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精霊戦記 -黄昏、そして輝き-  作者: osm_tkg
第1章 第4節
16/27

Ⅰ.封印の扉

~ 混沌の地 封印の廟 ~


 淡く光る巨大な扉の前で、1人の男が額から流れる汗を拭おうともせずに、一抱えもある古びた書物に視線を落として何事かと呟いていた。

 そこは造りとしては神殿の礼拝堂に近いが、人の背丈の5倍はあろうかという巨大な扉以外には何もない空間だった。ただ周囲の壁から、天井、床に至るまで、びっしりと文字のような物が刻まれている。ここは、ガルト帝国の西に横たわる、何人をも拒む混沌の地の縁に造られた古い遺跡であった。創世の時代に造られ、神が王が呪われた混沌の力を封印した場所だと伝えられ、”封印の廟”と言われていた。

 その男、若きガルト帝国皇帝シュヴァルツは、左手に書物を抱えたまま、右手の人差し指で空中に何か描くように動かした。指先が通った軌跡が淡く輝きを放ち、それは見慣れない文字を形作っていく。一文字描ききる度にその光文字を扉の方へ押しやるようにする。光文字は掌に押されたかのように僅かに揺らめいて消えていく。そんなことを何十回と繰り返していくうちに、徐々に呟きが大きくなっていく。

「……yahmayahne…jyvirl…marvolt… 我、神が王に連なる者なり…」

 右手の速さも増し、次々に光文字が描かれ、そして消えていった。

 変化は唐突に訪れた。扉の周囲に光る直線が現れ、ゴゴッという何か非常に重い物を引き摺るような音が響き、巨大な扉がほんの僅かに手前に動いた。そして、その扉の隙間から何かが滲み出てきた。暗闇の中でさえ更に暗い影。その影はまるで生き物のように蠢き、隙間から這い出ようとしているかのようだった。

 シュヴァルツは右掌を扉に向け短く唱えた。するとその影は蛇のように細くうねりながら、ゆっくりとシュヴァルツの方へ伸びていく。そして掌の手前で巻き取られるかのように丸い固まりになっていった。

 隙間から滲み出てきた影が壁に刻まれた文字に達した途端、全ての文字が一斉に光を放った。まるで太陽が部屋の中に出現したような強烈な明るさだった。広がりつつあった影は、その光に押し戻されるかのように再び扉の隙間の中へ後退していき、扉も再び重い音を立てながら閉じられていく。シュヴァルツへと伸びていた影も途中で断ち切られ、拳大の固まりが揺ら揺らと蠢いているだけになってしまった。

 扉が完全に閉じられると、文字の輝きも徐々に薄れていき再び元の薄暗闇にもどった。シュヴァルツは面白く無さそうに掌にわだかまっている影を見やって、おもむろにそれを握り潰した。形を失った影は吸い込まれるようにシュヴァルツの手の中に浸透していった。全ての影がシュヴァルツの中に消えた途端、シュヴァルツが身体をビクンッと痙攣させた。ほんの僅かに両手が小刻みに震えている。そうして暫くして痙攣が収まると、シュヴァルツは深い息を吐いた。一瞬膝の力が抜けてよろめいたが、なんとか踏み止まった。口の端から流れ出るものを感じて白く細い指で拭って見ると、それは鮮血だった。

「…内臓を何処かやられたか。一握りでこれほどとは…」

 普通の者であれば、立ってなどいられない状態であったが、シュヴァルツは生まれつき、痛感に対する感覚が希薄だった。怪我をしても気付かないことがよくあり、後見人であったガーランド将軍を慌てさせたことも少なくない。

 シュヴァルツは指に付いた血を舐め取ると、壮絶な笑みを浮かべた。代償が伴ったが、それよりも得られた力の片鱗の方が大きかった。身体に今まで経験したことがない大きな力が宿っていた。

