出会いの問題、解決します! その2
「二人きりになりましたね」
彼女は対面にある椅子に座りこんで言った。
「お体の方はどうですか?」
「さっきより痛みは引いています。ただ、鼻がまだ痛いです」
「そうですか。ちょっと失礼しますね」
彼女は立ち上がり、ローテーブルに片腕を置いて体重をかけながら鼻に手を伸ばす。
僕が抑えていたハンカチを除けて、血濡れた鼻を直接指で触れる。
「汚いですよ」
「平気です」
汚い僕の鼻血が指に付くのも嫌がらず、彼女は触れ続ける。
すると段々鼻の先から痛みが和らいでいく感じがした。
指が痛みを吸っているようだ。
指が優しく鼻を撫でる。
痛みは瞬く間に縮小し、数十秒もしないうちに消え去った。
「痛みは無くなりましたか?」
「全く無いです。何をしたんですか?」
「おまじないです」
「おまじない?」
「痛いの痛いの、飛んでいけ〜って」
彼女少し照れ臭そうにはにかむ。
「痛みが無くなって良かったです。他の所は大丈夫ですか?」
「はい、特に痛みは無いです」
「よかった。彼貴方に会えたのが嬉しくて、ちょっと強引に連れて来てしまったみたいで。貴方が鼻血を出してびっくりしたのか、慌てて私のところまで来たんですよ」
僕に会えて嬉しい?
そのフレーズを聞いて、僕は先程彼女の言った言葉を思い出す。
たしか僕に応接室に行こうと彼女が提案した時だ。
“ハザマさん”と僕の名前を言っていた。
僕は一言も彼女に名前を言って無い。
疑問を彼女に尋ねなければ。
「あの質問なんですけど、どうして貴方は僕の名前を知っているんですか?」
「彼が、アンドロマリウスが貴方の事を予見したのです。貴方がここに訪れる時を、三千年前に。私達は三千年前から貴方に会えるのを楽しみにしていました」
「三千年前から⁉嘘を言わないで下さい!」
「嘘じゃないですよ。ハザマさんは“ソロモン派遣協会の噂をご存知ですか?」
「ええ、それは知ってますけど」
「噂は本当です。私達は悪魔なのです。先程のおまじないが証拠です」
彼女の文言に僕は納得せざるおえなかった。
ぶつけられてから継続していた痛みが一瞬にして消え去ったのだ。
そして僕の名前。
僕は彼女の言うことを信じることにした。
まあ嘘であっても何でもないよりかは面白いだろうし。
「解りました。貴方の言うことを信じます」
「結構あっさり信じられるのですね」
「まあ僕の名前も知ってたし、痛いのも治してくれましたし」
「そうですか、手間取らないで良かったです。これで本題を切り出せます」
「本題って?」
「それはですね」
彼女が言葉を紡ぎ出す前に扉が音を立てて開かれた。
片手に救急箱を男が抱えている。
「探していて遅くなった」
「鼻の怪我は治りましたよ。今あの話をしようとしていたところです」
「なら処置は後が良いだろうか?」
「いえ、お話しながらします。救急箱をテーブルに置いて下さい」
男はテーブルに寄って救急箱を置く。
彼女は再び立ち上がると僕が横になるソファーに近づく。
テーブルとソファーの間に彼女が綺麗にしゃがむ。
「ハンカチ取っても良いですよ。血は止まってます。鼻を綺麗にしますね」
彼女は救急箱を開け、ガーゼとピンセットと精製水のボトルを取り出す。
ガーゼをピンセットで掴み、精製水を染み込ませる。
彼女が水で潤ったガーゼを鼻に近づける。
鼻にガーゼが付く。
冷たい。
彼女はゆっくりピンセットを動かし鼻血で汚れた鼻を拭う。
「アンドロマリウス、あなたは肩に湿布を貼って下さい」
彼女が男に命じると、男はソファーの背もたれの後ろに移動する。
「解った。ハザマ、上半身を起こせるか?」
「はい、起こせます」
「では起きてくれ」
彼女は鼻を拭う手を止める。
ピンセットが鼻から除けられる。
僕は男に言われた通り体を起こす。
「上着も脱いでくれ」
「えっ」
僕は脱ぐのをためらった。
脱げと言われても、女の人の前で脱ぐのは相手に悪い。
「恥ずかしいのか?心配するなルシファーは女ではない」
「嘘っ、男⁉」
思わず声を出してしまった。
甲斐甲斐しくお世話をしてくれた彼女が男だと⁉
「男でもありませんが。」
彼女と言ってしまっていいのだろうか。
とにかくその人は口元にてを当てクスクスと笑っている。
「ということなので、私の目の前で脱いで貰っても構いませんよ」
「ということだから、脱いでくれ」
僕は二人にそう言われてしまったので、上着を脱ぐ。
鼻が痛かったから気付かなかったが、肩を動かすと痛みが走る。
肩もあの時痛めていたんだな。
脱ぎきった服を畳むと、男がシップを持って待っていた。
男は肩に湿布を貼る。
冷たい感覚に体がビクッと反応する。
「もう服を着ていいぞ」
男に言われ畳んでいた服を着る。
「では、お鼻もう少し綺麗にしましょうか」
美人は離していたピンセットをもう一度鼻に付ける。
ピンセットでつかんでいるガーゼは新らしい物に変えられている。
「それで、先程の話の続きなのですが……」
彼女……もう形容が難しいからこれでいいだろう。
彼女が話を切り出した。
そうださっきやっと本題に入れるって言ってた。
本題って一体なんだろう?
