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わたしと真々子  作者: 深瀬静流
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「で、いつ真々子はこっちに来たのよ」

 ビールを一口あおってから抱介にきいた。抱介も気が進まなそうにビールをすする。

「それが、今朝なんだよ」

「どうしてもっと早くおしえてくれなかったのよ」

「おれだって知らなかったんだよ。鉄平のやつ、めずらしく早く帰ってきてさ、一緒に夕飯を食べたんだけど、いつもとようすがおかしくてさ」

「それで」

「自分でも気にしていたんだろうな」

「だから、ちゃんと話してよ」

「おれはさ、真々子と鉄平の気持ちの強さを知っていたから身を引いたんだよ。割り込んで二人をかき乱すより、温かく見守ったほうが、おれの恋はきれいだとおもったからさ」

「あんたの恋なんかどうでもいいのよ。さっさと話しな」

「おれだったら、真々子のつくった握り飯を受け取ったよ」

「だから、わかるように話せってば」

「真々子は、愛媛から夜行バスに乗って、朝、鉄平の会社の前で鉄平を待っていたんだよ。あの、でかい握り飯を持って」

「えええ。ほんと」

 わたしはぐいぐいビールをあおった。だって、想像するだけでドキドキする。興奮しちゃうよ。やっぱり真々子の行動は予測がつかない。抱介はちびりとビールをすすって続けた。

「鉄平からすれば、突然の真々子だったんだ。だから、すげえ驚いたんだ。おれは鉄平の気持ちもわかるよ」

「あんたの気持ちなんかどうでもいいから」

「想像してみろよ。続々と出社してくる人たちが見ているところで、あの目立つ真々子から弁当を渡されるんだぞ。鉄平と同じ職場の人たちだっていただろうさ。朝の挨拶をされて、たぶん、恥ずかしかったんだとおもう。入社一年目の若手だし、みんなの見ている前で女の子から弁当を渡されたりして、頭の中がパニックになったんだろうな」

「わたしがそいう場面を目撃したらクスクス笑って、あとで職場でからかってやる」

「それだよ。あいつ、体はでかいくせに気が小さいところがあるからさ、恥ずかしくて真々子の弁当、ことわっちゃったんだよ」

「わたしだってことわるよ。かっこわるいもん」

「おれなら受け取ったのに。おれだったら、うれしくて、受け取るよ。人に笑われるのがなんだって言うんだよ。だってよ、夜行バスに乗って手作りの弁当を届けに来てくれたんだぞ」

 わたしははっとした。そうだ。そのとおりだ。鉄平の立場になってみたら、わたしだって恥ずかしくてさっさと拒否して会社の中に逃げ込んでしまう。でも、真々子の立場になってみれば、深夜バスに乗る前に、あの子のことだから炊きたてのアツアツのご飯で、あの小さな手で、一生懸命おにぎりを握ったに違いないのだ。社会人になって忙しくて会いに来れなくなった鉄平のために。

 冷やかし半分だったわたしの気持ちがみるみる冷めていった。これは大変だ。真々子が心配になってきた。真々子はたぶん、鉄平の気持ちを確かめにきたのだ。心は離れていないよね。会えないほど遠くに暮らしているけれど、真々子が育てた鉄平は、今でも真々子の鉄平だよね。

 真々子は、そう言いたかったのかもしれない。懸命に握ったおにぎりを抱きしめて、あした、鉄平に会えると胸をふくらませ、揺れる不安を押しのけて真々子は鉄平に会いにきたのだ。

 花は世界中に咲いているのだから、ミツバチは世界中に咲いている花に向かって飛んでいけばいいのに、どうしてミツバチ真々子はたった一輪の鉄平という花にしかとまろうとしないのだろう。

 ビールはいつのまにか空になっていた。わたしは夢から醒めたようにしゃきっとした。

「のんきにビールなんか飲んでいる場合じゃないよ。真々子は今、どこに泊まっているの。会いに行かなくちゃ。あの子、今ごろ泣いてるよ」

「遅いよ。もう松山行の深夜バスが出た頃だ」

「うそ」

 抱介はグイグイビールを喉に流し込んだ。そして缶ビールを空にしてから続けた。

「真々子は宇和島の農協で働いている男から結婚を前提にした交際を申し込まれたんだ。おれたちは、やっと仕事を覚えて、人にも会社にも慣れてきて、周りを見回す余裕がでてきたところだけど、おれたちとちがって真々子の場合は、結婚して家庭をもって大地に根を張るような暮らしをしていたんだよ」

「真々子が結婚。わたし、きいてないよ。なんで抱介が知ってるのよ」

「おまえ、ぜんぜん真々子に電話してないだろ」

 痛いところを突かれてグッと詰まった。

「おれは気が向いたら気楽に電話してるよ。おれがそんなふうだから、真々子も気楽に何でも話すよ。鉄平だって電話しているはずだ。でも真々子は、結婚を前提の交際を申し込まれたとは鉄平に言えないでいたかもしれない。女なら揺れるよな。相手がいい奴だったらなおさら、遠くにいる鉄平よりも近くの男に傾くかも。だから、鉄平に会いに来たのかも」

 いきなり現実を突きつけられたような気がした。だって、わたしにとっては、真々子と鉄平の関係はファンタジーのような非現実的なもので、だからこそキラキラ光って美しく、憧れてしまう夢のような存在だったのに、真々子が鉄平以外の男性と交際なんて、俄然話が違う。リアルだろ真々子!

「なにそれ。なんだか腹が立ってきた。じゃあなに、真々子は農協の男と付き合あうかどうか、鉄平と会ってから決めようと思ったわけ」

「真々子は賭けたんだよ。鉄平が握り飯を受け取るかどうか。鉄平を試したんだ」

「真々子のやつ! 姑息なことをしやがって。真々子らしく、なんにも考えずに、思うがままに突っ走ればいいものを。鉄平の愛情を試すなんて」

「鉄平は受け取らなかった。これで真々子の気持ちにもケリがついただろう。とっくの昔に高校時代は終わっていたんだよ」

「腹が立つ。わたしは真々子だから鉄平を諦めてきたのに」

「おまえもアホだよな。いいかげん高校時代を引きずるのはやめろ。おれたちは、“真々子と鉄平”という夢を見ていただけなんだ」

 キラキラが消えていく。わたしの幼稚園のキラキラが、小学校のキラキラが、中学校のキラキラが、そして高校のキラキラが、それこそ指の隙間からこぼれる砂のように光が弱まりながら消えていく。

 大人になるって、色褪せていくことなのだろうか。あんなに勢いのある真々子が愛媛の宇和島で農協の職員の奥さんになって、平凡な主婦になってしまうのだろうか。あの小さくて、負けん気な針を隠したかわいいミツバチが。

 わたしは飲み干したビールの缶をコンビニ袋に入れ、抱介の手を取って公園を走り抜け、車道のふちでタクシーが流れて来るのを待った。

「なんだよ、いきなり」

「まだ間に合うかもしれない。真々子が乗る夜行バスはどこから出るの」

「あ、ええと。し、新宿だ!」

「抱介。カード持ってる?」

「あるけど」

 運よく通りかかったタクシーを止めて、「新宿駅の夜行バス発着所へ行ってください」といった。こういうとき、社会人の男って使えるからありがたい。これが学生だったらお金なんかないものね。

 わたしは、真々子がまだ新宿にいることを願った。傷心のまま帰したくない。わたしにどんな慰めができるのか自信はないけど、もし抱介のいったように、農協の青年との交際を承諾する前に、鉄平の気持ちを確かめるためにやって来たのだとしたら、このまま返すわけには行かなかった。

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