠すためだろう。
ならば、危機に陥った彼女を助けなければならない。ここで、体が動くかどうかを調べるため、手足に力を入れてみたが、自分の意志では動かないことがわかった。動くのは目だけ。どうやら、ほぼ完全に魔女の操り人形になっているようだ。なので、使い魔シュヴァンツを呼び出そうと考える。
ところが、なぜか声が出ない。召還の言葉をかけないと、シュヴァンツは現れないから、これでは万事休すだ。駄目元で、心の中で『来い。シュヴァンツ』と念じても無反応。
自分の無力ぶりを呪っていると、拳を握りしめていることに気づいた。体が動かないはずなのに、何が起きたのだろうと思って、握っている手を開いてみると、指が動く。まさかと思って、手足を恐る恐る動かすと、動いた。魔女が助太刀を求めるために魔法を解いたのに違いない。
ヨハネスはソッと手下の方へ顔を向ける。すると、二人とも自分の喉元に両手を当てて苦しがっていた。見えない縄に首を絞められていて、それを解こうとでもしているようだ。
今度は後ろから、カランと金属が石畳で跳ねた音がした。ナイフがミッヘルの手から滑り落ちたのだ。彼も手下と同じく、自分の喉に両手を当てている。
魔女がフードの下で唇を緩ませて、ヨハネスの方へ歩み寄る。
「とんでもない目に遭わせて悪かったね。もう立てるから大丈夫だよ」
言い終えると、ドサッドサッドサッと三人が連続して倒れ込んだ。ヨハネスは、身近に起きた事態に震え上がり、反射的に立ち上がった。
「これは、どういうことですか!?」
「魔女を利用した下層階級の連中を懲らしめたのさ」
「まさか、殺すのですか?」
「私とお前を殺そうとしたんだぞ? ここで温情を与えると、これ幸いと殺されることになるが、よいのか?」
「でも、人殺しはダメです!」
「どこまでもおめでたい奴だな」
「助けてもらったとは思いません。あなたもこの男たちと同罪です」
魔女は、唇を尖らせた。
「そうは思わない。最初、こいつ――ミッヘル・シュヴァルツコップから雇われたときは『悪魔に取り憑かれて人を惑わす音楽を奏でる男がいて、そいつが俺の金を盗んだから、取り返すために捕らえて連れてきてくれ』と言われた。これで、なぜ同罪になる?」
「シュヴァルツコップさんがですか!? そんな話は、デタラメもいいところだ!」
「こいつから『捕まえるのに苦労するだろうから20タレル出す』と言われて、報酬の半分を渡された。捕まえたら残りの半分を支払うという約束で引き受けた。こっちは、警備兵からも依頼される悪党狩り専門なので、何もおかしいとは思わなかった。ところがだ」
魔女が、痙攣するミッヘルを見下ろす。
「捕まえた相手に殴る蹴るが始まり、金を返せの言葉もなく、『女中から聞いた』だの『安く見られたものだ』だの、おかしな事を口にする。それに骨を折れという話。これは、どう考えても遺恨から来る私的刑罰だ。これは、見過ごせない。だから――」
ミッヘルからヨハネスの方へ顔を向けた魔女は、フードに隠れていた双眸が一瞬だけ見えて、金色の光を発した。
「お前を助ける機会を作るため、支払いを今すぐ求める話を持ち出した。そうしたら、最初から払う気がないと本性を現した。挙げ句の果てに、短刀で脅す始末」
ヨハネスは、苦しむ三人を順繰りに見て魔女へ嘆願する。
「理由はわかりました。同罪ではないと理解します。でも、正当防衛だとしても、このままでは三人とも死んでしまいます!」
「悪党狩りをしているとわかるが、隙を見せたらこちらの命が危ない」
「それでもです! 殺してはいけません!」
ヨハネスがグッと迫るので、魔女は肩をすくめた。
「そこまで言うなら、こうしよう」
そう言って魔女が指を鳴らすと、三人がぐったりして、空中から忽然と現れた縄にぐるぐる巻きにされた。
「まずは捕縛した。で、どうする?」
「警備兵に引き渡します。私が証言しますので、あなたも証言してください」
「……まあ、いいだろう。その先は、どうする?」
「先とは?」
「こいつらが牢獄から出て来るのは1週間後くらいだ。もうしません、という約束をすると思えんが。間違いなく、復讐しに来るぞ」
「魔法で撃退します。もちろん、正当防衛で」
「ほう。どんな魔法が使える?」
ヨハネスは、炎の矢を出して見せた。魔女は、感心した様子もなく、
「それを私にぶつけてみよ」
そう言って、体のここにという意味で、胸をポンポンと叩く。
「本当に、そこに投げて大丈夫ですか?」
「構わない。全力で来い」
ヨハネスは、人にめがけて投げることに若干のためらいを覚えたが、手を抜くと失礼と思い、魔女めがけて力一杯投げた。
ところが、炎の矢は魔女の手前で消滅した。目を丸くするヨハネスがおかしいのか、フードの下の唇がほころんだ。
「手を抜いたか?」
「いえ、全力です」
「私がお前なら、今のお前は赤子と同じだ。話にならん。魔法が使える悪人に当たらないことを祈るのだな」
しょげるヨハネスに、魔女が近づいてきて声をかけた。
「そうは言っても、素質はありそうだ。私のところで魔法を学ぶか?」
目の前にいるのは、ヒルデガルトとは比べものにならないくらい強い魔女。学びたいが、時間がないヨハネスは答えに窮した。
「普通、喜んで弟子入りするものだが、その顔は時間がないことに悩んでいるな?」
「はい……」
「夜だけでもいいぞ」
「お願いできますか?」
「いいだろう」
魔女はフードを上げた。現れたのは、高い鼻と金色の目と赤毛が特徴の若い女性。ハット息を飲むほどの美女だった。
「私は、フェルナンダ・ヴァイス。魔女とは思えぬ名前だろう? お前は?」
「ヨハネス・ゼバスティアン・バッハです。フリッツ・ヴァルトシュタイン様のところで、音楽を教えて荷物の搬入とかをしています」
バッハと聞いて、フェルナンダは「なるほど、音楽師か」と言ってヨハネスの指を見る。
「ヨハネス。名前を変えてはどうか? ヨハン・ゼバスティアン・バッハとかに」
「なぜですか?」
「その方が吉となる名前だと思うからだ」
吉となると言われると、そちらに気持ちが傾く。でも、『師匠』と慕うドロテーアがなんて言うか。
「いえ、ヨハネスのままでいいです」
「欲のない奴よ」
フェルナンダは、静かに笑った。




