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「おまえが噂の伊沢真々子だったんだな」
一年B組に飛び込んできた男子はD組のバッジをしていた。名前は角田抱介。ほんとに角田なんだ。鉄平のおじさんが子連れのおばさんと再婚したっていうのは本当だったのだ。
妙に感心しながら、わたしは抱介という男子に見惚れた。だって、ほんと、かっこいいんだもん。頭もよさそうだし。
真々子は片手にイチゴのアップリケがついた布のバッグを持っていて、バッグの中には、おかずがどっさり入っている特大のおにぎり三つと牛乳パックが二個入っている。抱介はその布バッグを奪おうとしていた。
「たすけて、鉄平」
真々子が抱介の手を逃れて、ジャンプする勢いで鉄平の懐に飛び込んでしがみついた。教室中から顰蹙の声が上がる。
「鉄平。なに、あいつ。なんで真々子に怒ってるの」
鉄平の懐の中で、真々子はミツバチのように震えた。それを抱介がわしづかみするように真々子の後ろ襟を掴んで引き離そうとする。へええ、けっこう乱暴だなあ。
「真々子にかまうな」
鉄平が抱介の手を弾いた。乾いたパシッという音がした。まわりから、おー、という声があがった。真々子がますます鉄平の懐にもぐりこむ。もう鉄平と一体だ。まずいだろ、これって。学校はいちゃつく場所じゃないんだからさ。
わたしはお箸をお弁当箱の上に置いて、おもむろに立ち上がった。机を避けながら鉄平と真々子に近づく。生木を裂くように鉄平と真々子の体を引き剥がした。真々子が、今度はわたしの腕にしがみついてきた。
「トコちゃん聞いて! 鉄平のおじさんがコブ付きのおばさんと再婚したの。こいつは、そのコブなの」
「そのコブに、どうして追いかけられてるのよ」
わたしがいうと、真々子はせわしなく続けた。
「聞いてよトコちゃん。そのコブおばさんが、これからは鉄平とそこのコブのお弁当を作るから、真々子は用無しだって、余計なことはするなって、そこのコブが言ったんだよ!」
うわあああーん! と盛大に泣き出した。そして、泣きながらしゃべった。
「鉄平は、真々子がここまで育てたんだよ。幼稚園のときは食が細くて、食べさせるのに苦労したんだ。でも、小学校に上がったころから風邪をひかなくなって食べるようになって、中学になったあたりからぐんぐん大きくなって真々子を追い越して、だから、鉄平の成長にあわせて、おにぎりも大きくしていったんだよ。真々子の手は小さいから、大きいおにぎりを握るのは大変なんだよ。必ず炊きたてのご飯で握るんだけど、朝は忙しいから、ご飯が冷めるまで待っていられなくて、熱いうちに握るから、いつも真々子の手のひらは真っ赤で火傷しそうで、でも、鉄平がおいしそうにパクパク食べるからうれしくて、それなのに、もう、作らなくていいって、このボケコブが脅したんだよ」
うわあああーん、とまた泣いた。抱介はすっかり驚いてしまって、鉄平と真々子を交互に見ている。
「今こいつ、なんて言ったんだ? こいつがおまえを育てたって?」
呆れたように唇を歪める。真々子はきりっと振り向いて小さな胸を反らせた。
「そうだよ。真々子は鉄平のママだから、一生可愛がってあげるんだよ!」
抱介がゲラゲラ笑いだした。わたしだって笑えるものなら笑いたい。でも、子供の頃から知っているから笑えない。鉄平は、真々子のひたむきな愛情でここまで来たのだから。
鉄平はスクールバッグから気の利いたお弁当箱を取り出した。蓋をあけると、目が覚めるようなきれいでおいしそうなお弁当が詰まっていた。次に布のバッグから真々子が握った不格好なおにぎりを取って、おにぎりを包んでいたアルミを広げた。
鉄平はそれらに目をやって無言で唇を噛んだ。わたしはだんだんイライラしてきた。もしも鉄平がコブ付きのおばさんが作ったお弁当を食べて、真々子のおにぎりを残すようなことをしたら、本気で殴ってやろうかとおもった。
一人親家庭の経済状況は厳しくて、鉄平が食べる一か月の米代でも負担だったに違いない。真々子の赤くなった手のひらは、鉄平大好きの証なのだ。
わたしがそんなことを考えながら鉄平を見守っていたら、鉄平は抱介を隣の椅子に掛けさせて、きれいでおいしそうなお弁当を抱介に押し付け、自分は真々子のおにぎりをほおばりはじめた。
それを見て真々子は泣き止み、制服の袖で涙を拭って鉄平の前の椅子に掛けると、自分が作ったおにぎりを黙々と食べ始めた。一度拭いた涙だったが、また滲んできてこぼれる。鉄平が指でやさしくその涙をぬぐってやった。クラスのみんなが、そのようすを黙ってみていた。
なんか、言葉ではいえない何かが、胸の奥にジンと滲んできて、泣いていいのか笑っていいのか、わからないでいた。
抱介は抱介で、母親がつくって鉄平に持たせたキラキラ弁当を前にして、悲しそうに眉を寄せていた。
「なんで鉄平の弁当はこんなに手をかけていて、おれの弁当はザツなんだよ。ひでえよ母ちゃん。これは差別だぞ。おれはぐれるぞ」
抱介は、鉄平の前にある真々子が握ったもう一つのおにぎりを掴むとかぶりついた。
「あ、それは鉄平のだよ」
真々子が自分の顔の半分もある食べかけのおにぎりを口から放して抱介に文句をいった。
「真々子、これからはおれにも作ってこい」
えばったように真々子を睨み付けて、抱介は塩味の利いたおにぎりをほおばった。
鉄平は、そんな抱介をちらりと見たが、なにもいわなかった。真々子は抱介の分もつくってくるのだろうか。真々子の家の家計は大丈夫だろうか。わたしは余計な心配をしながら自分の席に戻ったが、手を付けずに残されたキラキラ弁当をおもうと、再婚して同じ年の息子のいる家に入った抱介のおばさんのこれからも、大変だろうなとおもったのだった。
でも、わたしの諸々の心配なんか無用だった。この抱介という男子、真々子と同じで細かいことなど気にしないお気楽男子だったのだ。