覇破なるザイドラ・2
「やりやがったなザイドラァ!?」
私の怒りの咆哮。フィールドで出会いたくない女の名を叫び、衝撃で床を沈ませ、私というゾヌルフが上体を起こす。
勿論そんなことをすれば、両棲民用高層住宅が、ゾヌルフに押し付けていた建物の重量の約半分を跳ね退ける事になる。
建物全体から、危機感を煽る破砕音が聞こえる。金属が寸断される快音。コンクリートが崩れる音。樹脂の砕ける軽い音。ごちゃ混ぜにゾヌルフ耳に届いて、私は建物に致命傷を与えたと簡単に理解できた。
もう、長くは持たないだろう。
それでも、天井も床も何階層も崩壊させて、敵を迎撃するために私というゾヌルフを動かす空間を無理矢理作る。逃走は難しい。ザイドラは飛行している。
私は壁に近い部屋に住んでいた。攻撃が来た壁の向こう側は空中。これまでの行動で幾らか下がっているが、一町(約109m)と一八丈(約54m)もある高所。空中に飛び出すのは自殺行為で、上下のどちらか膂力で掘削して移動するのも隙だらけだ。
生存者に対する僅かな罪悪。平和な社会常識に対しての道徳心。それらは命の前に捨て去るしか私には選択しかない。崩壊を予感させる、建物の悲鳴と振動を全身で浴びた。
私がゾヌルフの中で、罪悪と背徳、未だ一万人の命感じる建物を崩壊させるという事実。それに僅かな怯みを覚えている間に、常に様々な体液と汚汁で滴り、常にジュクジュクとしている筈の【肥大した左腕】が、カラカラに乾いていく。
種族技能で遠隔操作されている、この状況で会いたくなかった女の肉体の一部であるドリルが、私というゾヌルフにとって大事で、致命的な【魔石:再生】を貫き砕いた上に、貪欲に私の命ごと血を啜っているのだ。
魔石破壊でゾヌルフの【肉体値】と【霊体値】が半分になった。
この二つはアバターのヒットポイントとマジックポイント兼任するゲージ。種族、職業の技能使用で消費されるエネルギーで、基本的にどちらかが零になればアバターは死ぬ。
高い効果を獲得するために、弱点として設定していた魔石の破壊。私というゾヌルフに様々なペナルティが発動する。ペナルティの一つで、ゾヌルフという私、自慢の再生能力が破壊された。
リスク付きの魔石の破壊は、司る能力の二四時間の消失を意味するのだ。
そして、このままでは二四時間も私の命は持たない。
私は三〇ある、ゾヌルフの顔についた【伸縮する腐肉の象鼻】を操り、ミイラ如く乾いたゾヌルフの左腕にギュルギュルと、狂ったように躍り暴れる五本のドリルごと腕に巻きつかせた。
そのまま巨人種とゾンビの組み合わせで生まれる凄まじい膂力に任せ、腕ごと絞め潰す。
「Vaaaaaaaaaaaaaaa!!」
「「「「「「えひあ、良い声ぇ!」」」」」」
不快なメンダコが忌々しい女の声で鳴いている。
血を奪われ、二周りは小さくなり、枯れ木のようになった腕がバキリと割れて潰れた。発生したゾンビ特有の鈍い痛みを我慢することなく悲鳴として吐き出す。唐突に訪れた命の危機。ビビらないように己を鼓舞するための叫びだったが、気合を入れ過ぎた。
うっかり種族技能の【狂気の産声】が発動している。【肉体値】の無駄撃ちだ。
そのせいで周囲のアンデッドの気配がより濃厚になったが、気にしている暇はない。些細な失敗よりも今は命を惜しんで行動しなければならない。
「大人しく潰れてろよぉぉぉぉぉ!」
「「「「「えひ、ゾヌルフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!ボクは今!運命を感じてるのぉぉぉぉぉ!」」」」」
周囲のメンダコが建物の外で興奮しているだろうザイドラの声を押し付けてくる。勝手に盛り上がり向けられた、声に込められた熱と想いは、重く不快である。
私の締め潰すために巻き付いた、象鼻の腐肉の一部を抉り飛ばし、潰し損ねた三本のドリルが飛び出す。空中で素早く向きを変えたそれは、今度は私というゾヌルフの目に向かって高速で回転し、抉り貫こうと向かってくる。
「ザイドラァ!お前のそれは素だったのかぁ!?」
「「「「「えひ、ボクは知った!ゾヌルフとボクが幼馴染みだったことを!」」」」」
会話はすれ違う。言葉は激しい火花を散らして摩れ合い交差して、お互いに無意味に叩き付けられ。お前は何を言っているんだ?
