11.傲慢な専属音楽師
ヨハネスは、荷物を持って歩き始めると、うつむいて無言で付いてくるドロテーアの方に振り返った。
「しょげるなって。他人の縄張りにたまたま入ってしまっただけさ。いちいち立て看板が立っているわけでもないから、行ってみて店を広げてみないとわからないし」
目だけ上げたドロテーアが、また地面へ目を落とす。
「それはわかっていますが、誰でも自由に演奏出来るようにして競い合う方が、お互いの上達に良いと思うのですが……」
「町の人にもね。さっきの店主の言葉では、どうやら競争相手は下手くそっぽいし」
ヨハネスが吹き出すと、つられてドロテーアも笑った。
「それはそうと、なんで僕が魔法を使おうとしたことに気づいたんだい?」
「……それは、気配でわかります」
「もしかして、ドロテーアも魔法が使えるの?」
「それは……」
「言いにくそうだけど……まあいいや」
「喧嘩は止めてください」
「ああ。先に手は出さない。僕らみたいな身分は、出したら絶対に負けだし」
「いいえ。後先の問題ではなく、指を大切になさってください。怪我でもされたら、困りますから」
ドロテーアがヨハネスの手に目をやる。
「わかるよ。でもね――」
理不尽な理由で追い立てられる場面は、過去に何度も経験した。その時、父も母も抵抗しなかった。それが子供心に惨めで我慢ならない。それを口にしようとしたところ、
「どんな理由があっても、手を出さないでください」
ドロテーアの言葉は、おそらく自分自身あるいは一家に降りかかった何かから来ているのだろう。
「うん、わかった」
「ありがとうございます」
ヨハネスは、手に力を入れる。
「相手が手を出せないような身分に伸し上がってみせるさ」
「えっ?」
「まずは、あの連中を越えてやる」
ヨハネスは前方から近づいてきた音楽師たち五人組を睨み付けた。貴族の従者が着ているような服と帽子を被っていて、遠くから見ても、道を歩く平民たちと一目で区別が付く。あれが専属の音楽師たちに間違いない。
彼らは、汚い物を見たかのように、あからさまにイヤな顔をしてヨハネスたちを見る。ヨハネスが道を避けると、平行移動して立ち塞がった。ヴァイオリンを携えたリーダー格の男が口を歪めて言う。
「貴様ら、誰の許可を得てここに立ち入ったのだ?」
ヨハネスは頭を下げて、短いため息を吐く。
「申し訳ございません。道を間違えまして、今立ち去るところでございます」
内心は、『こんな奴らを越えてやる』とつぶやいている。
「ふん。貴様らのような薄汚い連中は、広場で演奏すると決まっておるだろうに。あっ、ただし、噴水で体を洗うなよ」
後ろにいた音楽師たちが嘲笑する。
「広場に戻れ。この先へは近づくな」
ということは、この先に領主の館があるはずだ。ヨハネスが「申し訳ございません」と頭を下げて回れ右をすると、タタタッと足音が近づいてきて尻を蹴られた。弾みで楽器を抱えたまま倒れ込む。遅れて、「キャッ!」と声がしてドロテーアが倒れ込んだ。
「おい、そこの店主。ネズミが二匹侵入した。塩でも撒いておけ」
ぶち切れたヨハネスだったが、ドロテーアの『喧嘩は止めてください』の言葉が頭の中で聞こえてきて、すんでの所で踏みとどまる。
二人がすぐに起き上がって逃げるように広場へ走る。程なくして、調子外れの演奏が二人の背中を押した。
この世界では、才能ではなく、全てが身分なのだ、とでも言いたげに濁った音が鳴り響く。
広場の噴水の横を通過するヨハネスは、舌打ちしてつぶやいた。
「あんな連中に負けてたまるか」
すると、ドロテーアがにこやかな顔を向ける。
「師匠は負けていません」
「演奏の技術はそうかも知れないけど――」
「身分のことでしょうか? いつか、師匠の演奏を聴いて感動する高貴な方が現れます。身分を越えた出会いが訪れます。それを信じて頑張りましょう」
「それには、僕だけじゃダメ。ドロテーアの協力が必要だよ。これからもよろしく」
「はい、師匠」
二人は尻の痛みも忘れて笑った。