「やはり1人では無理か… まあ良い。初回としてはこんなものだろう。これで少しはユーテシアの連中と遊んでやろう」

 そう言うとシュヴァルツは楽しげに笑いながらその部屋を出て行った。



~ ユーテシア王国 王城 ~


 剣同士が打ち合う音や、気合いを入れた掛け声が訓練場に満ちていた。

「ハァーッ!!」

 相手の男が渾身の力を込めて打ち込んでくる。だがまだ腰の入れ方がいまいちな剣にはスピードが乗っていない。優は軽く左に動きつつ、男の剣を横へ弾いた。男が僅かに体勢を崩したところへ剣を打ち込む。男は慌てて剣を立ててそれを受けた。優はそのまま力で押し込む。相手もそれに負けまいと踏ん張って押し返してくる。優は押し負けた振りをして少し剣を戻すと、男がここぞと更に力を込めて押してきた。そのタイミングに合わせて、優は身体を捻りつつ手首を返して相手の剣を受け流した。相手は急に支えを失って前のめりになる。踏ん張ろうと出した足を更に掬われて、堪らず地面に両手を着いてしまった。やばいと思って上げた眼前に剣先がピタリと向けられていた。

「ま、参りました…」

 男は敗北を認めて両手を上げて言った。すると優は剣を退いて右手を差し出した。男がおずおずと手を取ると、意外なほど強い力で立ち上がらされた。並んで立つとその体格の差が顕著になる。筋肉隆々な男に比べると優はかなり細く見えた。

「実際の戦場では、悠長に力比べなんてしてる暇はありませんよ。相手は礼節を重んじる騎士ばかりではないのです。いつ背中を狙われるかわかりません。力だけの剣なんて役に立ちませんよ」

「へ、へい… あ、いや、はい。判りました」

 優が窘めるように言うのに、男は大きな身体を縮こませて神妙に答えた。そしてあたふたと剣を取ると訓練に戻っていった。その後姿を見て優がホッと息をついていると、シュレッドが隣にきた。

「すみませんでした。ユウ殿。面倒なこと頼んでしまって…」

「いや、別に構わないよ。大したことじゃないから」

 実はいま優が相手した男は、3ヶ月前の募集で志願してきた者だったが、剛力が自慢でなかなか軍紀に従おうとせず、シュレッドなどの教育係の者を困らせていたのだ。自慢するだけあって力だけは人一倍あって、シュレッドなどが手合っても剣を弾き飛ばされてしまうため、そのことが余計男を増長させていた。そこで困り果てて優に頼んだのだった。

「でも、これで少しはあいつも大人しくなるでしょう」

 そう言った視線の先では、先ほどの男が今までと打って変わって真剣な表情で素振りに励んでいた。

「さっすがー ユウちゃんつよ~い!!」

 背後からの能天気な声に、優は振り返らずに反射的に身を屈めて右に避けた。直後に今まで優の首があった辺りの空を掻き抱いたイヴが不満気な声を発した。

「もうー なんで避けるのよー」

 イヴから微妙に距離を置いて優が顔を顰めた。ここにも軍紀に従わないのが1人いた。

「イヴさん、いい加減に抱き付くのは止めてもらえませんか?」

「え~なんで~ ただの挨拶じゃなーい」

 イヴがイヤイヤをしながら言うのに寒気を覚えつつ、優はピシャリと言った。

「いりません!」

「え~ じゃあ、この挨拶なら、どうかしら!」

 言いながら腰のレイピアを居合抜きのように突きにきた。優は焦らずに持っていた剣を逆手に持ち上げそれを受ける。その間にもイヴはもう一本のレイピアを抜き、がら空きの胴を狙ってくる。優は受けた剣を軸にするように身体を回転させ、ギリギリで躱しつつ、剣を振り下ろしてレイピアを叩き落とした。

