Ⅱ.異形の精霊
~ 精霊の森 ~
優たち騎士団は精霊の森を現場へと急いでいた。森の入口までは馬で来ていたが、森の中では馬は邪魔になるので、今は全員徒歩だ。現場は入口からするとほぼ森の反対側だった。そちら側へはほとんど人の行き来がないので道などはない。気ばかりが焦ってなかなか進まない。また森の結界のため決まった場所からでしか入れないことが、さらに道程を遠くしていた。
焦げ臭い匂いが漂ってきて、辺りには薄っすら煙が充満していた。優たちはやっと現場に辿り着いて、その状況を見て愕然とした。美しかった森の木々は見るも無残に焼け焦げていた。しかもまだまだ火の手は衰えていなかった。
先行していた精霊魔法部隊が既に消火活動を行っていた。サベンジ将軍の指示で騎士団もすぐに消火にあたった。精霊魔法が使える者は水系の魔法で、使えない者は火の着いた枝を切り払って延焼を防ぐなどを行っていく。
優は消火の傍ら敵が潜んでいないか警戒にあたっていたが、そこで見慣れた後ろ姿を見つけた。
「レミューリア! 来てたのか」
呪文の途中だったレミューリアは、チラリと優を見やったが、そのまま呪文を完成させた。目の前にできた白く淡い光の球を両手で押し出すようにすると、光の球は四つに分かれて四方に飛んだ。それらは飛翔するうちに拡散し、白い靄のようになって燃え盛る炎を包み込んだ。水球や水流の魔法では、木々に必要以上にダメージを与えてしまうため、霧雨を圧縮したような状態にして放ったのだ。四方から激しい蒸発音がして、見る間に火の手が小さくなっていったが、まだ火の芯が残っているように燻っていた。レミューリアはそれに怪訝そうな顔をした。今放った精霊魔法は決して弱くはない。普通なら完全に消火できるはずだった。
「さすがだな! レミューリア。一気に消えたな!」
優は素直にレミューリアを賞讃した。さすがにそこらの精霊使いとはレベルが違う。しかし、レミューリアは厳しい表情を崩さなかった。
「どうした? 何かあったか?」
「…なんか変なのよ。あの火は普通じゃないわ…」
「普通じゃない? それはどういう…」
そう話している間にも、消したはずの火が再び燃え上がってきた。
「これは、一体…」
燃え上がる炎の中から、幾人もの小さな火の精霊が踊り出してきて、炎を煽るように飛び廻った。こちらでは良く見掛ける光景だが、優は何か違和感を覚えた。その違和感を探るうちに、優はハッと気付いた。その火の精霊たちの容姿が普通ではないのだ。総じて精霊は皆整った容姿をしているが、この火の精霊たちは、歪んでいた。
「レミューリア…あの精霊たちはどうして?」
レミューリアはそれに重々しく首を振った。
「私にも判らないわ…あんな歪んだ精霊、初めて見たわ…」
そこで、優は虚空に呼び掛けた。精霊のことは、精霊に訊くのが手っ取り早い。
「アツコ」
≪あいよ≫
優の目の前に火の精霊のアツコが即座に現れた。
「アツコ。あの精霊たちは何なんだ?」
アツコは優が指差した方を見て、そして愕然とした。
≪…なにあれ…何なんだよ…あいつらは…≫
「え? お前にも判らないのか?」
優はアツコの意外な反応に驚いた。上位精霊のアツコも知らない火の精霊がいるのか。
「とりあえず同じ火の精霊だろ?なんとか火の手を治めないといけないんだ。あの精霊たちを散らしてくれ」
≪…あ、ああ。やってみる≫
そう言うとアツコは、その精霊たちの方へ飛んでいった。
≪おい! お前らなにもんだ?! 森に火なんか点けやがって! おら! あっち行けよ!≫
アツコは怒鳴りつけながら、その精霊たちを追い払おうとするが、精霊たちはまるで聞こえないかのように奇声を上げて暴れていた。
≪あっ! こら!! そんなとこにまた火を! やめろよ! この!!≫
≪キー! キケケケケー!≫
いくらやってもまるで効果がなかった。アツコは信じられないという顔をしながら優のところへ戻ってきた。
≪…駄目だ。あいつら、全然話が通じない≫
上位精霊のアツコにも御し得ないものとなると、かなり異質なものに違いない。
「そうか…やはり正攻法でいくしかないか… リョウコ?」
≪はい≫
今度は水の精霊のリョウコが現れた。
