表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界風ヤング・バッハ(第1部)  作者: s_stein
第1章 貧困からの脱出
14/40

13.初めての宿泊

 夜に宿場町へ到着したヨハネスたちは、早速、目的の安宿へ向かった。この小さな町はもちろん他の町と同じく街灯はなく、どの家も(あか)りが消えている。ただ、遠方から歩いてやって来る旅人が歩くスピードと時間計算を誤って夜に到着することもあるので、宿屋は夜の時間でも――宿屋の主人が起きていればの話だが――扉を叩くと入れてくれる。ただし、何時に来ようとも一人一泊食事なしで1銀グロシェン。ちなみに、30銀グロシェンが1タレルで、それは住み込み食事付きの女中の月給と同じだ。


 月明かりと町の出入り口からの方角や建物の影を頼りに、昔立ち寄ったことがある宿屋を探し当てて扉をノックすると、しばらくしてランプを持った老人がもう片方の手に棍棒を携えて扉を開けた。


「すみません、こんな遅くに。二人で泊まりたいのですが、2つ空いていますか?」


「1つだけ空いてるが、そちらの御仁は……」


 ランプをドロテーアの方へ高く掲げた老人は、急に顔を崩して「ヒッヒッヒッ」と笑い、「部屋が1つで良かったの、お若いの」と言って、頬を染めるヨハネスに追い打ちをかける。


 宿のカウンターに案内されて、ランプの明かりを頼りにドロテーアが袋から小銭の1ペニヒ銅貨を数えながら12枚並べて「これで一人分です」と言うと、老人がため息をついた。計算は間違っていない。12ペニヒで1グロシェンだから。


 だが、二人はピンときた。この顔は良貨の方を求めている顔だ。案の定、老人は困った顔つきで身振りを交えて要求する。


「お嬢ちゃん。1銀グロシェンの銀貨で払ってくれないかの? それも、良貨の方で。もし悪貨の1銀グロシェンなら、一人1銀グロシェンと3ペニヒ。もし全部ペニヒの銅貨なら18枚。イヤなら、他を当たってくれ」


 今までそんなことを一度も言われたことがないので、納得出来ないヨハネスが食い下がる。


「ご主人。前は良貨でなくても泊めてくれましたよね? それが――」


 老人の目は、銀貨に縁のない貧乏人を哀れむような目つきになった。


「お若いの。こないだの戦争で、混ぜ物を増やした銀貨が幅を利かせるようになってだね……って、知らないのもやむを得ないかの。この辺りでは物価も高騰してだね――」


 ドロテーアは頷いて、老人の言葉を遮るように「わかりました、一人18枚で」と言って6枚を袋から取り出した。結局、36枚渡して二人は1つの部屋を確保した。ヨハネスは5割増しの支払いで損した気分になったが、体が芯まで冷える夜空の下でドロテーアを守りながら一夜を過ごす自信がないから、諦めるしかなかった。


 ランプを持った老人を先頭に部屋へ入ると、一人用のサイズの薄汚いベッドが2つあった。しばらく老人にいてもらい、明かりを頼りに壁際へ楽器を置いて、入り口付近のベッドをヨハネスが陣取った。老人が出て行くと、部屋は闇に包まれた。


 ヨハネスはベッドの上であぐらをかいて腕を組む。


 今日初めて出会った女の子と、夜にはもう同じ部屋で寝るのだから、ヨハネスの鼓動は首筋にも耳にも伝わり、体中が熱くなる。母と四人の姉とこういう宿を取ったときは、誰がベッドに寝るか――負けると床――を競ったもので、その競争の後、人前で平然と全裸になる姉たちを見て、何とも思わなかった。それが、暗闇の中で、黒ローブを着てベッドに腰掛けているドロテーアの姿を想像するだけドキドキするのだから、情けない。


 衣擦れの音がする。彼女がローブを脱いで、手探りで毛布を広げて被っているのだろう。音の具合から、その一挙一動を想像してしまう。平民の中流未満は多くの場合下着を着けないから、彼女もそうなのだろうかとか、貴族の末裔だから何らかは着用しているはずだとか、妄想が膨らみ、顔中の毛穴から湯気が出てくる気分になる。


 ヨハネスは右手で左の手首をつかむ。魔法を使って手のひらに明かりを灯すのを自制している真っ最中なのだ。と、その時――、


「師匠。もうお休みになりましたでしょうか?」


 体がビクンとして腰まで浮いてベッドをギシッと鳴らしたヨハネスだが、動揺を隠して答える。


「ああ」


「それはヘンかもしれません」


 ドロテーアが吹き出す。「眠っているか?」という問いに「眠っている」と返事しているようなものだから笑ったとも取れるが、別の意味にも取れる。「女子と同室でも平気で寝られるのか」という意味だ。『まさか、後者ではないよな?』と思っていると、


「師匠は、夜はすぐ眠れる方でしょうか?」


「いや、今日は寝ないよ。誰が侵入してくるかわからないから」


「見張り番でしょうか? 時々交代いたしましょうか?」


「大丈夫。安心してゆっくり寝ていて」


「師匠もです」


「……わかった」


 もちろん、安心させるための答えだ。この状況で眠れるはずがない。すぐ左横に女の子が横になっていて、ドキドキせずにいられようか。


 頭の中で、すぐ上の姉の全裸姿にドロテーアの顔が重なるので、首を振ってその妄想を打ち払う。すると、体を動かしたのでベッドがギシギシと音を立ててしまい、怪しいことをしているのかとドロテーアに疑われないか、不安になる。


 こんな毎日が続くのだろうかと思うと、汗が出る。


「師匠。眠れませんでしょうか?」


 いちいちドロテーアの声にビックリする自分が情けない。


「ね、眠らないようにしているだけさ。ベッドの音がうるさかったら、ごめん」


「師匠は、お優しい方です。これからも安心してついて行きます」


「ありがとう。よろしくね」


 ドロテーアの寝息が聞こえてきた頃、廊下に人の気配がないことを安心したヨハネスは、長く続いた緊張から疲れを覚え、こっくりこっくりと船を漕ぐ。


 時折、何かの拍子にハッと目が覚めるが、窓の外で風の音がするだけだ。


 そこへ、頭の中から新たな音楽が鳴り響く。高揚する気分にぴったりの早い2拍子である舞曲ブーレだ。新作がまた増えた。


 気分が少し落ち着いてくると、荘厳な3拍子の舞曲であるサラバンドの新作が聞こえてくる。


『ああっ……まっさらの楽譜が欲しい。紙片でもいい。僕の音楽を書き留めたい』


 500曲くらいは(そら)んじているヨハネスだが、次々と浮かび上がる自作の曲までは全てを記憶できない。未使用の楽譜はおろか、無地の紙ですら意外に高価で、それを買うにはもっともっと稼ぐ必要がある。


『何が起ころうとも、絶対に夢を叶えてみせる! 頑張るぞ!』


 天井に向けて拳を振り上げたヨハネスは、心の中で不退転の決意を持って叫んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ツギクルバナー
cont_access.php?citi_cont_id=746373233&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