(3)
後ろから「おお」といった感嘆の声が聞こえた。
続いて、そでをまくりあげられる。細い腕がさらされ、深奈は少し恥ずかしくなった。やがて二の腕までまくられると、そこには青みの強い紫色の入れ墨のようなものがあった。
綺麗な模様で、かぎ爪につる草がからんだような感じのものだ。
「間違いありません、ミアの祝福も……しかも、王家の方よりも遥かに強く受けていますね」
「こいつは素晴らしい! なら、ようやくセリク殿下の呪いも解けるということだな!」
ひと際大きなだみ声で言ったのは、大きな剣を所持した、厳つい三十代後半くらいの男性だった。
ここに来てからあまり見たことがないタイプだ。もしかしたら人種が違うのかもしれない、と深奈はこっそり思った。
「ラガザン将軍、それは気が早い。お忘れのようだが、『導きの娘』が現れたということは、影も現れたということなのだぞ……全ては始まったばかりなのですぞ」
ロイゼ宰相がシワだらけの顔を歪めた。
「そうですね。アレフゲルダの予言は必ず的中しますから、恐らくすでに『影』なる存在も動き始めているのでしょう、警戒するに越したことはありません」
エレが静かにうなずいた。
「何はともあれ『導きの娘』が現れた以上、事態は動くだろう。今日はもう遅いが、明日は陛下を交えて今後についての打ち合わせだ、そこでどうするか決めりゃいい。と言う訳だ、殿下、いい加減脱走してまわりを困らせんのはやめるこったな」
「わかってるさ」
ラガザン将軍はセリクの側まで歩み寄りながら言うと、その背中をばしばし叩いた。
何だかとても痛そうだ。
「ならいいさ、それにしても中々可愛い子じゃないか。まあ、俺の妻には叶わないが、そうだ、まだ名前を聞いていなかったな」
豪快に喋りながら突然向けられた質問に、深奈は戸惑いながらも自己紹介した。
「み、深奈です。森深奈」
「ほう、やはり異世界人らしい名前だ。ミナ、これからこいつをよろしくな」
「は、はあ」
困惑して曖昧な笑みを浮かべた深奈を、エレが苦笑混じりにいたわってくれた。
「将軍、そんなに大声を出されたら驚きますよ。さて、もう今日は遅いですから、休みましょう。こうなった以上王子も脱走したりしないでしょうし、客間のひとつを用意させますから、そこでゆっくりとお休みなさい。食事が必要なら運ばせますよ」
「ええと、ありがとうございます」
「いいのよ。ただ、ひとつだけ確認しておきたいのだけど……貴女は、私たちに強力してくれると思っていいのかしら」
エレが問うと、周囲の空気に張りつめたものが生まれた。突き刺さる視線に、断る選択は残されていないと深奈は思った。当然、断るつもりなどない。
「はい。私はそのためにここに連れて来られたんです……白い翼のあるライオンに。ただ、具体的に何をすれば良いかはあまりわかっていませんけど」
そう、今の深奈にとって一番の問題はそのことだった。
一体どうやってセリクの呪いを解けば良いのかがわからない。自分に課せられた役目は、一体何なのだろうか。「導き」と言うくらいだから、彼をどこかへ導くのか、それとも、もっと違う何かを指しているのか。せめてリオノスがまた現れてくれれば、と思っていると、エレをはじめとしたこの国の重鎮たちの視線が険しいものから驚きに満ちたものに変化していることにようやく気づく。
「あの……? どうかしたんですか」
「驚いているんだ。さっきは俺も驚いたし、凄く嬉しかったからな。リオノスはそれくらい、この国にとっては大事な聖獣なんだ」
セリクの言葉に、深奈はそうなのかと思った。
まだこの世界について詳しいことまでは理解していないためか、事の重大さがいまいちわからない。それでも、目の前でこの国では恐らく権力の頂点付近にいるだろう人物たちが驚愕しているのを見れば、あの翼あるライオンがどれほど重要なのか理解出来る。
「それで『導き手』様、貴女をここへお連れしたと言うリオノスはいずこに……?」
「それが、ここへ来る直前に凄い衝撃を受けて、はぐれてしまったんです。こう、横から衝撃波が来るような感じで……その後は一切会えていません」
「衝撃波……ですか」
深奈の言葉に、エレが流麗な眉をひそめる。
「やはり、我々とリオノス、ひいてはミア神との繋がりを断とうとする輩がいると考えて間違いないかもしれませぬな。それこそが、予言されていた『影』だと考えるのが妥当でしょう」
ロイゼ宰相が難しい顔で言う。
深奈は、あの時受けた恐怖を思い返しながら、リオノスが無事であることを祈った。彼がもしいなくなってしまえば、深奈は永久に日本に帰れない。それだけでなく、この先どんな風にセリクを助ければいいのか見当もつかない。
今の深奈に出来ることと言えば、呪いの進行を遅らせることくらいだ。
それでは困る。
「何にせよ、リオノスや天空神が俺たちを見捨ててはいなかったことがわかっただけでも儲けもんだな。希望があるかないかでは、ずいぶんと違うもんだ。
何より、導き手様がいるということは今までとは格段に状況が変わったという事だ。
勇者の血筋でしか成しえなかったことが成せるということだからな」
「そうですね。少なくとも、私たちには導き手様が与えられた。アレフゲルダの予言にあるように、呪いを解くための鍵は、かつて勇者が訪れた場所に眠るとされています。
呪いを解くには、銀竜の体の一部がどうしても必要。予言にある『光の場所』とは恐らくその地を見つけ出す力のことでしょう。かの竜はリオノスと同じく幻獣、彼らの住む地を訪れることが出来たのは、異世界の垣根を越えられた勇者のみでしたから」
黙って彼らの話に耳を傾けていた深奈は、どうすればいいのだろうという迷いが晴れて行く気がした。エレが口にしたこと。すなわち、銀竜の眠る地を探すことが、深奈の役割なのだ。
全員がエレの説明にうなずき、納得しているなか、深奈は訊ねた。
「……あの、それじゃあ私にはその場所を見つける力があるんでしょうか?」
一斉に視線が深奈を向く。
最初に答えてくれたのはやはりエレだった。
「もちろんですとも。かの勇者も、森を歩いていたら迷い込んでいたという程ですから」
「じゃあ、私はそこを見つければいいんですね?」
深奈の問いに、エレは「ええ」と穏やかな笑顔で応えてくれた。やるべきことが見つかった。その安心感に、へたりこみそうになる。正直、へとへとだった。
セリクを見やれば、彼も疲れたような顔をしている。それが何だかおかしかった。やがて、ロイゼ宰相にラガザン将軍、セリクとヴェインが神殿を出て行き、残された深奈は、エレに導かれて客室へと連れて行かれた。
それからは、侍女に面倒を見られ、ワンピースのような服に変えさせられて、運ばれた食事を食べた。味は良く、やがて侍女が退室していくと、ふかふかの寝台に横になる。天蓋つきの、お姫様が使っている様なベッドだった。
今日はずいぶんと色々なことがあったな、と思いながら、深奈はすとんと眠りに落ちたのだった。