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風待ちの猫  作者: 更級
5/12

風待ちの猫/4

 

 チビ嵐が通り過ぎ、いつものように日が暮れて、夜が来て、夜が明ければ朝が来て、朝が来れば、

『おはよう』

 変な人間が、いつものようにやって来る。

 トラ猫は朝っぱらから手まりに齧りついていて、手まりは早くも年月を掛けて遊び倒されたかのごとき満身創痍である。それでも容赦なく手を抜かず、がじがじがじがじ、と齧りに齧るが、人間がやって来たことでようやく顔を上げた。

『気に入った?』

 人間が何か言った。

 もちろん内容は通じていない。だがトラ猫はとりあえず人間を睨みつける。こいつが何を考えているのか、こいつの正体がなんなのかはっきりするまでは「おれはお前に気を許してはいないぞ」という意思を第一にを示すべきだとトラ猫は考える。

 そうだ、まずはこの親切の出所を探

 ──いや、ちょっと待て。

 トラ猫はそこで気づいた。遅すぎるくらいだがようやく気づいた。ここ数日の間ずっと悩んでいた「人間の正体」が驚くほど近くに転がっているではないか。タイミングもずばりだったのに、なぜこんなにも簡単なことに気づけなかったのだろう。

 それは猫の眼前に煮干しをぶら下げたらどうなるか、という問題よりも単純な話だ。

 ということは、あのチビ猫、チーだって、トラ猫の、ツーの思惑に気づいていたに決まっている。

「うん。気づいてたよ」

 腕時計のアラームが時刻を告げ、人間が荷物をまとめて去っていくと、それじゃあ交代だ、とでも言うようにチーが現れた。ツーは、チーが「おはよう」を言うよりも早く質問をぶん投げて、返ってきた答えがそれだった。

「ツーの顔を見てたら、そんなのすぐに分かるよ。だから絶対に聞いてくると思ってたのに、ツーったら」

「ああ分かった! 分かったもういいやめてくれ!」

 散々悩み訝り、手まりに牙を立てた昨日の自分がとてつもなく恥ずかしい生き物に思えてくる。何が「勝手にしろ」だ、スカしたつもりが見透かされていた。しかしそれだけならば、まだましだった。チーは情け容赦なく、ツーに事実を叩きつける。

「あの人間のことでしょ?」

 チーは訊ねるが、ツーは黙して語らず、しかし目は口ほどに物を言い、

「悪い人じゃないよ。いい人。とっても」

「とっても?」

「とっても」

「じゃあなんだ、朝も早よから捨て猫なんぞの世話を焼きに来て、メシもおもちゃもタダで与えて、雨の日には傘を差しに来て、風の日には風除けの板を持ってきて、そういうことは全部、いいことなのか」

 チーは三秒考え、

「助かってるでしょ?」

「めちゃくちゃ助かってる。だから怪しいんだ。奴がいなかったら今頃おれは、ねぐらの中でハエまみれのウジまみれだ。奴がいるお陰で毎日メシが食える。だけど、奴がおれを助ける理由はなんだ、なんの得があるんだ?」

 核心である。ツーがずっと知りたかった真実、いよいよもってそれに切り込んだ。

 チーは、ずばり答える。

「猫好きだから」

 どストレートであった。

 ツーは、一応「それはないだろう」とか「ふざけたこと抜かすな」といった返答を用意していた。しかしあまりの直球に全部すっ飛んだ。なんと言い返そうか、頭の中であれやこれやと整理しているうちに、チーが再び口を開いて続ける。

「あの人の家、猫がたくさんいるよ。みんなちゃんと食べさせてもらってるみたいだし」

「そっ、そりゃあれだろ、家で飼ってメシをしこたま食わせて、まるまる太ったところを、」

「ところを?」

 再び言葉に詰まる。

 自分でも突飛過ぎる妄想だとは思う。だが「猫が好きだから」だけでは理由として弱いのではないか。肉を食うなり血を吸うなり、何かしら得るものがなくては飼うに値しないのではないか。何も還って来るものがないのに与え続ける、そんなのは、まったくもって理解不能の行動だ。

