1.『創世の書』
~ ユーテシア王国 晃緑の宮 ~
優とティアナ王女は王宮の中庭にある、小さな庭園に来ていた。季節毎の花が咲き誇り、常に甘い香りがしている王女のお気に入りの場所だった。
優は王女をベンチに座らせて、自分はその脇で踵を合わせて皇族に対する姿勢で立っていた。
「どうぞ、お座りください。ユウ様」
「はっ。しかし…」
王女と並んで座るなど、普通なら畏れ多いことである。
「二人でいるときは、堅苦しいのは無しにして下さいね。さぁ、どうぞ」
「はい。ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
そういうと優は1つ礼をして王女の隣に腰を下ろした。誰かに見られて誤解されないように、わずかに距離を開けてある。
「先ほどはごめんなさい。急に泣いたりしてしまって」
王女は、はにかんだような笑顔を見せた。その可愛い笑顔に優も思わずドギマギしてしまう。
「い、いえ。お気になさらずに」
「本当に嬉しくて、つい… 毎晩夢みていたもので…」
「え?」
最後の方が聞き取れなくて優が聞き直すと、王女は、真っ赤になりながら慌てて言った。
「あ? いえ! 何でもありません!」
王女は赤くなる頬を両手で押さえて、下を向いてしまった。
そんな王女を優は暖かい眼差しで見つめた。本当に可愛らしいお方だ。腰辺りまである輝く銀髪がさらさら流れ落ちる。
小作りの顔にクリッとした緑の目が感情豊かに動く。小柄な方だが、この1年で割りと背が伸びたようで、大人への道を登り始めた感じであった。いつも優しく控えめで、それでも王女としてしっかりした部分をちゃんと持っていた。
「本当に心配しておりましたのですよ」
「はい。ご心配お掛けして申し訳ありませんでした」
律儀に頭を下げる優に、王女はクスリと笑った。
「でも、これでユーテシアも安心ですわ」
「いえ、私にできることなど何もありません。またいつ戻されるか判りませんし…」
優がそう言うと王女も困ったように言った。
「それは、どうにもならないものなのでしょうか?」
「そうですね…私もその方法を探しているのですが…神さまが何処にいるのか手掛かりもないので…」
王女は小さく首を傾げて聞き返した。
「神さま…それは神が王のことでしょうか?」
「はい。そうです。『創世の書』というのはご存知ですよね?民衆の間で語られる民話のようなものですが」
「聞いたことはあります。あまり詳しくはないのですが…」
申し訳なさそうに言う王女に、優は優しく笑い掛けながら言った。
「その中に、私の世界と、こちらの世界の関わりを語った部分があるのですが…」
『創世の書』は語る。
【創世の時、世にニ柱あり。
一柱は精霊が王。もう一柱は神が王。
精霊が王は世に大地と生命と精霊を創り、
神が王はそれらに意識と知恵を与えた】
「元々は私の世界もこちらの世界も1つの世界だったようです」
「まあ、それがなぜ別れてしまったのでしょう?」
優の聞きかじりの知識にも、王女は真剣に聞いてくれる。
「精霊が王は始めに3つの人を作ったらしいです。エルフ、ドワーフ、そして人間です。それに神が王はそれぞれに知恵を与えました。エルフには精霊魔法を、ドワーフには物を創り出す技を、人間には知識を。初めのうちは3種族とも、仲良く暮らしていましたが、それぞれの数が増えるに従って争いも増えるようになってしまったのです」
「まあ。いつの世も争いは絶えないのですね」
王女は長いまつげを伏せてそっと呟いた。優は小さく頷くと先を進めた。
「そして、そのうち知識を与えられた人間が勢力を拡大していき、その人間の中で神が王を唯一の主として崇めるべきだと唱えるものが現れ、その考えが広まっていったようです」
「なんと愚かなことでしょう。精霊が王の加護無くして生きていくことなどできませんのに」