「そういう挨拶も止めて下さい!」

 優が諌めるように言うのに、それで諦めたのか、イヴはレイピアを引くと溜息をついた。

「…ていうか、なんで避けられるのよ。あたしの突きを……」

 非難がましく言うのを、優は困惑気味に答えた。

「なんでと言われても…考えて動いてるわけじゃないので… それに、怪我がなければ私だって自信ないですよ」

 レミントン自治都市でイヴに手傷を負わせたのは優自身だった。戦いを終わらせるために止む無く斬ったが、多少は責任を感じていた。イヴもチラリと腕の包帯を見やった。確かに浅からぬ傷だった。まだ完全には塞がっておらず、激しい動きをすると少々痛むが、傭兵を生業にしていた者にとっては大した傷ではない。この程度で動きが鈍っていては生き残れなどしないのだ。優のフォローも慰めでしかないことはイヴ自身が良く判っていた。判ってはいるがやはり悔しい。

「…絶対、一本取ってやるんだから」

 イヴの挑戦的な言葉に、優は苦笑した。

「いつでもお相手しますよ。でも、ちゃんと組み手の時にして下さい。所構わず仕掛けて来ないで下さいよ」

「さぁーねぇ、それはどうかしらー あ、あれは?」

 とぼけた振りをしてはぐらかすと、突然優の後ろを指さした。

「え? なんです?」

 優もイヴが指さした方を見やる。

「隙あり~!」

 優が後ろを向いた瞬間にイヴが抱きついた。

「わ! 放して下さい!」

「剣には隙ないくせに、こういうところはほんとに素直ね~ そこがまた可愛いわ~」

「ひ、卑怯じゃないですか! 騙して! 放して下さいって!? シュ、シュレッド! 笑ってないで助けてくれよ!?」

 優は傍で笑いを堪えているシュレッドに懇願したが、シュレッドは無情にも笑って答えた。

「ハハハ。普段モテモテのユウ殿には、そのくらいがちょうどいいんですよ」

 必死にイヴを剥がそうとしながら優は顔を顰めて言い返した。

「だ、誰がモテモテだって?! て、放せー!」

「白々しいですよ~ レミューリアさんやティアナ王女にもモテモテじゃないですか」

 ニヤニヤしながら言うシュレッドに、一瞬優もキョトンとした。

「なんで、そこでレミューリアが出てくるんだ?」

 その優の答えに、逆にシュレッドが驚いた。

「え? なんでって…いつも一緒にいるじゃないですか?」

「それは、まあ、ずっと一緒だったからな。いるのが当り前で… 妹、みたいな感じだからな。 は、放して下さいって!?」

 優の言葉を聞いて急にシュレッドが真剣な表情で言った。

「…ユウ殿、まさかそれをレミューリアさんに言ってないですよね?」

「ん? あー、言ってないと思うけど… あー! もう! イヴさん、いい加減にして下さい!」

 イヴが近付けてくる唇を必死に手で抑えながら答えた。

 それを聞いてシュレッドは小さく溜息をついた。レミューリアがユウのことを想っているのは誰の目から見ても明らかだった。気は強いが一途で健気なところに皆好感を持っていたので、密かに応援しているのだ。ティアナ王女は、単に英雄への憧れだろうと思っている。気付かないのはユウ本人だけで、その本人から妹みたいなどと言われては、かなりショックを受けるだろうことは予想できる。それはあまりに気の毒だ。シュレッドは真剣な表情のまま、優に言い聞かせるように言った。

