使い古されたテンプレの始まり
「ルドヴィカ・スフィーア」
名前を呼ばれてふり返ると、そこには自身の婚約者たるアンリ・ナインとその取り巻き、そしてピンクの髪の少女が頼りなさげな瞳を潤ませて立っていた。
「ルイズ・ローに対する数々の嫌がらせはすでに明白。お前のような性根の卑しいものとの婚約はもう続けられぬ。ここにナナイ王国第2王子、アンリ・ナインとスフィーア公爵家長子、ルドヴィカ・スフィーアの婚約破棄を宣言する。そして、ルイズ・ローとの婚約を宣言する!」
何事かと問うよりも先にアンリが宣言する。
ざわりと周囲がどよめく。第2王子の婚約者として、国の内外の情報を持つスフィーア公爵令嬢として、国の防衛を担うものとして、高い魔力を誇る『ルドヴィカ・スフィーア』を誰もが認め、憧れ、尊敬している。
常に衆目にさらされその期待に答えてきたルドヴィカと、いまださしたる成果を持たぬ第2王子。その第2王子からまさかの婚約破棄とはと、騒然としている。
これが流行の婚約破棄かと頭の片隅で思いつつ、やってもいない冤罪で実家のお取り潰しとか国外追放とかあまつさえ死刑なんてことになってはたまらないとルドヴィカは反論する。
「嫌がらせなどしていませんわ」
背筋を伸ばしてきっぱりと宣言する。たとえ成果がなくとも王子であるアンリに味方するものは多いだろうが、少しでも日和見の人間を増やしたい。公爵家であろうと実績があろうと王家と対立する者に表立って味方するものは少ないだろう。だから敵にならなければ構わない。日和見で十分ルドヴィカのためになるのだ。
この会場の雰囲気としてはルドヴィカに優勢になっている。
非才な身でこの場を切り抜けるために必要なのだ。
「言い逃れは許さんぞ。貴様は優しいルイズにさまざまな嫌がらせをした。1回ならたまたまだったりするだろうが、すべてにおいて貴様が行っていたという証人の証言がある。もちろんルイズ以外で、だ。一つ一つこの場で貴様の罪を明らかにしてやってもいいんだぞ!」
アンリの断定口調に心当たりのないルドヴィカは一つ一つ話を聞こうじゃないかとアンリに促す。話を聞くことは得意なのである。
「おとなしく罪を認めるなら許してやらないこともなかったのに。私とルイズの恩情を無駄にしたことを後悔するがいい」
全く許す気などなかっただろうにそんなことを言うアンリが少しおかしくてルドヴィカの唇が弧を描く。それがますます怒りを助長させアンリの顔が醜く歪む。
「ルドヴィカ、貴様、ルイズの羽ペンを盗んだだろう。放課後に羽ペンを持って教室から出て行くところをベーガ令嬢が目撃している。クラスで羽ペンを使用しているものはルイズ以外には貴様も含めておらず、その日からルイズの羽ペンが紛失している。状況、目撃証拠合わせて犯人は貴様である!」
びしっと指を指される。しかしながらルドヴィカには心当たりがない。
話題に上ったベーガ令嬢は内巻きの髪に指を絡ませて「確かに見たんです」と証言する。王子という権力に屈したわけでもなくただただ見たことをそのまま話しているだけの澄んだ瞳だった。
本当に心当たりのないルドヴィカは困った。自分はやっていないのだがその証拠はない。対してアンリ側にはベーガ令嬢という第3者の目撃者がいる。ルイズの自作自演ではない。
さてはてどうしたものかと思案している。と、
「おそらくそのベーガ令嬢が見たのはわたくしではないでしょうか」
聞きなれた、しかし聞きなれない声が会場の奥から上がった。その声の主を見たものたちは一様に驚きの声を上げ、そしてアンリたちの下まで道を作る。
婚約破棄劇場に人垣を作っていた者たちがあっという間に崩れてかの人物を舞台に乗せる。
そして現れた人物と言えば。
「ル、ルドヴィカ?」
アンリが驚くのも無理はない。ルドヴィカそっくりの人物が現れた。姿はもちろん声もしぐさも雰囲気も、すべてがルドヴィカにそっくりだ。2人並んで立てば、そこに鏡があるのではないかと錯覚するほどに似ていた。元から会場にいたルドヴィカが紅いドレスを、後から来たルドヴィカが青いドレスを着ている。
青いドレスのルドヴィカがアンリに対して礼をする。
「スフィーア公爵家次女、ルドヴィカ・ドミティッラ・スフィーアでございます」
優雅な礼もルドヴィカとそっくりだった。
「ドゥ、どうして?」
「ルゥがピンチだったからつい口を出してしまいましたわ。それにわたくしが原因のようでしたもの」
青いドレスのドミティッラは紅いドレスのルドヴィカと合わせ鏡のまま親しげに話をする。
「ちょっとまてルドヴィカ。貴様双子だったのか? 知らなかったぞ」