「チーはね、」押し黙るツーに向けて、チーは呟くように言い始めた。「ツーの気持ち分かるよ。だってあの人間の行動はやっぱりおかしい。でもね、あのね、人間の気持ちもね、チーは人間の気持ちも……ちょっと分かる」

 ツーは目線で先を促し、チーは頷き、

「たとえば、友達が隣で退屈そうにしてたら、一緒に遊んであげたいって思う。それは、つまらないって顔した友達がいたら、ぼくもつまらなくなっちゃうから。だから、あの人間はきっと、餌もろくに取れなくて痩せっぽちになっちゃった猫を見ると、つまらなくなっちゃうんだと思う。だから見返りとかじゃなくて、猫たちの為だけにやってるように見えるけど、本当は自分が悲しくなるのが嫌で、ただそれだけなんだと思う」

 チーの言いたいことが、ツーにはよく分からなかった。

 他の奴が退屈そうにしていても、そんなのは知ったことか。痩せっぽちでも、そんなのは知ったことか。猫に他人の心配をする余裕などはない。誰かを気に掛けた結果、悲しい気持ちになってしまうのなら、そんなのはそいつの心が未熟で弱いからだ。

「前にもね、集会場の野良猫たちに似た話をしたことがあるんだ。そしたらみんな口を揃えて、お前はバカな猫だって。余計なことを考える暇があるならネズミの一匹でも取って来いって。誰も分かってくれなかった。やっぱりぼくが変なのかな?」

 正論だな──ツーは見たこともない野良猫たちの意見に無言で同意する。

 チーの気持ちも人間の気持ちも、ツーには到底受け入れがたいものだ。しかしその一方で、なぜか心がもやもやしていた。猫は一匹で生き、それが出来ないのなら死に、さもなくば飼い猫になるしかないと、ツーはそう考えている。しかし今は心と現状にずれが生じている。そのせいかもしれない。

 今の自分は、猫でありながら自分以外の手によって命を繋いでいるのだから。

 猫の世話を焼くおかしな人間と、そいつの正体を知る為に必要な、おかしなチビ猫。

 今のツーはこの二人に助けられている。

 とはいえ、それはまだツーの中では「恩」を感じるでもなく、「情」を生むでもない出来事だ。そもそもそんな感情をツーは知らないし、依然として正体不明の人間に対して抱くものは、警戒心と不気味に思う気持ちが半分ずつ、といったところである。

 ふと、ツーは密かに嘆息した。自分にとって必要な奴らが、こうもわけの分からない奴らだったのか、と改めて感じたのだ。これではやはり安心できないではないか。そうだ、だからこそ信頼に足る奴かどうかを知る必要があるのだ。

 うん、と頷いて、ツーは決めた。

 "だからこそだ"と自分を納得させてから、決めた。

「──そりゃ、そうだろうな。そんな変な考え方してんのは、この町の猫を全部集めたって、きっとお前だけだ」

 はっきりとした現実をずばりと言い放たれて、チーはあっという間にしょぼくれてしまう。

 そんなチーを見もせずに、出来るだけぶっきらぼうに、

「そんな変な奴の考えは、おれには分からん。だが、分からんままってことは結局、あの変な人間が害なのか益なのかも分からん。それじゃあ気持ち悪いままだ。だから、おれはまず、人間の気持ちが分かるっつーお前のことを知る必要がある、と思う」

 しょぼくれたチーの耳がぴくりと震える。

 何を言わんとしているのかを、うっすらと理解したらしい。期待に満ちた上目遣いに見詰められ、ツーは、フン、と鼻を鳴らし、ますますぶっきらぼうな口調になって、ついに言った。

「だから、なってやるよ、友達に」



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