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ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン。少し間を置いてまたピンポーン。真々子だとすぐわかる。真々子のインターホンの鳴らし方はしつこくてうるさい。セールスだって二回だっつの。
「トコちゃーん。真々子だよー。お湯をちょうだーい」
玄関ドアの前で大きな声を出すのもやめてほしい。それに、なんでお湯を欲しがるのよ。
わたしはレッサーパンダの顔が付いたスリッパをペタペタいわせて玄関に行った。
「塔子ちゃん。クッキーが焼きあがったから真々子ちゃんにも食べてもらいなさい。上がってもらって」
キッチンで、オーブンからトレーを出しながらお母さんがいう。キッチンから流れ出た甘いバニラとミルクとバターの匂いが廊下まで漂ってきて、玄関ドアを開けたら真々子がとたんに鼻の穴をふくらませた。わたしは真々子が両手に持っているカップ麺に目をとめた。
「なに、そのカップ麺」
「うわああ、おばちゃん、クッキーを焼いたんだね。おばちゃんのクッキーはこってり甘くてバターたっぷりでおいしいんだよね。売ってるクッキーは甘さ控えめとか言っちゃって、あれは物足りないよね。だから真々子はトコちゃんのおばちゃんが焼いたクッキー、だあいすき」
鉄平とどっちが好きなんだよ、といいそうになったけど、子供じみているから口には出さない。今日は日曜だからお父さんもいて、リビングのソファで読んでいた新聞から顔を上げた。リビングに入って来た真々子にお父さんが気軽に声をかける。
「真々子ちゃん、少し背が伸びたんじゃないか? お姉さんに見えるよ」
高校生は、れっきとしたお姉さんなんだよ、お父さん。いくら真々子が小さくてもね。
「真々子の背はかわんないけど、おじちゃんはちょっと見ないうちに大きくなったよね」
お母さんがクッキーと紅茶を運んできてクスクス笑った。
「うちのお父さんは、大きくなったんじゃなくて、太ったのよ。真々子ちゃん、おかけなさい」
「はあーい」
いつもこの調子だ。
「ところで、お母さんはお元気?」
お母さんもわたしの横に座りながら真々子に声をかける。真々子はすすめられてもいないのに、さっさとクッキーに手を伸ばす。
「うちのママは元気だけど、いつも疲れているの。昼間会社で働いて、定時で終わって、それから居酒屋のバイト先で皿洗いが二時間でしょ」
「たいへんねぇ」
お母さんは、ほんとうに気の毒そうに眉を下げた。その間に真々子はクッキーを五個平らげて紅茶もおかわりした。真々子の短いプリーツスカートの上は砕けたクッキーのかすだらけだ。そのスカートを、真々子は束ねて持ち上げた。中にはジャージのハーフパンツをはいているからいいんだけど、行儀が悪いよね。でも、お母さんとお父さんは、全然気にしていない。わたしがそんなことをしたら、二人ともすごく怒るのに、この違いは何だろう。
「ところで真々子。そのカップ麺はなに」
わたしは気になっていたことをきいてみた。真々子はスカートを持ち上げたままキッチンに行って、ペダル式のごみ箱を開けてクッキーのかすを落とした。
「トコちゃんも鉄平のところに遊びに行こうよ。トコちゃんの分もカップ麺、持ってきたから」
戻ってきながら、そんなことをいう。
「だからカップ麺が二個なのか」
「うん。お湯を入れて歩いて行けば、鉄平のとこに着いた頃に食べごろになるよ。おばちゃん、お湯ちょうだい」
「はいはい」
と、いうわけで、わたしと真々子は、お母さんにお湯を入れてもらってカップ麺の蓋を割りばしで挟んでマンションを後にした。
鉄平の家に行くなんて、何年ぶりだろう。よほど用でもなければ行かないし、よほどの用なんてあったためしがないし、だからわたしは真々子のおかげで鉄平のところに行けるのでいそいそした。
小学校の外側を真々子の短い脚の歩幅にあわせて歩く。小学校の校庭の隅に、昔は竹藪があって子供たちのいい遊び場になっていたのだが、チカンが隠れてプールの更衣室を覗き見していた事件があってから根こそぎ刈り取られて、災害時の非常用品をしまう倉庫に代わってしまった。
「最近さあ。鉄平のところに行ってもコブオがうるさくてさあ」
と、真々子が口を尖らせた。
「オトコの部屋にオンナが入り込むなんて、非常識だろって、うるさいんだよ。邪魔してばっかり」
そうだった。鉄平のおじさんは再婚して、家にはおばさんと抱介がいたんだった。わたしのいそいそした気分が消えていった。
「帰ろうかな……」
呟き終わったら、鉄平の家の前だった。だから、三角形の三点の距離に住んでいるって、近すぎなんだよ。
真々子が、お金のかかっていそうな立派な門のチャイムを鳴らした。
「鉄平ええええ。真々子だよおおおおお」
だから、真々子。門のところで大きな声を出さないでよ。恥ずかしいでしょ。
チャイムが鳴り終わらないのに、大きな平屋の堂々とした和風建築の引き戸が開いて、抱介が下駄を鳴らして飛び出してきた。
早や! 抱介が見つめているのは真々子だ。しかも、怒っているし。真々子を見ると、こちらも猫のように毛を逆立てて闘志満々だった。
鉄平。おまえが出て来いよ。