水底の異界へ (1)
ざく、ざくと枯れ葉が敷きつめられた上を歩いてくるのは、武装した兵士たち。
良く見知った彼らの姿は、グレネス伯の騎士と私兵に間違いない。
その彼らの間に、セリクがいた。後ろ手に縛られ、捕らえられている。深奈は茫然とその光景を眺め、彼らがこちらを指差していることに気づくと、ヴェインを振り返った。
「ど、どうしましょう。ヴェインさん、セリクが……」
深奈の様子がおかしいことに気づいたのか、ヴェインがゆっくりとした動作で体を起こす。
腕輪のおかげで一時的に痛みは引いているが、まだ動きまわれる状態ではない。彼は必死の表情で体を起こし、唇を引き結んだ。
「なんてことだ」
呻くように発された声のあと、彼が剣をつかむのがわかった。
深奈は慌てた。
「だ、だめです! ヴェインさんは横になっていないと」
「そんな訳にはいきません。何としてでも、殿下を助けなければ」
そう言って起きようとするヴェインの肩に手を置き、深奈は考えた。浅い呼吸のなかで、ひとつだけ思い浮かんだのは、なぜ彼らがこちらを指差したかということだ。
セリクを捕らえただけでなく、わざわざこの洞穴へ来るには、きっと理由がある。
彼らが指差していたのは、深奈だ。つまり、用があるのは深奈なのだ。
ひと筋の光明が見えた気がした。せめて、アスルドが事態に気づくまでのあいだ、彼らを足止め出来ればまた違う展開に持って行けるはずだ。
魔術がどういうものかはわからないが、グレネス伯の館で受けた爆発の衝撃はかなり強いものだった。あれほどの威力がある爆発を起こせるなら、何とかなるかもしれない。
「……私が何とかします。ヴェインさんは絶対に動かないで下さい」
「ですが」
「ここで動いて傷がひらいたら、私が怒られます。セリクのためにも、じっとしてて下さい」
そういうと、彼は苦しげにうつむいたが、もう起きようとはしなかった。どうやら、セリクのためにという言葉が効いたらしい。
深奈はそれを確認すると、ひとり彼らの前に姿を現した。
セリクを見れば、なぜ出てきたと言いたげだ。彼の視線は、深奈の足もとにそそがれている。そこには、何か尖ったもので土をひっかいたような跡があった。そういえば、アスルドが結界がどうのといっていた気がする。
恐らく、この中にいれば安全なのだろう。だが――。
(私が無事でも、セリクに何かあったら意味ないのよ)
深奈はきっと顔をあげて、一歩踏み出した。すると、騎士たちの中に立つグレネス伯を見つける。彼は深奈を見つけると、驚いたような顔をした。
「本当にこちらにいらっしゃるとは、突然姿を消されて驚きましたよ。貴女はそれほど殿下に関心がないように見えましたし、エヴァルト様にも好意を感じていらっしゃるように見えたのですがね。さて、どうして逃げたのか、お聞きしても?」
馬上から睥睨された深奈は、伯の怒りに気づいた。
思い通りに操れる愚かな娘。そう思い込んでいたのが嘘っぱちだったのだ。騙されていたと知って怒らない訳もない。
向けられた強烈な怒りは、深奈の心身をおびやかす。怖い。逃げたい。けれど、逃げだしたくなる足を押さえて、深奈は傲然と顔をあげた。
「当然、使命を果たすためです。私はセリク王子を救うためにこの世界へ来たんですよ? 結婚したくて来た訳じゃありませんし、そんなことをしたら元の国へ戻れなくなる。そんなの嫌です」
はっきりとした声で告げる。
すると、グレネス伯は呆気に取られたような顔をした。それからまじまじと深奈を見て、笑った。
「どうやら、わしは貴女を見誤っていたようだ。ただの頭の軽い娘かと思っていたが、違いましたな。ですが、ますますエヴァルト様と添うて頂きたくなりましたよ」
「それは嫌だと言いました」
伯の声に、深奈は顔をしかめ、睨みつけるように言う。
「そうですな、聞きました。ですが、状況を良くご覧頂きたい、セリク殿下は我らの手のうちにある。もし貴女が断るのなら、我々は殿下をこの場で殺しても良いのですよ」
深奈は思わず息を飲んだ。そこまで断言されるとは思っても見なかったからだ。ぎり、と奥歯を噛みしめる。戦う力がないのが、今は悔しかった。
「どうします」
ねっとりした声で問う伯に、声をあげたのはセリクだった。
「よせ! 俺のためにお前が何かを犠牲にする必要はない」
深奈は彼の訴えを聞いて、目を見開いた。まさか、そんなことを言われるとは思わなかった。何より、セリクは知っているはずだ。自身が死ねば、リオニア王国が終わりであることを。だというのに、そんなことをわざわざ叫ぶからには、意味がある。
深奈は、もしかしたらと思った。
「嫌よ! 貴方が殺されたら私は元の国に帰れないのよ?」
「だったら何とか逃げてリオノスを見つければいいだろ!」
「そんなの無理よ!」
「いいから俺の言うことを聞け」
言い合いに疲れるとお互いにじっとりと睨みあう。騎士や兵士、伯までもが呆れたような顔をしている。だが、狙いは彼らを呆れさせることではなかった。
やがて、睨みあいにも疲れ、深奈が再び口をひらこうとしたとき、悲鳴があがった。そちらを見れば、兵士たちが数人まとめて地面に倒れている。
手足が痙攣し、白目をむいて倒れている彼らに注目が集まったところで、声がした。
「遅くなってすみません、ちょっと荒っぽくなりますけど我慢して下さいね」
待ちわびた人物が、のほほんとした様子でいった。