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「あの、もしかしたらさ、さっきの話し合いで出てきた『ミアの涙』を使えば、王様の病状を少し良く出来るんじゃないかな? 確か、神の祝福は身を守るものだって神官長様が言ってたし」
立ち止まって突然に言った深奈の言葉を聞いたセリクは、一瞬黙り込み、しばらくして眉根を寄せた。
「言っている意味はわかった。けど、それほど上手くいくとは思えない」
「でも、やってみる価値はあるんじゃない? ちょっとだけ余分に持ってくればいいだけだし」
言いながら、妙案なのではないかと深奈は思った。
「確かにそうだが、そもそも『ミアの涙』がどういうものなのか全くわからないんだぞ?」
「だから、出来たらの話よ。それにどうせ採取してくるのは私の役目だろうし、何て言うのかな、このまま何も出来ないのは嫌だなと思って」
そう告げると、セリクはきょとんとして深奈を見た後、小さく吹き出した。
「な、何よ」
「いや、ずいぶんなお人好しだと思ってさ。
ほとんど初対面の人間に対して、そんなこと言う奴はまずいない。勇者の国って平和なんだな。そうじゃなくても、お前はお人好し過ぎる。ほどほどにしないと、痛い目を見るぞ」
どことなく羨ましそうなセリクを見て、深奈は言った。
「そうなのかな」
「ああ。さて、行くぞ。立ち話してると寒い」
そう言って、セリクは再び歩き出す。
深奈は彼に言われたことを思い返しながら、自分は決してお人好しなのではないと思った。単純に、自分にとって親しい友人が苦しんでいれば、出来る範囲で手を貸してあげたいと思う。それだけだ。
そう思ってから、気づく。
(そっか、私にとってセリクはもう友だちなんだ……)
病弱なせいで、日本ではほとんど友だちらしい友だちはいなかった。深奈は少し嬉しくなり、足取りも軽く彼の後を追いかけた。
◆
グレマール湖のあるグレネス地方は、リオニア王国の南東に位置している。豊かな水源が肥沃な土地を生み、その地では王都で食される農産物の大半を生産しているという。
また、観光名所としても有名で、勇者の時代からの遺物や、神々が地上を闊歩していた頃の名残である巨大なクレーター状のへこみなどが残っている。それだけでなく「ミアの涙」の伝説が残っていることから、天空神ミアに縁ある場所として、神殿が多く建造され、聖地のひとつにも数えられていた。
そのすぐ南にはリュトリザが存在している。
リュトリザは十二の部族によって構成される連邦国家であり、リオニア王国にとっては常に内部に火種を抱える厄介な隣人である。常に小さな衝突をくり返し、時には戦争をしてきた国だ。
そんなリュトリザにとってもグレマール湖は大切な水源であり、「タタン=ハイナ」と呼ばれて大切にされている。また、グレマール湖とリュトリザ北東部に広がる湖沼地帯の間はエトワ=リタ地方と呼ばれ、特に水溢れる土地となっており、ここにもミアの神殿が築かれていた。
今回深奈たちが目指す場所は、グレマール湖畔の町、ミアセラである。
観光と交易を兼ねており、かつては冬場の王宮ともなった離宮があるのだという。そこへ向かう。
準備はそれほどかからなかった。
話し合いの三日後には、すでに全ての準備が整えられ、深奈は馬に揺られながら、一路ミアセラへと向かっていた。
天候にも恵まれ、街道にはほぼ雪もない。そろそろ雪の季節は終わりだと深奈の後ろに乗った三十代後半くらいの騎士――アスルド・グレスリッシュが教えてくれた。
この度に随行するのは二人の騎士のみだ。内ひとりはラガザン将軍直属の騎士団から派遣されたアスルドで、もうひとりは言わずもがな、セリクの護衛である近衛騎士、ヴェインである。
アスルドは、常に稚気にあふれた表情をしている、優しげな顔つきの人物だ。麦わら色の髪は後ろで一つに束ね、灰緑の垂れた目をした彼の初印象は鈍くさそう。しかし、そんな印象をぶった切るかのごとく、彼は颯爽と馬を乗りこなして見せた。
人は外見じゃないと心から思ったことを深奈は思いだす。
彼は深奈に、様々なことを教えてくれた。旅の日程もそのひとつだ。
それによるとミアセラへは、リオニアの西に広がる内海、レーテス海側沿いに進めば三日ほどでつくという。ただし、三日というのはあくまでも順調に行った場合だ。天候が悪化すれば途端に足止めを食らう。その場合は日程が延びるそうだ。
「向こうへ着いたら、現地の神官に協力を仰ぎますが、その前に、王子が視察に来た事をグレネスの住民に知らせるための歓迎会を開くでしょうから、そこで休めますよ」
「歓迎会ですか?」
「ええ。殿下がグレネスを訪れたことを大々的に伝えるのには、一番効果的ですからね」
今回の旅の目的は「ミアの涙」の入手だが、もうひとつ、リオニア王国はグレネス地方を監視しているとリュトリザに思わせることだそうだ。
「なるほど」
彼の話にいちいち相づちを打ちながら、深奈は隣を行く二頭の馬を見る。
こうして見ていると、本当に大丈夫なのかと疑いたくなる人数の少なさだ。見送ってくれたラガザン将軍は、深奈の不安そうな表情に気づいたのか、ヴェインは王国軍で三本の指に入る剣の使い手であり、自分の部下であるアスルドは一騎当千だから安心しろと言ってくれた。
そこまで断言するからには、恐らく相当強いのだろう。
だが、彼らの強さがどれほどのものかを見たことがないため、やはり不安は晴れなかった。
「そろそろ、森に入ります。山賊やら魔物が出る場所ですが、まあ、平気でしょう」
「えぇっ!」
唐突なアスルドの発言に、深奈は目を見開いた。
確かに、遠くに緑のかたまりが見える。あれが森だろう。今までは開けた草原や、人々が開墾した畑を通って来たので、障害物と出くわすことはなかった。もし何かが襲ってきたとしても一目瞭然。すぐに逃走するなり、迎え撃つなり対策がとれる。
だが、視界の悪い森の中ではそうもいかない。
深奈は、ここへ来たばかりの時、狼に襲われたことを思い出していた。あの時、シュエラが来てくれなければ、深奈は死んでいたかもしれないのだ。
思わず、体に力が入る。
やがて、森へと入ると、途端に針葉樹と葉の落ちた木々に取り囲まれて視界が悪くなる。流れていくそれらを眺めながら、深奈は何ごとも起こりませんようにと祈った。