「「「「「こ、こんなにも近くでゾヌルフとボクは暮らしていた!」」」」」
DLOのPKで最強は誰かという話になれば、真っ先に名前上がる女。それが先程から周囲の無数のメンダコを通じて一方的に語りかけている【ザイドラ】である。
【覇破なるザイドラ】と大層な名前で彼女は呼ばれており、不本意ながら私のDLOプレイの中で一番付き合いのあるプレイヤーだ。DLOで見聞きしていたザイドラの行動言動がプレイじゃなかったのが衝撃である。
「「「「「ゾヌルフぅぅぅぅぅ!伝えたいことがあるよぉぉぉぉぉぉ!!!」」」」」
飛んできた三つのドリルが私というゾヌルフの眼窩に突き刺さる。彼女の種族、職業、装備の攻撃力関与する技能が働き、つき差だったドリルの直径を越える肉体の損壊が私に襲い掛かった。
左の眼窩の周辺。骨と肉、眼窩に押し込められていた複数の【濁った発光魔眼】が爆発するように吹き飛んだ。眼として機能を保ちながら飛んでいく目玉がクルクル世界が回転する映像を私に届け、やがて内側から、無数の氷のスパイク貫かれて、目玉としての機能を完全に失う。
「Gaaa!」肉体も霊体も凍結させる、彼女の技能。鈍い肉体のダメージの痛みを意識できない程の、霊体ダメージの痛みに再び私は悲鳴をあげる。
爆発した傷口が更に抉れるのを構わず、私は無事な右腕でドリルを纏めて掴むと膂力で握り潰した。
私というゾヌルフが、ドリルを握り潰すのと同時。ドリルが貫通して飛んできた壁を粉砕し、外にいたザイドラ本人が、私というゾヌルフに突っ込んで来た!
「ゲームでは無いのだぞ!?」
「「「「「最高!!」」」」」
そのシルエットはゾヌルフと比べると、妖精種であるため羽虫のように小さい。
しかし、妙に細い鎧に包まれた腕だけは、最上位のゾヌルフ程ではないが、上位の巨人種に匹敵するほど巨大。
アンデッド改造ツールで改造された、特徴的な【リビングメイル】系アンデッドの見慣れた彼女の姿を、ゾヌルフの無事な魔眼が捉える。
私は舌打ちしながら、少しでも被害を減らすために、ゾヌルフを動かす余裕はあれど、その巨大な腕の一撃を回避する余裕はなかった。
私というゾヌルフは、ただでさえ、再生能力と引き換えに、動きの鈍い巨人種のトロール。そこに膂力と再生に優れるが鈍重なゾンビの組み合わせ。
ゾヌルフという私の動きは、戦闘行動に優れた種族と職業で固めるザイドラと比べると遅すぎた。
「「「「「ずっと前からぁ!」」」」」
「Gyaaaa!?」
巨大な腕の先。常に霜に覆われている金属鎧の腕が、アンデッド改造ツールによって、激しく回転する五本のドリルに指先を改造している彼女の腕が、上段から叩き付けるように顔面に振るわれる。
回転するドリルの指先が、私というゾヌルフの腐肉の肉体を守る【腐敗溜め込む瘤】【固着する重腐脂】の守りを貫いて腐肉を抉って削り、顔面に五本の溝が刻まれた。
瘤に溜め込まれたアバターに【汚損】【病気】【呪い】等の状態を付与する腐汁が飛び散っても、どれもアンデッドには殆ど意味がないので、彼女は意識すらしてくれない。
実際に削った以上に彼女の技能が肉を抉り、傷を広げ、骨を砕く。ゾヌルフの腐った脳味噌にまで到達し、厭らしい湿気った音を掻き鳴らす。抉られた傷口から血を奪い取られ、乾いた傷口に残る血以外の僅かな体液を凍らせて、無数の氷のスパイクに変えていく。無事な肉や骨を貫き、更に霊体も傷付ける。
「「「「「しゅきでひゅとぅあぁぁぁぁぁぁ!?きあってくらぁぁぁぁぁ噛んだぁぁぁぁぁぁぁ!?」」」」」
「Goa!!」
伝えたいことを見事に噛んだらしいザイドラの動きが止まる。
その隙を見逃さず、長く三〇もある象鼻をしならせて、鼻で絞め潰したままだった、枯れ木のような左腕を下から上にカウンターで彼女に叩き付けた。
DLOの巨人種には「見た目が小さな攻撃は殆ど効かない」効果を持つ【巨人の暴力】という技能があるが、妖精種にも「見た目が大きな攻撃は殆ど効かない」という効果を持つ【妖精の敏捷】が存在している。
前者は「九〇%の与ダメージをカットする」という結果が発生するが、後者は「与ダメージの九〇%がノックバックに変換される」という結果が発生する。
体重が軽すぎる小さな虫が、人の手で叩かれ、吹き飛ばされても録にダメージが発生しないように、ザイドラも録にダメージは無い代わりに羽虫のように吹き飛ばされていく。
「えぎゃぁぁぁぁぁぶべっ!?」
ただし、その効果は、ノックバックに吹き飛ばされる先に障害物が無い場合に限られている。【巨人の暴力】が大きな攻撃を使うことで回避できるように、【妖精の敏捷】も与ダメージがノックバック変換され終わる前に、壁にぶつければ回避できる。
伝えたいことを噛んだのが、よっぽど悲しかったのか、実際の与えただろうダメージ以上の悲痛な声をザイドラはあげている。
「今ので止めか!」
やはり、今の一撃で建物に止めを刺してしまったようだ。
ザイドラと、私というゾヌルフの攻防に耐えきれなくなった床が、本格的に崩れ始めた!
更に建物の壁が上下に裂ける!
カガリの職業技能で半端に強化していたせいで、ザイドラを天井に叩き付けた衝撃が、余すことなく建物にダメージを与えてしまっている。
私というゾヌルフは、全く勢いを落とさず、床という床を破壊しながら落下していった。
あぁ!?建物が傾いていく!
ゾヌルフの努力は無駄に終わりました