(3)
こんなことは今まで一度もなかった。
どうして、なぜを何度も頭の中でくりかえす。すると、その場に立ちつくしていた深奈の後ろで、扉がきしむような音をたてて開いた。
「やはり、異界からここへやってきたのね」
「……シュエラ」
深奈は呆然と扉を開けた人物の名を呼んだ。
そのまま、ゆっくりと振り返り、眉根を寄せて問う。
「どういうこと?」
「ここにね、結界をはらせてもらったの。もしかしたら、あなたがまた逃げだすかもしれないと思って、エヴァルト様に言ってね。
あなたが持つ力は異界へ行くことと、異界からこちらへ戻ること。戻る場合は望んだ場所に出ることが出来る。
移動の常識をくつがえすものよ、だったら、絶対に逃げると思っていた」
淡々と語るシュエラの目には喜色が浮かんでいる。
ここ数日の間に、もともと彼女に抱いていた印象はことごとく削られてしまった。今では、深奈をタイミング良く助けに来たことですら、何か目的があったためではないか。そう思っていた。
それに、彼女はエヴァルトに仕えながらも、何か別の目的があるようなことを匂わせはいなかったか。
「そしてあなたは異界への扉を開こうとした。けれど、あたしはその異界との間にへだたりを作っておいた。それを壊さない限り、あなたはここから出られない。
その間に、あたしはあたしのやるべきことをする。
貴女にも、協力してもらうわ」
「嫌だといったら?」
「いえないわ。そういう状況に追い込むつもりだから」
シュエラはいって肩をすくめた。
彼女の目は、青い炎が宿っているように見えた。深奈はぐっと唇を噛む。どうしても、聞いておきたいことがある。答えてくれるとは限らないが、それでもいいから訊ねたいと思った。
「グレマール湖で、神官のひとに私を突き落とさせたのは、シュエラだよね?」
あの場にいたのは、深奈とセリクとアスルド、神官にシュエラのみ。アスルドが深奈を突き落とす必要などどこにもない。何より、深奈は彼を信じたかった。
すると、シュエラは少し悲しそうな顔をした。
「命の恩人を疑うの?」
深奈は言葉に詰まった。
そんな顔をされては、追求しにくい。けれど、ひとが変わったようなシュエラを、もう信じることは出来なかった。
「アスルドさんが私を殺そうとする理由がわからないもの」
「彼は誰かに頼まれたのかもしれない。何より、アスルド・グレスリッシュはリオニア出身者ではないし、魔術師である以上、ミア教に属してもいない。彼が属するのはあたしと同じく魔術師協会。
もしそこを通じて貴女を消すような依頼があったとしたらどうする?」
「……じゃあ、どうして騎士をしているの。忠誠を誓わないと、騎士にはなれないって聞いたよ」
深奈はやや語気を荒くしていった。
シュエラはしばらく腕組みをしたまま扉にもたれかかっていたが、やがてふっと息をつくと「降参よ」とぼやくようにいった。
「あいつもそこまで信じてもらえたなら本望よね。
彼はあたしにとって兄のような存在だった。年齢の近い魔術師って彼しかいなかったから」
シュエラは、腕組みをといて扉からはなれると、後ろ手でしめた。それから、客間のテーブルを囲む椅子に勝手に腰をおろし、深奈にいう。
「白状すると、あなたを突き落としたのはあたしよ。でも、殺したくて落としたんじゃないの、どれだけのことが出来るのか試したのよ……ずっと、あなたを待っていたのは王太子だけじゃない、あたしもよ。異界の扉は、例え魔術師であっても開くことは出来ない。開いている場所から入って、戻って来ることは出来るけれど、それだけなのよ」
深奈は黙ってシュエラの話を聞く。
あのとき、無我夢中で異界へ向かった。セリクも巻き込んだが、結果としてはリオノスに会えたのだから良かったといえる。
「ねえ、あなたはあたしが一度死んでるっていったらどう思う?」
「え?」
「あたし、一度死んでるの。異界へ行って、出られなくなって、そのまま異界の精霊に襲われてひん死の状態にまで追い込まれた。
だけど、ある方が助けてくれたの」
ある方。そう告げてから、シュエラの表情が変化した。まるで愛しい男のことでも語るような、そんなものへと。
「あたしは、その方をこっちの世界へ連れて来たい。それがあの方の願いでもある。エヴァルト様と組んだのも、その方がやりやすいからよ。
何より、こちらの世界へ戻されてしまって以来、あの方には会えなくなってしまった。お役に立ちたいのに、ここじゃ何も出来ない。
だからミナ、あたしを助けると思って力を貸して?」
軽く頭を下げられ、深奈はたじろいだ。
今の話を聞く限り、シュエラは単純に、異界にいる誰かをこちらへ連れてきたいだけだという。けれど、深奈はどこかで警鐘が鳴っているような気がしてならなかった。
何より、異界の生き物をこちらに連れてくることで、影響は出ないのだろうか。しかし、それをシュエラにいっても、ないと言われるのが落ちだ。
だから、訊ねた。
「あの方って、どういう方なの?」
「素晴らしい力を持った方よ。人間なんて、ひと咬みで死ぬでしょうね。もちろん、あたしを助けてくれて、こちらへ戻してくれた訳だから、温厚な方よ」
「……そう。でも、私も行きたい異界の扉を必ずひらけるって訳じゃないし」
「それなら大丈夫よ」
言い淀む深奈に対し、シュエラは輝く笑顔で請け合った。
「だって、もう知っているでしょう?
確か『白翼の廃墟』だったかしら、そこから異界へ通ずる扉をあけてくれさえすればいいの。そうすれば、あの方は必ず来るはずよ」
深奈は、彼女がいった言葉に、一瞬呆気にとられた。
白翼の廃墟。
それは、リオニア王家を呪い続ける勇者の敵、銀竜が住まう異界へ通ずる扉が出現する場所だ。
深奈は「まさか」とこぼした。
シュエラは、微かに笑んだ。どこまでも微かに。その笑みが何を意味するのか、深奈にはわからない。シュエラは明言を避けているようだった。




