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わたしと真々子  作者: 深瀬静流
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 宇和島に行った鉄平からは電話もメールもなったが、真々子からのメールでおおよそのことはわかった。

 鉄平はあっさりと農家の一員に迎えられ、強力な働き手として歓迎されてバリバリ働いていた、ようだ。

 鉄平。なにも、そこまですることないのに。なんで優秀なあんたが、ミツバチのために宇和島くんだりまで行ってミカン畑の農作業をしなくてはならないのよ。でも、わかるよ。わたしが男だったら、好きな女の子をよその男に取られたくないものね。でもね鉄平。もう真々子を追うのはやめようよ。抱介なんか、着々と授業をこなして単位を取り、将来に向けての準備をはじめているんだよ。わたしたちの気楽で楽しい学生生活の残り時間は、そろそろ終わるよ。就職という壁は目の前に迫っているんだから。

 だが、わたしの心配は無用だった。大学の三年次になると進路ガイダンスが始まって、高校の時と同じように次々と就職に向けての模擬試験や業界研究会などが始まり、早い学生では三年次の十一月頃には就職が内定していたし、四年次になると八月あたりには大多数の学生が内定をもらっていた。

 わたしは大手の不動産会社、抱介は誰もが知っている巨大商社、そして鉄平は外資系の投資銀行部門に就職できた。

 わたしたちは、晴れがましい気分でそれぞれの会社の入社式をすませ、新入社員としての緊張と希望に身も心も引き締めて社会人のスタートを切ったのだった。

 仕事を覚えるのは並大抵ではない。そのほかにもわからないことだらけで、聞きやすい先輩にきくのだけれど、いつも同じ人にばかりきいていると煩がれて機嫌が悪くなるし、そうかといって、ほかの人にきくとこれまたいたたまれないことになる。

 でも、なんとかこの状況を乗り切らなければ、この会社でやっていけない。だから頑張るしかなかった。

 これは、わたしだけに限ったことではなく抱介や鉄平もおなじだった。夢中だったといってもいい。あの頃を思い出すと、真々子の真の字も思い出さなかった。家に帰ってくると疲労のあまり、夕飯を食べてお風呂に入ったら、バタンとベッドに倒れこんで爆睡していた。真々子からメールが来ているなとおもっても読み流して返信もしなかった。真々子が送ってくるメールや写真は、カフェのBGMと同じようなものだった。

 その頃真々子は宇和島のミカン畑を飛び回りながら、何を思い、何を考えていたのだろう。いくらメールしてもわたしからは返事がない。たとえ会いたいとおもっても東京と宇和島では遠すぎる。わたしや鉄平たちは会社でバリバリ働いていて、もう自分のことなんか忘れてしまったのだろうか、そんなふうに真々子がおもったとしても不思議ではなかった。

 愛媛の宇和島と東京があんまり離れているものだから、鉄平の就職を機に真々子と鉄平の関係も疎遠になって、やがては消滅していくものとわたしはおもっていた。

 そうやってわたしと鉄平と抱介は、というか、少なくともわたしはだけど、真々子のことを半ば忘れて会社にも慣れ、瞬く間に入社して一年が過ぎていた。

 だが、それなりに平和で順調だったわたしの生活に石を投じる友人が、金曜の夜七時五十九分に自宅に訪れたのだ。生ぬるい湿った空気が梅雨を感じさせる六月のことだった。

「坂巻。下まで降りて来いよ」

 玄関カメラに写っていたのは鉄平ではなく抱介だった。風呂上がりらしく、髪が濡れていて顔がピカピカ光っている。でも、その表情は道端の石ころを蹴飛ばすような不機嫌なものだった。

 わたしは急いで鏡を覗き込んで口紅をぬろうとした。でも素顔がばれている間柄だとおもいなおしてエレベーターで下に降りていった。

 抱介は、エントランスのガラス扉の向こうで背中を向けていた。

「どうしたのよ。抱介」

 外に出て声をかけた。社会人になって一年が過ぎて二十三歳になった抱介は、学生だったときの甘さやいいかげんな雰囲気は払拭されて、この子、こんなにまじめでかっこよかったかなと、意外におもうほどイケていた。

「真々子が、鉄平に会いに来たんだ」

 いきなりそんなことを言われても訳が分からない。

「なによ。それ」

 抱介は、誘うように歩き出した。わたしは抱介について行く。近くに児童公園があって、防犯灯の明かりの中にブタの置物が三つあり、その中のピンクのブタに腰かけると、抱介は一つ置いた水色のブタに腰をおろした。

 ブタ公園と呼ばれている児童公園は、かつて真々子が、ピヨピヨ泣いている鉄平を自分のモノにした、あの思い出の公園だった。

 抱介がため息交じりに話し出した。

「真々子がさ、上京してきたんだよ。鉄平に会いたくて」

「え。ほんと」

「うん」

「で、どうしたのよ」

 わたしはブタの首のところに跨りなおして身を乗り出した。

「うん……」

 抱介はなかなか話しださなかった。その無言のためらいに、わたしの心臓はドキドキしはじめた。真々子がやって来た。鉄平に会いたくて。

 ああ、どうしよう。真々子は七時間かけて、新幹線と電車を乗り継いで、鉄平に会いに来たのだ!

「ちょっと待って。抱介、お金持ってる?」

「あるけど」

「千円札二枚ちょうだい。ビール買ってくるから」

 抱介からお金をもらって、道路の向こうのコンビニに向かって高架橋を走った。

 ビール、ビール。これは飲みながらじゃなきゃだめでしょ。久しぶりの真々子だもの。缶ビールとチーカマとビーフジャーキーが入った袋をガサガサいわせて走り戻ると、ブタに腰を据えて抱介に一本手渡し、わたしは自分の缶ビールのプルトップを景気よく開けた。

「さあ、話して」

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