(4)
廊下を進み、階段をひとつ上がる。そこからは王族が生活する場所だ。とはいえ、深奈が与えられた客室付近とそれほどの違いはない。ただし、全体的に格調高い調度が目についた。
やがて、セリクはある大扉の前で立ち止まった。
扉の手前には衛兵が立ち、困惑した顔でセリクを見て言った。
「これは殿下、ですが、陛下はお休みです。今は……」
「医師は?」
「まだ中で待機しておられます。病状をお訊ねになられるのでしたら、どうぞ」
衛兵はそう答えると、大扉を開けてくれた。美しい木の扉が開くと、そこから天蓋付きの寝台と、手前にある小部屋が見えた。暖炉では火が燃えて、その前に置かれたテーブルでは、白い服を着た老齢の男が、薬草を調合しているところだった。
老医師はセリクに気づくと顔を上げて、驚いたように立ち上がった。
「おお、これは殿下」
「ネアーズ医師、陛下の様子は……」
セリクが問うと、老医師――ネアーズは寝台に顔を向けてから、柔和な笑顔を浮かべた。白髪を後ろで束ね、痩せた老人はどこか鷲を思わせたが、そうして笑うと印象が一変した。
「今日は幾分かよろしいようですよ。何しろ、昨日は吉報が舞い込みましたからな」
「では、少し話をしても?」
「その程度でしたら大丈夫でしょう。おや……後ろの方はもしや」
ネアーズ医師が深奈を見た。深奈は「初めまして」と言いながら小さく頭を下げる。すると、ネアーズ医師の顔に笑みが広がった。
「ほうほう、これはこれは。初めまして『導き手』様、わしは宮廷医師長のネアーズです。お見知りおきを、さて、それでは陛下にお声をお掛けしましょう」
そう言うと、彼はいそいそと寝台へ行き、横たわっていた人物に話しかける。すると、上掛けが動き、しわがれた声が呼んだ。セリクは深奈を振り返ると「行こう」と言った。
ふたりで寝台へ向かうと、そこにはやせ衰えながらも鋭い眼光を持った、威厳ある男性が横たわっていた。年齢は、五十代くらい。髪はかなり白く、左肩の上で束ねられていた。
このひとが国王陛下か、と深奈は思った。
やがて、王は口ひげの向こうから言った。
「セリク、その方がそうか?」
「はい。父上、待ち望んだ『導きの娘』です……その証拠に、俺の呪いを一時的に食い止めてくれました。ようやく、長い間王家を蝕んできた呪いに決着をつけられます」
良く通るはっきりとした声で言うと、王の目もとが和らいだような気がした。
少しして、セリクが深奈に言った。
「声を掛けてやってくれ」
「え、ええと……初めまして。森、深奈と言います、その、王子様の呪いを解くのに、私、全力を尽くさせて頂きます」
「ありがたい、良く、来て下さいましたな、リオニア王国は貴女を歓迎しましょう。
ああ、ようやくだ……ようやくこれでアレフゲルダの予言が動きだす。ならば、わしももう少し生きなければならぬな。再びこの国にリオノスが舞い降りる様を、この目で見たい。
そうだ、セリク、お前に、これをやろう……取るがいい」
王は乾いた唇で弱々しくも嬉しそうに語りながら、骨ばった手を上げ、親指にはめられた指輪を示した。セリクは一瞬ためらった後、ゆっくりとそれを引き抜いた。
ごろりとした重そうな金の指輪で、不思議な輝きを放つ石がはめ込まれている。それは、青に輝いたと思ったら、次は紫、次は赤、その次はオレンジ色と色彩を変えていく。あまりの美しさに、深奈は小さく息を飲んだ。
「まだ、俺がこれをつけるのは早いと思います」
「そうだな、その通りだ。しかし、この国の次の王はお前しかおらん、恐らく、わしの命は長くない、呪いに……ずいぶんと持っていかれたからな。だから、譲っておく。これは正当なるリオニア王の証、勇者の時代からずっと王のみが身につけてきたもので、リオノスの力の一部が埋め込まれている。
今後、お前に何が降りかかるかはわからんが、それを持つことで、決して自分は死んではならぬ存在なのだと、言い聞かせよ。良いな、お前は、絶対に死んではならんのだ」
「……はい」
セリクは強く頷いて、指輪をてのひらの中に握りこむようにして持った。
深奈はそっと彼の顔を見た。目に、微かに光るものを見た気がしたが、それはすぐに消えてしまった。すると、王の呼吸が少し荒くなる。
「おお、王よ、そろそろ休まねばなりませぬよ」
「わかった。導き手の娘、セリクを頼みましたぞ。そしてセリク、決して、わしの言葉を忘れるな」
「はい」
「全力を尽くします」
深奈とセリクの声を聞くと、王は再び目を閉じた。それを確認してから、寝室を出ると隣の居室にある、テーブルの側で暖炉にあたりながら医師が戻ってくるのを待つ。
しばらくの間は、暖炉の薪がはぜる音ばかりが響く。そこから外を見ると、ちらちらと雪が降っていた。部屋は、しんと静まりかえっている。
少しして、小さな音とともにネアーズ医師が戻って来て言った。
「お休みになられました」
「そうか、いつもすまない」
「いいえ。ですが、回復してきていらっしゃいますよ、やはり、導き手様の出現が良い薬となられたようですな」
深奈は肩の上がどんどんと重くなっていく気がした。
当然、途中で投げ出す気はない。だが、これほど厳しい世界で、深奈にどれほどのことが出来るだろう。日本ですら、両親に庇護されて暮らしていたのだ。
不安が心に降り積もって行くのを感じた。
「せめてもう少しでいい、生きながらえて欲しい。俺がちゃんと国を背負える男になった姿を見せて、安心させてやりたいんだ」
「もちろん、全力を尽くします。ですが殿下、どうか、お早く」
ネアーズ医師の言葉に、セリクは頷いた。
「ああ。わかっている、では、頼みます、ミナ、行こう」
「え、うん。それじゃあ、失礼しました」
深奈はぺこりと頭を下げて、退室していくセリクに続いた。すると、セリクはすぐに振り向いて、どこか疲れたような笑みを浮かべながら言った。
「部屋まで送る。その、付き合ってくれてありがとう」
「そんなのいいよ」
慌てて首を横に振った深奈は、不意にもしかしたら王の寿命を少し伸ばせるかもしれない手を思いついた。あくまでも、ただの思いつき。でももし出来たなら……。
そう考えながら、深奈は口を開いた。