(5)
すると、モフオンは勢い良く外へ飛び出し、空中を飛びまわっては深奈を急かすように見る。
「ち、ちょっと待って!」
一方の深奈はと言えば、はきなれない超ロングスカートに苦戦していた。今着ているドレスのすそは、引きずるほどに長いのだ。ウエディングドレスほどではないにせよ、いつも着ている服より布の量が多くて重いため、上手く歩けないのだ。
くつだけはヒールが低かったため、なんとか対応できたものの、縦横無尽に飛び回るモフオンと遊ぶには不向きな格好だった。
(昔の女性ってどうやって走ってたりしたのかな……あ、お姫様だからそんなことしないのか)
そう心の中で呟きつつ、深奈はモフオンの後をゆっくりと追う。
季節は冬の半ば。寒いためか、吐く息が白い。廊下にいくつもある窓から外を見れば、雪が舞っていた。そこからは昨夜あっというまに通り過ぎてしまったうえに、暗かったせいで良く見られなかった城下の街がのぞめ、深奈は「うわあ」と嬉しそうに窓に近寄る。
雪が屋根に積もり、白銀に染まって広がる丘と平原が美しい。
「モ~フゥ~!」
すると、不満そうな声がした。深奈は慌てて「ごめんごめん」と謝ると、飛ぶ速度を落としてくれたモフオンについて進む。しばらくは誰とも行きあわなかったが、やがてちらほら衛兵や侍女などとすれ違う。彼らにはすでに深奈のことが知らされているようで、その都度丁寧なお辞儀が返って来た。昨夜見た彼らは、セリクに対して好感情を向けてはいなかった。むしろ、軽蔑が一番近い。そのためか、あまり良い印象は持っていない。だが、そんな彼らが深奈に向けてきたのは好奇心と期待感だった。その差に、ふと悲しみをおぼえる。
(セリクだって、好きでああなった訳じゃないだろうに……)
一国のたったひとりの世継ぎが課せられる重責と言うのはどれほどのものなのだろう。想像しても、その立場にない深奈にはわからない。それでも、苦しむセリクを見てしまったことで、自分のことしか考えない人々に憤りをおぼえた。
だが、モフオンはどんどん先へ進んでいく。深奈は彼らのことを感情から追い出して、必死にモフオンの後を追った。
このお城探検はとても楽しいものとなった。
深奈は基本的に、家と学校と病院、買い物をする場所や図書館くらいしか行ったことがない。体調を崩すこと恐れて遠出をしたことがなかったからだ。
こんな西洋風の建物、それもお城を歩くことなど、夢のまた夢だった。
深奈は廊下の絵画や、使用人たちが働く場所、騎士たちが生活する場所などなど、結構勝手にさまよったが、咎められることはなかった。
しかし、途中で貴族らしきひとたちが立ち話をしているのを見た深奈は、こちらを向いた青年が、明らかに忌々しいものを見るような目をしたことに驚いた。
思わず別の道にそれる。寄ってきたモフオンに怒られながら、どうしてだろうと考えていると、後ろからに声を掛けられた。
「おや、そこにいる可憐な方は導き手様でしょうか?」
「え?」
振り向くと、やたらと見ごたえのある美形が立っていた。全身を包めそうな紺色のマントをまとい、下には長さが足首まである貫頭衣を着ている。金糸で細かな刺繍が施された衣装は高価そうで、一見しただけでも地位の高さがうかがえた。
青年は怜悧な美貌に微笑をのせ、深奈の返事を待っている。
背が高いので、小さな深奈には顔を見るだけで首が痛い。いつまでも待たせておくのも悪いかな、と思った深奈は、実感が伴わないままに頷いた。
「ええと、そうみたいです」
すると、青年は笑みを深くして軽くお辞儀すると、自己紹介を始めた。
「やはり。初めまして、私はエヴァルト・セヴェルと申します。父はバルデノーア公、母はシルディーヌ王女で、セリク殿下とはいとこなのですよ」
「そ、そうなんですか」
言われて見れば、似ていなくもない。
だが、銀髪に銀色の目で、粗雑ではあるが優しい人なのかもしれないと思わせたセリクとは真逆の印象を与える人物だ。
彼は少し長めの黒髪に、深い青の瞳をした精悍な美丈夫で、鍛え上げられた体躯から、ヴェインと同じように戦う人ではないかと思った。だが、腰に帯びた長剣には美しい宝石が飾られ、鞘に施された細工の美しさが目を引く。
深奈は、われ知らず目の前の青年――エヴァルトに警戒心を抱いていた。
「あんまり、似ていないんですね」
「そうでしょうね……まあ、私としてはそれで良かったと思っていますが」
「どういう意味ですか?」
深奈は、エヴァルトが蔑んだような言い方をしたのに引っ掛かり、問うた。
「まだここへ来て間もないとはいえ、導き手様も少しはご存知でしょう?
殿下は事あるごとに政務を放棄し、脱走をしては臣下の手をわずらわせてばかりおります。また、庶民と話をしてきては、荒唐無稽な政策を議会に持ち込む、その上、立ち居振る舞いも王族らしからぬ乱暴なもの……もうほとんどの貴族が殿下の代で国が終わると嘆いておりますよ」
彼は呆れたような顔で説明してから、深奈を見て慌てて付け加えた。
「ああ、ですが、導き手様がここを訪れて下さったことは皆喜んでおりますよ。リオニア王国が天空神ミアに見捨てられた訳ではないことを証明して下さった訳ですから」
「はあ、それは良かったです」
困惑しながら受け答えしていると、モフオンが小さな唸り声を上げた。
どうやらエヴァルトを威嚇しているようだ。深奈は驚いて、セリクのいとこだという青年を見る。彼は深奈の横を飛ぶモフオンに苦笑をし、肩をすくめた。
「どうやら私はモフオンに嫌われているようだ。それでは、またお会いしましょう」
「はい」
きびすを返して去っていくエヴァルトの背を見送ると、彼は先ほど深奈を忌々しげに見た若い貴族たちの中に加わり、何かを話しはじめた。
(嫌な感じ……この国って、一体どうなってるんだろう)
深奈はこっそりとため息をついた。