「私はハザマさんに3000年貴方を待っていたとお話しましたね」
「はい」
「私達はただ貴方に会うだけの為に待って居たのでは有りません。貴方にはこの“ソロモン派遣協会”で社員として働いて欲しいのです。」
「えっ⁉働いて欲しいって」
青天の霹靂だった。
僕、就職出来るんですか⁉
喜びが溢れる中、少しだけ心に引っかかりがあった。
僕なんて雇って大丈夫なのか?
「もしかして、無理ですか?」
彼女はピンセットを鼻から離す。
彼女が不安そうに目を曇らせる。
「そんなことありません、でもいいんですか?僕を雇っても」
「何故ですか?」
「僕仕事出来ない無能なんです。きっと役に立てません」
「そんな事は有りません。絶対に」
彼女は断言した。
目は真っ直ぐ僕を捉えて。
「確かに貴方はある種のお仕事に苦手を持たれておられます。しかし私は貴方に出来ない仕事をさせるつもりは有りません」
彼女から発せられる言葉はなぜだろう、信じられる気がする。
不思議だけど嘘だと疑えない。
「私は貴方の出来る事を求めています。私達と一緒に働いてくれませんか?」
僕は今のこの答えしか導き出せない。
しかしそれはきっと正解だ。
だって迷いが無いのだから。
「はい!よろしくお願いします!」
「良かった!」
彼女はピンセットを持った手で僕の手を握る。
「ハザマと共に働けるのだな!」
男も嬉しいのかソファーの背もたれから身を乗り出している。
こんなに喜ばれたのって何年振りだろう。
思いつめていた今までの不安が取れて心がふっと軽くなる。
重しが取れて、目から何故か涙が溢れ出す。
「今まで辛かったのですね」
嗚咽が止まらない。
辛いことは終わったのに。
泣きじゃくる僕を彼女がそっと包んでくれる。
「辛かった分思いっきり泣いて下さい」
僕は彼女の腕の中で涙が枯れ果てるまで泣き続けた。
「楽になりましたか?」
彼女が僕から離れる。
どの位経ったのだろう。
僕は涙を出し尽くした。
身体の水分を出し尽くして喉がカラカラだ。
その代わり嫌なものも出尽くして気分は晴れていた。
「おかげさまで楽になれました」
「見て解ります。表情が明るくなられました」
「有難うございます」
「どういたしまして」
彼女の言葉が終わった時、僕の前に水の入ったガラスのコップが差し出された。
差し出したのは男だった。
「喉が渇いただろう。飲んでくれ」
「有難うございます」
僕はコップを受け取り一気に水を飲む。
乾いていた身体に水が染み渡る。
美味しい。
「おかわりは要るか?」
「お願いします」
僕がグラスを差し出すと、彼は隠し持っていたポットを取り出し水を注ぎ入れた。
8分目位に注がれた水を一気に飲み干す。
喉の渇きもようやくして治まった。
「ハザマ、これからは私が君と共に歩む。だから心配しないでくれ」
男は空いている手で僕の手を握る。
「私の名はアンドロマリウス。君を護る者だ」
握りしめる手は大きく暖かい。
包み込まれた手の上にまた手が重ねられる。
「私はルシファー、私が貴方に道を教えましょう」
重なる温もりは死ぬつもりだった僕に希望を与える。
「僕は間 一人、僕も一緒に歩みます!」
こうして僕の人生が始まった。