20
翌日真々子はお母さんが出してくれたボリュームたっぷりの朝食を食べてシャワーを浴び、ピンクの水玉模様のパンティーをはいて身支度を整えた。
「こんど、真々子のこところにも泊まりに来てよトコちゃん」
機嫌よく真々子はそんなことをいった。もちろん泊まりに行く気はない。夕べはよく眠れたらしく、元気を取り戻していて、盛んにおしゃべりをする。宇和島の気候の話しとか、農協のおじさんの話とか、青年部の集まりや活動、それから村祭りの準備とか、地方特有の人の輪の重なりでできあがっている生活の仕組みが、話のはしばしに読み取れる。真々子はそういう輪の中で、ちゃんと自分の生活を築き上げていた。
抱介のところに電話を入れてから家を出た。そうすれば小学校の校門前で出くわす。真々子には、ファミレスでお昼を食べてみんなで東京駅まで送って行くことを話しておいたので喜んでいた。でも、校門前で待っていた抱介と鉄平を見て、真々子の元気はしぼんでいった。正確にいうと、鉄平を見て俯いたのだ。
やっぱり昨日のことを引きずっているのだろうか。抱介が気軽に片手を上げて「よお」といった。鉄平のほうはじっと真々子を見つめている。横目で真々子を窺うと真々子は鉄平の視線を避けていた。
わたしは、「行こうか」と、いって駅に向かって先頭に立って歩き出した。真々子がわたしの横に並んでくる。抱介と鉄平がそのあとに続く。こんなの、前にもあったなあ、と思いながら駅前のファミレスに入った。
土曜日だから店内は混んでいて、おじいちゃんおばあちゃん連れのファミリーが目立った。孫を連れて遊びに来た息子や娘にご飯のしたくをして食べさせるのは大変だから、外食にしましょう、簡単だしね、という具合なのだろう。
順番待ちの用紙に名前と人数を書き込んで椅子に掛けて二分ほど待ち、六人掛けの席に案内された。抱介が鉄平の隣りに続けて座ろうとしたので腕を引いて引き寄せ、真々子を鉄平の横に押し付けた。
真々子はきょう鉄平に振られるのだから、せめてそれまで鉄平とくっついていたほうがいい。心残りのないように。そんなわたしの思いやりなのに、前に座った二人はそれぞれメニューで顔を隠すようにして話そうとしない。
いつまでだんまりを決め込むつもりなのだろう。抱介も二人の雰囲気を感じ取って、困ったように肩をすくめた。学生の頃の抱介だったら、こういうときはわざとふざけて場を盛り上げようとしたものだけれど、いまはそういうこともしない。わたしと抱介だけが皿のものを食べながらぼそぼそとしゃべっていた。
食事も終わって、ドリンクコーナーでお代わりをしながら新幹線の時間まで調整する。夜行バスは昨夜、インターネットで予約をしようとしたら空席がなくて、しかたがないから午後二時五十分東京発の新幹線に乗ることにしたのだ。
わたしはアイスコーヒーを飲みながら、前の鉄平にさかんに目配せした。鉄平、話しなよ。きょう、真々子を完全に振るんでしょ。ゆうべ、そう話したよね。
鉄平もわたしの目配せに気がついていて、居心地悪そうに眼を反らせた。
「代わりに、わたしが言ってやろうか」
はっきり言葉にだしてやったら、鉄平も無視できなくなって言い返してきた
「やめろよ、坂巻」
そう鉄平はわたしに向かっていったのだ。この意味、分かるか? 覚えているのか鉄平。わたしは頭にきた。だって昔、幼稚園児だったわたしと真々子と鉄平が、欅の葉が舞い散る秋の夕暮れのブタ公園で、お母さんが天国に行っちゃったのとピヨピヨ泣いている鉄平を、真々子が自分のものにして、わたしも同じように慰めようと手を伸ばしたら、真々子に抱かれた鉄平が、「やめろよ、坂巻」と、いったのだ。その時の悲しさと悔しさは、二十三歳になっても忘れない。わたしは目の中に滲んできた水分に動揺した。いい年をして泣くところだったじゃないか。わたしは反撃に出た。
「鉄平。あんたさ、真々子のおにぎりを拒否したんだってね。それって、真々子の愛情を拒否したってことだよね」
鉄平がぎょっとした。真々子もはっとする。抱介はいきなりのわたしの態度の変化に驚いてこっちを見た。わたしは攻撃をやめなかった。