そっくりな2人に混乱するアンリ。ルイズを始めとするほかの面々も目をぱちくりさせている。特にルドヴィカの義弟にいたってはどういうことなのかと宰相の孫に問い詰められている。
「双子ではありませんが…。アンリ様はドゥ…ドミティッラと面識がありますよ?」
「え?」
全くの初対面であるはずの青いドレスのドミティッラと面識があるといわれて必死で記憶を探る。
「わたくしが南の大国・オクターへ留学する際にご挨拶させていただきましたわ。幼い時分ゆえご記憶にないのかもしれませんわ」
ドミティッラの発言によりうっすらと記憶がよみがえる。そういえば10年ほど前…ルドヴィカと婚約をした直後だっただろうか。婚約直後に婚約者が留学の挨拶に来た。どういうことだと思っていたが、すぐに戻ってきたので短期の留学だったのだと思っていたのだが。
「ご挨拶に伺ったのがわたくしですわ。あれからずっとオクターに留学しておりましたの。このたび無事卒業迎えまして、一時実家に戻ってまいりましたわ。今後は両国の外交を担当するため再びかの国に赴くことになると思いますわ」
柔らかな微笑を浮かべるドミティッラ。幼い少女の留学は、その裏に人質の要素を併せ持つ。誹謗中傷からはじまり最悪暗殺の危機すら乗り越えて卒業を迎えることは難しい。多くが2~3年で生国に戻るものを10年学び続け、さらには優秀な成績を残している。その努力と才能を高く評価され、『ルドヴィカ・スフィーア』の名は、隣国でも優秀な人材として期待されている。
「その、ドミティッラ嬢も、『ルドヴィカ・スフィーア』なのか?」
「はい。私たちが生まれるときにお父様の考えていた名前が「ルドヴィカ」だけだったようです。急に他の名前を考えることになってその間『ルドヴィカ』が仮の名前でした。それでは呼びづらいので、お母様が私を『ルゥ』。ドミティッラを『ドゥ』と呼んでいました。そこから私のフルネームは『ルドヴィカ・ルイーザ・スフィーア』に。ドミティッラの名を『ルドヴィカ・ドミティッラ・スフィーア』と名づけました。普段はミドルネームを略しておりますが…」
公爵家の令嬢として大切に育てられたルドヴィカと、外交のいわば人質として大国で暮らすドミティッラ。正反対の暮らしでも姉妹仲は非常に良く、文通を交わして互いの近況を報告しあっていた。およそ1ヶ月前にオクターの王立学園を卒業し実家に戻ってからも会えなかった時間を埋めるように仲良く過ごしていたのだ。
その姉妹の交流の中にドミティッラに学園を案内することも含まれていた。
「ベーガ様が見かけたのはその時のわたくしでしょう。はぐれたルドヴィカを探して教室に入り、落ちていた羽ペンを見つけましたの。わたくしには誰のものか、どうしたらいいのか分からず、さりとてそのままほうっておくわけにも行かず、ひとまず学園の遺失物係に届けておきましたわ」
確かにそっくりなドミティッラならばルドヴィカと間違えても仕方がない。というか今ならんでいても服の違い以外で見分けがつかない。
「なるほ…いや、だがドミティッラ嬢、部外者は立ち入り禁止だ。たとえ生徒の姉妹だとしてもセキュリティーはしっかりしなければ…」
「なにをおっしゃいますの? わたくしもきちんとこの学園の生徒ですわ。学園からの留学生として隣国に赴いておりましたのよ。だから本日のパーティも参加しておりましてよ」
「学期間の違いで一足早くあちらの学園を卒業しましたが、この学園の卒業まではまだ半年あります。その間学園に通うために放課後に校内の案内をしておりました」
そっくりな顔で首をかしげる2人。
「ルイズさん、でしたかしら? 遺失物係には行きましたの?」
ドミティッラが確認をするとルイズは恥ずかしげに下を向いて小さく首を振る。
「物をなくしたときは誰かを疑うよりも先に遺失物係を確認してくださいませ。小さなすれ違いが大きな悲劇を招くことは友人間でも国家間でもよくある話ですわ。アンリ様と結婚して王子妃になろうとしているお方が、そのような方では臣下の苦労が目に見えますわ」
臣下、のところで取り巻き連中を眺めるが彼らの目には一様にルイズに対する恋情が見えるだけだった。ドミティッラは小さく息を吐いてルドヴィカを見ると、ルドヴィカも全く同じタイミングで息を吐いてドミティッラを見ていた。二人で目を合わせて小さく肩をあげるそのしぐさもタイミングも全く同じ。
ドミティッラはアンリに思うところがなく、またルドヴィカがアンリを好いているわけでもないことを知っているので、大好きな姉が苦労しなければそれでよかった。だがこれでは苦労するだろうから、婚約破棄すればいいのにと心の中で呟いた。
そしてそれを、ルドヴィカも正確に理解していた証拠だった。