「レミューリアに手を貸してやってくれ。レミューリア、とりあえず精霊魔法でなんとか抑え込むしかないようだ」
「そのようね。でも、リョウコちゃんが手伝ってくれるなら、かなり助かるわ。優はどうするの?」
「俺は、泉を探してくる」
「泉?」
優の答えにレミューリアは怪訝そうに訊き返した。
「ああ。集められるだけ集めて来ようと思ってな。…フウコ」
≪ほーい≫
「フウコ。近くの泉に案内してくれ」
≪私が参りましょうか?≫
リョウコが遠慮がちに言った。確かに泉のことはリョウコの方が詳しいかもしれない。しかし優は首を横に振った。
「いや、リョウコはここで可能な限り消火を進めてくれ。…フウコ、頼む」
そういうと優はすぐに風の精霊のフウコと泉へと向かった。レミューリアはそんな優の背中を羨ましげに見送った。慣れたとはいえ、優の力には呆れてしまう。普通なら呪文を紡いで召喚する上位精霊を一声で呼び出してしまうのだ。とても自分には、いやこの世界の誰にも真似のできない。羨んでも仕方がない。レミューリアは肩を一つ竦めると自分の仕事に戻った。
「さて。気合い入れていくわよ。リョウコちゃん、お願いね!」
声は聞こえないが、リョウコが頷くのを見て、レミューリアは早速呪文を紡いで精霊魔法を放った。リョウコによって数倍威力が増した精霊魔法が次々と火を消し去っていった。
優は森の木々を避けながら全力で走っていた。
「フウコ! どの辺だ?!」
先を飛んでいるフウコに確認すると、フウコは飛びながら器用に後ろ向きになってのんびり言った。
≪えーとねー。もうすぐよー あ、そこ右ねー≫
喋り方は間延びしているが、さすがに風の精霊だけあって動きは早い。さっと右に転進して木々の間をすり抜けていく。こちらの身体の大きさはあまり考えていないようで、優は時々廻り道を強いられた。
少し走って、地面近くまで垂れ下がった枝を潜り向けると、目の前に静かな泉が現れた。周囲を鬱そうとした木々に囲まれて、まるで外界から隠れているかのような泉だった。水面は小波一つ立たずまるで鏡のようだ。優はその美しさに見惚れていたが、すぐに我に返った。そして水際にしゃがみ込むと、そっと水に手を浸した。優の手を中心に波紋が広がっていく。まるで眠っていた泉が目を覚ましたようだ。
「…頼む。力を貸してくれ…」
優がそう呟くと、変化はすぐに現れた。泉の中央付近がぼうっと青く光り始め、浮かび上がるように水の精霊たちが現れた。多くは青い光りの球だが、中にはおぼろげながら姿が見て取れる精霊もいた。しかしリョウコほどはっきりとした姿の者はいないようだ。精霊たちはフワフワと漂ってきて、優の廻りに集まってきた。優は精霊たちに優しくお願いした。
「みんな、森を助けてくれ」
優の願いに応えるように精霊たちは、自らの光りを瞬かせた。
「ありがとう。フウコ、頼む」
≪はーい。じゃあ、みんなーこっちねー≫
そういうとフウコは泉の真ん中に飛んでいった。水の精霊たちも素直にそれに従う。普通、例え上位精霊だろうと、他の種の精霊に強制力はないに等しい。しかし、優がお願いしたこともあって、今回は言うことを聞いてくれているようだ。
水の精霊たちは水面近くに集まって、更に精霊を集める。青い光りがどんどん広がっていく。フウコはその上空でのんびりと眺めていたが、光りが泉全体に広がったのを見て小さく頷いた。
≪じゃあ、いってみよーかー≫
フウコは両手を真横に伸ばすと、その場でクルリと回転した。たったそれだけの動作で、強い旋風が発生して泉が激しく波立った。そして次第に泉が渦を巻き始めて、水面が徐々に盛り上がってくる。
≪よーし。いっちゃえー≫
フウコが両手を頭上に振り上げると、巨大な竜巻となって水が吸い上げられていく。轟々と音を立てて昇る水流を、優は声もなく呆然と見ていた。吸い上げられる水が途切れ、上空に目を向けると、巨大な水の固まりが渦を巻きながら森の方へ飛び去っていった。
優は暫し呆然とそれを見ていたが、ハッと我に返った。
「……しまった… また、やり過ぎたかもしれない……」
戻ってからのレミューリアの顔を思い浮かべて、優は大きく溜息をついた。そして、重い足取りで泉を後にしたのだった。
そんな優を泉は静かに見送っていた。