呪われた王子 (1)
それは幼い頃の微かな記憶。
なぜそこにいたのかは覚えていない。ただ、広い野原で遊んでいた。たったひとり、花を摘んで編もうとしては失敗する。どうしてもうまく出来なくて、ふてくされて帰ろうかと思ったとき、それを見つけた。シロツメクサの絨毯に埋もれるように落ちていた、純白の中に金色が混じった美しい羽根だった。
おもむろに拾いあげると、軽くて、陽ざしにキラキラと輝いた。
「きれい」
もう、花冠をうまく編めなかったことなど頭から吹き飛んでいた。すると、ふいに声がしたのだ。
「きみにはそれが見えるのかい?」
「……だぁれ?」
声のした方を振り向けば、白い少年が見えた。今まで見たこともないほど綺麗な少年。彼の側には黒い髪をした同じ年頃の子どもがいた。今にも泣き出しそうなその子どもを見てから、手にした羽根に視線を戻す。
「ねえ、これあげる! だから泣かないで」
子どもはびっくりした顔でこちらを見て、恐る恐る手を伸ばすと羽根をつまみあげ、恥ずかしそうにうつむいて小声で言った。
「ありがとう」
その声が響いたあと、彼らはまるで霞のように消え去ってしまった。
後に残ったのは、ただぼんやりとした記憶だけで、しばらくするとほとんど忘れてしまった。それでも、あれが夢であったとは、未だに信じられないでいた。
彼らが誰なのか、どうして現れたのかは、それから十年の後に知ることになる……。
◇
冬休みの夜、森深奈は窓の外に雪が舞い落ちてくるのを見て、立ち上がった。それまでこたつに突っ込んでいた足を引きぬくと、一気に爪先が冷える。それでも深奈は足を止めずにガラスの引き戸を開けると、手を差し伸べた。
ふわり、と雪のかけらが舞い落ちて、一瞬針で刺したような痛みを残して溶け消える。
その様子に、深奈はほほ笑んだ。
「この水はどこから来たのかな」
呟いて、深奈はこたつのテーブルの上に広げた写真誌を見やる。それは、世界の綺麗な自然風景を集めた写真集で、深奈の愛読書のひとつだった。
と言うのも、深奈は小さい頃から体が弱く、年中熱を出して寝込むことが多かったので、あまり外出自体をしたことがない。それは高校生になった今も変わりない。
アレルギーにも悩まされているし、消化器が丈夫じゃないのか、変なものを食べればお腹をこわす。そのせいで、今まで旅行らしい旅行はしたことがなかった。
学校の修学旅行すら、熱を出して小・中校とも行けなかったくらいだ。
そのため、深奈の夢はいつかこの身体を丈夫にして、写真に載っている場所に行くことだった。
「どこか遠くへ旅出来たらいいのにな~」
手に次々と舞い落ちる雪片を見詰めながら、ぽつりと呟く。
その時だった。深奈の目をほんの一瞬閃光が焼き、思わず小さく悲鳴を上げて目を閉じる。心臓が早鐘を打つ音を聞きながら、深奈は目を開け、さらに口も開けた。なぜなら、目の前には光に包まれた大きなライオンがいたからだ。
「な、な、何」
不思議と怖い感覚はなかったが、それでもライオンが宙に浮いている姿に、思わず腰が抜け、床に尻もちをついた深奈の頭に、突然声が響いた。落ち着いた男性の渋い声だ。
思考が停止状態になってしまっている深奈の都合などおかまいなく、ライオンは一気に語りだす。
『あなたにお願いがあってやって来ました。
私が守護する国では今、ひとりの少年とその家族が苦しんでいます。私の主が唯一消せなかった呪いのせいで、少年はいつか人を食う化け物に変わってしまうのです。
彼は王子であり、失われれば国が混乱し、大勢の人々が苦しむことになるでしょう。
その呪いを解くには、呪いを掛けた銀の竜が眠る地を探さなければなりませんが、そこは只人には見つけられない場所にあります。私の主と同じこの世界の人間でなければ見つけられないのです。
今、貴女は遠くへ行きたいと願った、だから私は貴女の呼び声に応えた。この頼みを聞いて下さるのなら、私は貴女の最も欲するものを与えましょう』
にわかには信じられない話だった。それよりもまず、目の前で光の粒子を全身にまとい、白鳥のようなまばゆい純白の翼を生やしているオスのライオンが喋っているのだと理解するのに時間がかかった。
「なにこれ、夢でも見てるの?」
目をこすり、古典的だが頬をつねるが結果は同じ。
『残念ながら真実です。さあ、答えを』
ライオンは問い、ばさりと翼をはためかせる。深奈は、突然訪れた展開について行けずに、どう答えたものか悩む。
なにしろ果てしなくうさんくさいのだ。
すぐに答えが出る訳もない。とりあえず、ひとつひとつ確認してみることにする。
「あの、ようするに私が異世界に行って王子様を助けるの?」
『ええ、そうです』
「全部終わればこっちに戻ってこられるの? 願いは何でもいいの?」
『戻れます。責任を持って戻します。願いごとは私に可能な範囲に限りますが』
深奈は、自分の部屋の本棚に目をやる。そこには異世界へ旅して世界を救った子どもたちの話があり、今の状況がまさにそれだと気づいた。
その上、翼のあるライオンは王子を救う手助けをすれば、願いを叶えてくれると言う。
――もしかしたら、私の夢が叶う?
「私がそっちに行っている間、こっちでも時間は進んじゃうの? お父さんとお母さんに心配かけたくないし……学校は休めないし」
『それも大丈夫です。あなたを今お連れした場合、今より1分ほど後のこの場所に戻して差し上げることが可能ですから』
「どのくらい危険なの?」
『あなたに危険が及んだ場合は、私が現れて守ると誓いましょう。さあ、答えを、王子の呪いは今この時も進んでいるのです』
ライオンは唸り声を上げる。深奈は、もしかしたらこれはこたつでうたた寝した自分の見た夢かもしれないと考えた。体が丈夫になることを願うあまり見た都合の良い夢。それなら、もう少しだけつづきを見てみたい。
だから答えた。
「わかった、手助けに行く」
『願いは?』
「旅が出来る丈夫な体が欲しいの。滅多に病気なんかしない、どんなものでも食べられる体になりたい。それから、色々な場所に自分の足で行きたい!」
この間の正月に、神社でしたものと全く同じ願いを叫んだ。
『分かりました、それでは私の背に乗って下さい』
ライオンの言葉に、深奈は顔を引きつらせた。