「真々子も真々子だよ。なにがおにぎりよ。いつまで高校生だと思っているのよ。いいかげんに、おにぎりごっことか、やめなよ。いつまで子育てごっこを続けるつもりなの。わたしたち、もう、おとななんだよ」
「トコちゃん。真々子は、真々子だって」
「鉄平は東京。真々子は宇和島。それでいいじゃない。わざわざおにぎりを持って東京まで来て、鉄平に気持ちの圧力をかけることないでしょ。宇和島でいいじゃないの。宇和島でカレシをつくれば」
「真々子はべつに、圧力なんか」
「でも、拒否されてショックだったでしょ。これが現実なのよ」
「真々子も悪かったの。鉄平のことを考えてなかったから……」
真々子がしおれて俯く。ほんとに弱々しくて助けてあげたくなる姿だ。でも、わたしはごまかされない。
「嘘つき。真々子はちゃんと計算しているよね。無防備な時を選んで意表を突いたら、人って本心を表すものね。真々子は鉄平の気持を確かめたかったんでしょ。そのやり方が汚いよね」
みるみる真々子が青ざめた。それまで黙って俯いていた鉄平が顔を上げた。
「真々子を苛めるな。真々子が悪いんじゃない、おれが悪いんだ」
「そうよ。鉄平が一番悪いのよ。どうして真々子の好きなようにさせていたの。真々子の子育てごっこ遊びに首まで浸かって喜んでいたのは鉄平も同じだったじゃないの」
「それがどうした。坂巻には関係ないだろ。おれと真々子は楽しんでいたんだから、他人は関係ないんだ」
「どこが関係ないのよ。関係ないなら、どうしてわたしと抱介がここにいるのよ」
わたしの声はだんだん大きくなっていた。静まれ感情。おさまれ嫉妬。消えろ悔しさ! ああ、だめだ。とうとう目の中の水分がこぼれてしまったじゃないか。
「トコちゃん……」
真々子も泣きそうになっていた。
「ごめんね、鉄平。真々子がいけなかったの。いきなり会社に行くなんて、びっくりしたよね。ほんと、考えなしだった。だれだって、朝、会社の前で待ってたら驚くよね。だから、もう、しないよ」
消え入りそうな声で真々子は鉄平に詫びた。深くうなだれて表情は見えないけど、知らない人が見たら、三人に取り囲まれて苛められているように見えただろう。それほど真々子は哀れっぽくて、わたしはイライラした。
「ちゃんとしなよ真々子。そうやって小さくなって、めそめそしたら、誰かが真々子を助けてくれると思っているんだろうけど、そんな甘ったれた根性は世間に通用しないよ」
「いいかげんしろ坂巻。出るぞ」
鉄平が立ち上がり真々子を促した。鉄平がレジで会計をすませて先に立って店を出て行く。そのあとを真々子がチョコチョコとついていった。わたしと抱介も少し遅れてついて行く。わたしは後味の悪いおもいでいた。
「なんであんなことを言ったんだよ」
抱介がこそこそと囁いた。
「だって、あの二人、なんにもしゃべらないんだもん。ゆうべ、電話で鉄平に言ったんだよね。ちゃんと真々子を振りなって」
「そしたら?」
「返事、しなかった。でも、わたしの言うことは分かったとおもうよ。それなのに、ぐずぐずしてさ」
「そりゃあ、言いづらいだろ」
「だから、わたしが言ってやったのよ」
「おまえ、きついよ」
「うるさい」
わたしは前方を歩いて行く鉄平と真々子を見ていた。駅はすぐそこだ。人にぶつからないように歩きながらホームへの階段を上りはじめる。真々子が階段の真ん中あたりで鉄平の肘に手を伸ばした。服に触れたのがわかったようで、鉄平がすばやく真々子の手を握った。
「あッ」
声が漏れていた。なにあれ。なんで鉄平は真々子の手を取るの。見ていると、真々子が鉄平に何かいった。鉄平は頷く。すると、真々子はうなだれてしまった。しぼんでしまったような真々子を、鉄平はぐいぐい引っ張って階段を上っていく。改札に向かいながら、鉄平が叱るように強く真々子を引き寄せた。見つめ合う二人の横顔は、ケンカしているように真剣だったが、先に目を伏せたのは真々子だった。すると、しっかりしろというように鉄平が一瞬強く真々子の肩を抱きよせた。
なんだ? どうなっているのだ?
「今の見てた?」
「なにを」
抱介は見ていなかったようだ。先に改札を抜けた二人はエスカレーターでホームに降りた。その時にはもう、手は繋いでいなかった。