「ユウ殿。いいですか、そのことをレミューリアさんに絶対言ったら駄目ですよ!」

「え? どうしてだ? 何かまずい事でもあるのか?」

「とにかく! どうしても駄目です!」

 どこまでも鈍い優に、シュレッドは半ば強引に言い含めた。優も訳が判らないながらもシュレッドの真剣さに同意した。

「わ、わかった。言わないようにする」

「ここまで来ると鈍感を通り越して、ある意味大物よね~」

 優の首にしがみ付いたイヴが他人事のように笑い飛ばした。


「…ユウ様?」

 背後から柔らかい声が掛けられて、3人は振り返った。そこには驚いたような顔のティアナ王女が立っていた。

「ティアナ様!」

 シュレッドが慌てて敬礼をした。優もイヴをぶら下げたまま律儀に敬礼をする。イヴは目の前の少女を値踏みするように見ているだけだった。

「イヴォノブスキー! ティアナ王女の御前ですよ!」

 優が敬礼しようともしないイヴを諌めた。それでイヴも渋々と優から離れて、崩れ気味の敬礼を行った。普段優はイヴの希望に従って律儀に“イヴ”と呼んでいるが、こうして本名で呼ぶ時は悪ふざけも許さないときだと、この短い間に理解していた。若いくせに妙に軍紀に厳しい。客式とはいえ将軍の副官をやっていれば、それも当然か。

 ティアナは厳しい表情のまま黙ってイヴを見ていた。普段優しく笑顔を絶やさない王女にしては珍しいことで、優とシュレッドはお互い顔を見合わせた。

「ティアナ様? 如何なさいました?」

 優が遠慮がちに声を掛けたが、ティアナはそれには答えずに黙ったまま優に近付いてきた。そして優の腕をそっと取ると自分の方へ引き寄せた。そしてじっとイヴの方を睨むように見ていた。

「ティアナ様?」

 どうしたのかと思っていると、イヴが面白そうに言った。

「ははーん。そういうこと」

 イヴは、ティアナとは反対側の優の腕を取ると、同じように自分の方へ引き寄せた。するとティアナは再び自分の方へ引き寄せる。お互い睨み合いながら優を挟んだ綱引きが始まってしまった。

「あの… ですね…」

 優は疲れたように深い溜息をついた。シュレッドは付き合い切れないというばかりに苦笑していた。

 もうどうにかしてくれと優が天を仰ぐようにしていると、突然頭を金槌で殴られたような衝撃がきた。

≪ユウ!? ユウ!? 森が!! 森がー!!≫

 木の精霊のミドリが突然現れ、叫びながら狂ったようにユウの周りをぐるぐる廻ると、また忽然と消えていった。

 優は頭を抑えてその場にしゃがみ込んだ。精霊の声は頭の中に直接響くので、近くで絶叫されると、衝撃で気を失いそうになってしまう。

「痛ぅ…」

 なんとか立ち上がると、3人が心配そうに見ていた。

「ユウ様、大丈夫ですか?」

「は、はい。なんとか…」

「今のは、木の精霊ですよね? 随分取り乱していたように見えましたが」

 シュレッドは木の精霊が消えて行った方向を見やりながら聞いた。優以外には精霊の声は聞こえていないので様子しか判らないのだ。

「森がどうとかって叫んでいたが… 森で何かあったのもしれない。 シュレッド! ちょっと付き合ってくれ! ティアナ様、申し訳ありません。ちょっと失礼を致します」

 言うが早いか優は駆け出していった。シュレッドも慌ててティアナ王女に礼をして優の後を追った。後に残ったティアナとイヴは何となく顔を見合わせて、お互いプイっと顔を逸らした。

 

 優とシュレッドは城内を駆け抜け、城の裏手、精霊の森が一望できる城壁へ駆け上がってきた。そして精霊の森に異常がないかを見たが、探すまでもなかった。精霊の森の少し奥まった方に、黒い煙がいくつも上がっていた。

「なんてことを!! 森に火を放ったのか!?」

 シュレッドが激怒して言った。精霊と共に生きているこの世界の者にとって、精霊の森がどれほど大切なものかは計り知れない。

「…シュレッド、すぐに騎士団の出動準備を」

 優は森に上がる煙を睨みながら冷静に言った。

「特に精霊魔法部隊を優先してすぐに向かわせるんだ」

「はっ! 直ちに!」

 シュレッドが城壁を駆け下りていったのと、伝令の早馬が城内に駆け込んできたのはほとんど同時であった。


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