(4)
翌朝。
顔がむず痒い。先ほどから何やらもふもふした感触がする。まだまぶたは重く、追い払おうと手を振るが、すぐにもふもふが戻って来てしまう。あまりのしつこさに、深奈は呻きながら目を開ける。何なんだと思いながら目をこすり、感触の正体を見極めようと目を瞬かせていると、「もふぅ~」という鳴き声がした。
「もふう?」
そんな風に鳴く生き物に心当たりはない。モーだけなら牛だし、フーだけなら猫が怒った時にそんな風に鳴くが「もふ~」など聞いたことがない。だが、とても愛らしい声だと思った。
しばらくして、何とかくっついたまぶたをこじ開けると、見えた。
目の前にいたのは仔ライオンだった。
「……」
突然現れたその存在に驚き、深奈はしばらく呆けた頭でまじまじと仔ライオンを眺めた。特に噛みつく様子もなく「遊んで」と言いたげに深奈を見つめてくる。
その仔ライオンの背中には羽根がついており、リオノスを子ども化させたらこんな感じだろうと思われた。そこまで思い至り、深奈はがばりと体を起こした。
もふ~と鳴く生き物は、深奈の枕元にちょこんと鎮座して、首を傾げてこちらを眺めている。ふわふわとした毛並みに、くりっとした目。何とも可愛らしい。今すぐ抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。
だが、待てよ、と思った。ライオン+白い翼。このふたつの組み合わせに、嫌な予感をおぼえ、深奈はまさかと思って青ざめた。
「も、もしかして、リオノスさんが縮んだ? しかも喋れなくなってるし!」
あまりの衝撃に、抱きしめたいという衝動も吹っ飛んだ。すると、離れた扉からくすくすと笑う声がして、深奈はそちらを見た。まだ年の若い侍女だった。昨夜も面倒を見てくれたひとだ。
艶やかな茶色の髪をみつあみにし、灰色の地味なドレス姿をしている。顔立ちは華やかで、どこかで見たような気がしないでもない。その侍女は、楽しそうに言った。
「違いますよ、その子は『モフオン』と言うんです。アレフゲルダが二度目にこの城を訪れた際、くっついてきたんだそうですよ。
この国に伝わる勇者の伝説では、モフオンはリオノスの息子だと言われていますけど、それ以外にも、リオノスとはまた別の翼獅子の種族名だとか、聖獣であるリオノスの先触れの役割をする精霊だとか言われています。
珍しいものでは、モフオンが成長して、あるいは多数合体してリオノスに変化するという伝説まで残ってるんですよ」
洗面桶を運びながら、その侍女は丁寧に説明してくれた。やけに詳しいなと思っていると、彼女ははにかみながら、
「おはようございます。導き手様。私、アミラと言って、モフオンマニアなんです。モフオン関連の物を集めるのが趣味で、夢はモフオンと暮らすことでした。ですから城で働かせて頂いているんですよ、この仔、ずっとこの城から離れないという話でしたから」
「そ、そうなんですか」
気づけばすりすりと体をすりつけてくるふわふわもふもふした生き物と侍女――アミラを交互に見ながら、深奈は生返事をした。思わずごくりとのどが鳴る。
非常に愛らしいが、爪も牙もちゃんとあり、変なことしたら怪我しそうだ。それでも手を伸ばして撫でてあげると、嬉しそうに「モフゥ~ン」と鳴いた。
「まあ羨ましい! 私にはなかなか懐いてくれなかったのに。やはり導き手様だってわかっているのね」
「そ、そういうものなんですか?」
可愛いが懐かれる理由が全く見当たらない深奈は、困惑しつつ問う。すると、アミラは悔しそうでもあり羨ましそうでもある視線を深奈に向けながら言った。
「ええ。モフオンはリオノスと関わりが深い生き物ですから、天空神ミアの祝福を受けている人間にしか懐かないんですよ。以前、他国の方がこの国を訪問なされた際などは、牙を剥いて威嚇してました。恐らく、他の神の祝福を受けておられるか、神の祝福を全く受けていないかのどちらかでしょうね」
「はあ……」
そう滔々と説明されても「神の祝福」がいかなるものなのか、また、受けている人と受けていない人にはどういった違いがあるのかなど、わからないことだらけの深奈にはあまりピンと来ない。
「あら、私ばかり話してしまって申し訳ありません。もうすぐ朝食が運ばれてきますから、それまでにお支度を済ませてしまいましょう。
導き手様が着ておられた異国の衣服は、今洗濯場に出しております。後でお届けいたしますので、今はこれをお召し下さい」
そう言って示されたのは、お姫様――と言っても西洋のだが――が着るようなひらひらした布地をたっぷり使ったドレスだった。深奈はモフオンを撫でる手を止め、思わず見入る。
紫の色みを帯びた、薄桃色のドレス。可愛らしいが、決して子どもっぽくない。
(あんなの、私が着てもいいのかな……)
と思っていると、近寄ってきたアミラに腕を引っ張られて立たされ、服を強制的に脱がされる。
「あ、あのっ!」
「時間がありません。ちょっと乱暴にしますけどご容赦くださいませね」
にっこりと笑ったアミラの顔を、深奈はしばらくの間忘れることが出来なかった。
やがてドレス姿にされ、髪を後ろで髷に結われる。全てが終わって、寝台のある部屋と続き部屋になっている場所に置かれた椅子に掛けて、恥ずかしさに耐えながら暖炉の火を眺めていると、朝食が運ばれてきた。
温かい魚介のスープと、焼きたてのパン、何やら海老に似たものを使ったサラダらしき和え物料理などなどが並べられている。特に深奈の目を引いたのは、香ばしい木の実を使った、美味しそうなタルトみたいなケーキだった。
ここは異世界だが、それほどの違いは感じない。屋台で食べたライメンもそうだが、似たような料理と素材が良く見られるため、深奈は抵抗を感じることもなく食事をはじめた。
食事中もモフオンは深奈の食べるものに興味を示したり、足もとにすり寄ってきたりしていた。
食事を終えると、不思議な香りのする黒っぽいお茶を出される。コーヒーのようだが苦くない。それを飲み終えるのを見ると、アミラは言った。
「今日の午後、小会議室にて、今後についての話し合いが行われる予定ですが、それまでは特に何もありませんので、よろしければ城内を散策などしてみたら良いと思いますよ」
「でも、迷子になりそうで……」
「大丈夫、その子が案内してくれますから」
アミラはそう言うと、すぐに食器を下げ、どこかへと行ってしまった。部屋に残された深奈は、しばらくぼんやりしていたものの、次第に退屈になり、椅子から立ち上がるとモフオンを見た。
くりっとした目が深奈を見る。可愛いが、この仔ライオン、もとい、モフオンに案内など本当に出来るのだろうか。だが、こうしていても何もすることがない。
深奈は意を決して言った。
「外、案内してくれる?」
「モフゥ~ン!」
途端、モフオンは扉に向かって飛んだ。こちらを見て、開けてと言っているように見える。深奈は言ったことがわかったのだろうかと驚きながらも、扉を開けた。