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わたしと真々子  作者: 深瀬静流
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 大学に入って初めての夏休がやってきた。海は日に焼けるし暑いので、もっぱらプールに遊びに行った。もちろん市民プールになんか行かない。大磯のマンモスプールはレジャーランドみたいで何度行っても楽しいことは楽しいけど、女子大生としてはホテルのプールでしょ。泳いだあとはホテルのカフェでお茶でしょ。

 それから、サークル仲間の友人の別荘が箱根にあるので、仲良しグループでお泊り会。ディズニーランドにも行きたいし、花火大会にも行きたい。とにかく目いっぱいの予定をたてて遊びまくりたい。

 そうなるはずだった。それなのにホテルのプールは快適だけど、小市民のわたしには敷居が高くて落ち着かないし、奮発して買った水着は安っぽく見えて気分は落ちるし、箱根の別荘でのお泊り会は楽しかったけど、後片付けや買い出しに行かされてけっこう疲れた。

 みんな、いくらぐらいお小遣いをもらっているのか知らないけれど、夏休みが終わるころには、わたしがもらっているお小遣いでは足りなくなって、お母さんに内緒で、お父さんにお小遣いをもらって乗り切ったけど、冬休みは冬休みで、スキーに行こうという話が出ている。

 楽しい大学生活を送るにはお金がかかるという現実をまえに、舞い上がっていた自分を恥じたのだった。

 そして、真面目に真剣に取り組んだ夏休みが終わって九月二十二日から秋学期がはじまった。

 そのあいだ、鉄平からも抱介からも電話はなかった。わたしも連絡しないからわるいのだけれど、わたしたちは、互いに真々子のことに触れたくないから連絡を取り合わなかったのだとおもう。

 真々子のことはいつも気になっていた。高校の時の進路指導の先生に電話して聞いてみたら、真々子は大型スーパーに就職が決まっていたらしい。それなのに、急に就職を取りやめてしまったそうだ。先生も詳しい理由は知らないという。家庭の事情というやつらしかった。

 夏休みの間、わたしは何度も真々子のアパートを見に行った。ベランダに洗濯物が干していないのをみてがっかりし、夜、部屋に明かりがついていないのを見てため息をついた。

 でも、そういう毎日が続くと、しだいに諦めることに慣れていって、どうせ今日も真々子はいないだろうし、メールしても返事は返ってこないだろうと予防線を張っているのだった。

 ときどき、あの高校時代は何だったのだろうとおもう。中学の時も、小学校のときも、幼稚園の時も、いつも鉄平と真々子とわたしがいた。こんなに長い年月一緒にいたというのに、真々子がいなくなっただけで、三角形のつなぎ目がパラリとほどけてバラバラになってしまうなんて。

 鉄平はどうしているのだろう。なにを考えているのだろう。もう真々子のことなんか忘れてしまったのだろうか。

 わたしも鉄平が好きだったはずなのに、真々子がいなくなってしまったら、鉄平に電話したり会いに行ったりするのができなくなった。昔のように、ぶっきらぼうな顔つきで、「角田」と、彼を呼ぶことができなくなった。会いたいのに、真々子のいないのをいいことに鉄平に近づくのが卑怯におもえて会えない。カップ麺ができあがる距離に住んでいるというのに、真々子みたいにカップ麺をすすりながら、「角田あ、いるかあ?」と、家に上がり込むことができない。わたしの恋は、真々子がいてこその片想いだったのだ。

「鉄平に会いたいな」

 会いたいとおもうと、もう無理だった。鉄平に会いたい。会いたいよ、真々子、帰ってきて。鉄平にあわせてよ。

 夜、夕飯をすませて自分の部屋で机に伏して涙ぐんでいたら、リビングでお母さんがわたしを呼んだ。

「塔子ちゃん。下に角田君が来てるわよ」

「角田が」

 わたしは飛び上がった。急いでティッシュで涙を拭って鼻をかんでから下に降りた。鉄平はエントランスのガラス扉の向こうに立っていた。以前は抱介と一緒だったのに、今夜は一人だ。外に出ると、九月下旬の風は生ぬるくて夜でも半袖で十分だった。

 鉄平はジーンズのポケットに両手を入れて、所在なさげに床をスニーカーのつま先で擦っていた。

「なに」

 と、鉄平に声をかけた。ああ、わたしって、どうしてこんなにぶっきらぼうなんだろう。どうして真々子みたいにハチドリのような声で可愛く言えないのだろう。

「真々子が戻って来た」

「え」

 うそ。

「まじ?」

「まじ」

 わたしは、やおら鉄平の手を掴むと真々子のアパートに向かって走り出した。ああ、鉄平の手を握るなんて、何年ぶりだろう。幼稚園のダンスの時以来だから、かれこれ十四年ぶりか。鉄平の手、大きいなあ。あったかくって、ぎゅっとわたしの手を握ってくれて、これが鉄平の手なんだなあと、胸がいっぱいになったけど、近すぎるだろ真々子のアパート。もう着いちゃったじゃないか。

 でもいい。こんなことでもないかぎり、鉄平の手を取ることなんてできないものね。

 真々子の部屋には明かりが点いていた。これで当たり前なのに、何か月ぶりかで見る部屋の明かりに、わたしはうれしくて胸がぎゅっとなった。

 手を放して階段を駆け上がる。ノックはしないで、いきなりドアを開けた。すると、カレーの匂いがふわりと顔を包んでほどけた。玄関には真々子の小さい赤い靴と、大きなスニーカー。え? このスニーカーは。

 抱介が、真々子と向かい合わせで、仲良くカレーライスを食べていた。

「なんで、抱介がいるの」

「よう」

 スプーンを止めて片手を上げてくる。鉄平がスニーカーを脱いでずかずか上がり込み、テーブルの前に座って真々子にいった。

「おれも食べる」

 真々子がいそいそと席を立ってガステーブルの鍋を温めはじめる。なんでよ。なんなの。みんな平気な顔して。今までとなにも変わらなかったような顔をしてさ。

 真々子が消えたといって顔色を変えてわたしを責めていたのに、なんで、どうして、何もなかったかのように、抱介も鉄平も、真々子のカレーを食べているのよ。

「トコちゃんも食べてよ。人数分つくったからさ」

 そう笑いかける真々子の笑顔は、少しだけ大人っぽくなっていた。

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