「そうですね。知識を与えられたばかりに自分たちが選ばれた者だなどと思い込んでしまったようです。そのために幾多の争いが繰り返され、多くの生命や森が失われたそうです。“乾きの地”もその傷跡だと言われています」
「まあ、なんて恐ろしい…」
そう言うと王女は、形の良い眉をそっと顰めた。
「そして、その人間たちは、遂に神が王から与えられたものではないものを産み出してしまいました」
「…混沌の精霊魔法…」
王女の囁きに、優は重々しく頷いた。
『創世の書』は語る。
【愚かなる人間、混沌の力をもって、世界に禍をもたらさん。
神が王、これを憂いて、愚かなる人間滅せようと図らん。
精霊が王、慈悲をもって此れを止めん。
故に神が王、混沌の力、世の果てに封じ、
愚かなる人間と共にこの世から消え去らん】
「そうして出来たのが、私の世界のようです」
「ユウ様の世界…では、そこに神が王がいらっしゃるのですね?」
「それが…わからないのです」
苦笑しながらいう優に、王女は不思議そうに尋ねた。
「わからない? でも神が王はその人間たちと共にユウ様の世界に行ったのでしょう?」
「そうらしいのですが、私の世界では神というのは、伝説や物語の中でしか存在しないのです。姿を見ることも声を聞くことも叶いません。神を信仰する宗教というものはありますが、そのどれも直接神を感じられるものではないのです」
「どういうことなのでしょう?」
こちらの世界には、宗教や信仰するという概念がないので、王女にはよく解らない内容であった。
「遥か昔から“神”という概念はありました。しかし、それらは嵐や日照り、水害など自然の脅威を治めたいが故に人間が創り出したものだったのです」
古代では神とは自然の力を具人化したものであった。太陽を最高神として崇めていたのも、天候が生活に多大な影響を及ぼすためである。それから時代が進み、自然の猛威を克服できるようになると、より人間に近しい存在としての“神”という概念が、救いを求める人々の間に広がり、それが国家と結びついてその影響を広めていった。そこでもやはり唯一神という信仰から争いが絶えない。
「しかし、私の世界には神はどこにもいないのです。救いを願っても全てが叶えられる訳でもありません。過去に何人かは神の声を聞いて、それを人々に伝えたという者がいましたが、それも神の存在を証明するものではありませんでした。まして科学の進んだ現在では、大多数の人は日頃神の存在を意識もしていないのです」
「カガク…それはユウ様の世界の魔法のことですね」
優は、以前に王女と話をした中で電話や飛行機などの科学のことに触れたことがあった。具体的な説明をしても難しいので、ある種の魔法であると話していた。
「そうです。神にも等しい力を手にした人々は、より神を信じなくなったのです。私もその一人でした。でもこちらの世界に来て、本当に神は存在するのかもしれないと思うようになりました。でもどうやったら神と接触できるのかは、さっぱり判らないのです」
「そうなんですか…残念ですね」
心底残念そうに王女は言うと顔を伏せた。長い髪がその表情を隠す。
「もし、わたくしが神が王にお会いできたなら…ユウ様を連れて行かないでとお願いしますのに…」
「え?」
囁くように言った王女の言葉が聞き取れず、優が王女の顔を窺うと、王女はハッと顔を上げて急に立ち上がった。
「い、いえ! なんでもありませんの!」
真っ赤な顔で慌てて走り出そうとすると、王女は石畳に躓いてバランスを崩した。
「キャー!」
「!? 王女!」
咄嗟に優は飛び出して、回転して地面に倒れる寸前で王女を抱き止めた。
「大丈夫ですか?」
王女はちょうど仰向けに優の右腕に抱かれた格好にあった。目の前に心配そうな優の顔があった。
「あ…」
急な接近に、王女は鼓動が早まるのを感じた。みるみる頬が上気するのが自分でわかった。それでも王女は何も言わず、そっと目を閉じ、その清楚な唇を心無し突き出すようにした。その瞬間を待ちわびる。
「ティアナ…王女…」
優は王女を抱き留めて、ある思いを抱いていた。