10.またも追放
ヨハネスは、幼い頃からこのような場面を何度も体験している。演奏するなら場所代を払え、と要求する連中だ。金があり余っているはずの貴族から下流の平民まで嵩に懸かるのだから始末に負えない。金がないと言おうものなら、出て行けと尻を蹴られる。貧乏人の弱みを握って金をむしり取る悪辣な行為に対して、父も母も要求通りに金を渡していたことが、幼いヨハネスでも腹立たしかった。
ならば、魔法を会得した今、こちらから戦いを挑むか? 否である。
これは、先に喧嘩した方が負け。そっちが先に仕掛けたと、自己防衛を主張するのが連中の常套手段である。
「おう。ここで演奏しようっていうのか? ああん?」
真ん中にいるリーダー格の男が口角を上げて言い放つ。薄汚れた身なりからは、三人とも下流の平民に見える。どう見ても、ごろつきの類いだろう。だとすると、ここで一暴れしても周囲の人が助太刀に入る可能性は少ないはずだ。先に喧嘩を仕掛けてくれれば、しめたもの。
ヨハネスは、急に、父母の体験をなぞる気が失せて、魔法で撃退することを考えた。相手の人数が多いしドロテーアも守らないといけないので、ここは使い魔シュヴァンツの召喚の準備だ。
ところが、背後に回り込んだドロテーアが「師匠。魔法は堪えてください」と耳打ちする。魔法の発動はおろか、使い魔の召喚もしていないのに、なぜ魔法を使おうとしていることがわかったのだろう。ギョッとしたヨハネスは、たじろいだ。
「貴様のような小汚い奴は失せろ。あくまで貴様が、だぞ」
「と、申しますと?」
こんなごろつき相手に丁寧語を使うのは口惜しいが、身分差故に致し方ない。
「女は置いていけ」
未体験の要求だ。父母がいたときは、「子供を置いていけ」なんて言われたことはなかった。当然拒否だが、激高して顔を真っ赤にするも、脳みそが沸騰して、なんて切り返せばいいのかわからない。
惨めだ。あまりに情けない。
「何とか言えよ。ふぬけ野郎」
リーダー格の左横にいた男がヨハネスへ駆け寄り、胸ぐらをつかんだ。
「指の骨を全部折ってやろうか? それとも、商売道具をバラバラにして竈にくべてやろうか? どっちもいやなら、女を置いていけ」
どうして、町の人は見て見ぬ振りをしているのだろう。何か弱みを握られているのだろうか。ヨハネスが、周囲に視線を送っていると――、
「お前たち! いい加減にしろ!」
三人の背後から誰かがそう言いながら駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。
「やっべぇ! 警備兵だ!」
振り向いた三人がバラバラの方向へ逃げていった。
「あいつらめ!」
若い警備兵が立ち止まって悔しがる。
ヨハネスが、すんでの所で助けに入ってもらったことを感謝すると、その警備兵は眉をひそめた。
「ここは流しの音楽師が来る所ではない! 今すぐ立ち去れ!」
なんだ、そっちのパターンか、とヨハネスは思ったが、素知らぬふりをして尋ねる。
「なぜでございましょうか?」
「貴様、そんなこともわからずに流しをやっているのか!? 知らないとは言わせないぞ!」
「いえ、今日から始めた者ですから。ここも今日初めて来ました」
もちろん、どちらも嘘である。
「専属の音楽師しか、ここで演奏できないのだ!」
「どうすれば専属の音楽師になれるのでしょうか?」
「役所に行って聞いてこい!」
聞かなくてもわかっている。領主のお抱えの楽団に入ることだ。こうやって追い返される場面は、幼い頃から何度か経験している。その度に、父も母も「仕方ない」とため息をついていたが、ヨハネスは納得していなかった。
お抱えになるには、まず多額の上納金が必要になる。腕前は二の次だ。おかしな話だが、帝国内ではそういう習慣なのだから仕方ない。だから、裕福な平民の子弟なんかは、簡単に入団できる。どんな演奏かは、推して知るべし。
警備兵が去るのを見送った後で片付けていると、そばで果物を売っていた店主が声をかけてきた。
「お前さんたち。さっき、広場で演奏していただろう?」
「ええ。聴いていてくださったのですか? ありがとうございます」
「お前さんたちなら、役所に行かない方がいい」
「なぜですか?」
「釣り合わないよ」
「どのようにですか?」
「ここじゃ言えないね。誰が聞いているかわかりゃしないし」
店主はガハハと笑った。




