3.出会い
~ ユグド共和国 レミントン商業自治都市 ~
ユグド共和国の南側にはレナディオ川が「恵みの海」に流れ込む河口が広がっている。川幅が広大なレナディオ川の河口となると更に広大で、それだけでユグド共和国の1/4の面積を有する。そして、その河口には大きな三角州が2つ存在している。1つは、周辺のほとんどを港にして、商船から軍艦、民間船、定期船など全ての船が発着するハルミトン島。もう1つは、ハルミトン島に陸揚げされた荷物を全て集めて税関、検閲し、各国への出発地点となるレミントン島である。この2つの島を合わせてレミントン商業自治都市は形成されていた。
レミントン商業自治都市は、ユグド共和国内にあってその自治が認められており、基本的な法律はユグド共和国に順ずるが、その他の商業や都市運営に関する法定は有力商人で形成された商業ギルドに一任されている。完全な中立を宣言しており、国籍を問わず入港することができるため、敵対する国の軍艦が隣同士で停泊することも珍しくはない。しかし都市内に各国間の争いを持ち込むことは厳禁されており戦闘も禁止されている。そうはいっても小競り合いは絶えないが、共和国一と言われるレミントン警備隊が隅々まで目を行き届かせていてこれまで大きな争いは起こっていない。また警備隊の力もあるが、それより強力に来訪者を抑えているのはレミントンの商業力だった。
レミントンは名実共に大陸の商業の中心であり、レミントンを通らぬ荷は無いと言われるほどである。ここで問題を起こすと、港の使用制限や増税、そして島からの輸出制限、軍艦に対しては逗留期間の短縮や供給物資の制限など重いペナルティーが課せられてしまい、収益や旅程に大きく影響する。そのため各国の商人や軍人は極力自重して争いを起こさないようにしているのである。
「相変わらず活気があるなー レミントンは」
見上げるような偉丈夫の大男が辺りを見回しながら言った。周りの人たちより頭1つ大きいので辺りを良く見回せる。剥き出しの褐色の二の腕は筋肉隆々として無数の傷跡がある。一目で傭兵と判る恰好で背中に大剣を背負っていた。
「それはそうよ。商業の中心だもの」
それに柔らかい物腰で答えたのは、大男に寄り添うように歩いていた者だった。大男とは対象的な様相で、裕福な商人のようにきちんとした身なりをしていた。初夏の汗ばむ季節だというのに、長袖のゆったりとしたブラウスを首元まで留めている。下はこれもゆったりとしたスラックスで、裾が広がっていて足を揃えていればスカートにも見える。上等な薄絹でできたマントを羽織っていて昼間なのにフードを被っていた。フードの下から見える顎のラインはほっそりとしていて、それだけではこの者が男なのか女なのかのは判断が難しいだろう。2人が並んで歩いていると、どこかの商人のお嬢様とその護衛のようであった。
2人が歩いているのはレミントン島の中央広場だった。様々な国柄の衣装の者たちが行き交い、其処かしこにテントが張られて品物が山積みされ、客引きをするの者や買い付けの商談をする者、食べ物を売って歩く者などで活気に満ちていた。その中でもこの2人は目立つ存在で、周りの者が珍しそうに目を向けるが、大男が一睨みすると皆慌てて目を逸らした。
「イヴ。本当にここに来てるのか? この中から探し出すのはかなり面倒だぞ」
大男が額に噴き出した汗を拭いながらぼやいた。
「今朝の定期便で来てるって情報よ。来ていれば必ずここにくるはず。頑張って探すしかないわね。大丈夫よ。彼女の方は見たことあるから。ボルグ、あなたの方が見通し効くんだからそれらしいの見掛けたらすぐ言ってよね」
イヴと呼ばれたフードの者が頷いて言った。名前や喋り方からするとどうやら女性のようだが、女にしては声が少し低い。
汗一つ掻かず涼しげにいう連れに大男、ボルグは肩を竦めた。
「へいへい。それにしてもお前そんな恰好でよく暑くないな?」
「だって、日焼けはお肌の大敵よ」
そこに何処からか怒号が聞こえてきた。
「どこに目ぇ付けて歩いとんじゃ!! こらー!?」
何処でも聞くようなチンピラの怒声に、2人は無視して行こうとしたが、その後に聞こえた声にそちらに足を向けた。
「ご、ごめんなさい! 躓いてしまって…」
聞こえたのはか細い子供の声だった。集まった人垣を縫って前の方に出て見ると、3人の柄の悪いチンピラの前に小さい子供が2人いた。10歳くらいの女の子とその弟と思われる男の子だった。どうやらこの子達は広場を回って飲み物や果物を売って歩く物売りの子供のようだった。足元にひっくり返ってしまった飲み物の小樽が落ちていた。女の子の方は怯えて震えているが、男の子の方は気丈にも怯えもせずにチンピラ達を睨み返していた。
「どうしてくれるんだぁ!? ズボンがびしょ濡れになっちまったじゃねぇか!?」
見ればちょっと雫がはねた程度しか濡れていないが、大袈裟にチンピラは言った。
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
女の子が怯えながら必死に謝ったが、自分より弱い者には限りなく強いチンピラは更に怒鳴る。
「ごめんなさいなんざ、いらねぇんだよ!?」
そう言ってチンピラの一人が落ちていた小樽を子供達の方に蹴飛ばした。避けきれなかった女の子の肩に当たって、女の子がその場に倒れた。男の子が慌てて駆け寄る。
「お姉ちゃん! 大丈夫?!」
「だ、大丈夫よ…」
痛みに涙を湛えている姉を見て、弟がチンピラたちをキッと睨んで叫んだ。
「お姉ちゃんに何するんだ! そっちが勝手にぶつかってきたんだろ!!」
「うるせぇな!小僧! お前らがこんな所ウロウロしてるのが悪いんだ! どうしてくれる?! これはルーン王国からの上等なズボンだぞ!」
豪華な刺繍の入ったズボンをこれ見よがしに見せ付ける。それを一目見た男の子が言い返した。
「嘘つけ! 同じの、ポロ市場で見たことあるよ!」
ポロ市場とは、中央広場の外れにある中古品を格安で売っている市場であった。子供の台詞に周りの者がクスクスと笑った。言われたチンピラは真っ赤になった。どうやら図星だったらしい。
「こ、こ、この小僧っ!!」
チンピラは男の子の胸倉を掴んで軽がると持ち上げた。
「や、やめて!弟を降ろして!」
慌てて縋りついた女の子を突き飛ばしてチンピラはニヤリと笑った。
「くそ生意気なガキには、きっちり躾してやらねぇとな!!」
チンピラは空いた手の拳を振り上げた。
ガシッという鈍い音がした。しかし、殴られると思ってギュッと目を瞑っていた男の子は掴まれていた胸元が急に楽になり、地面にそっと足が着くのを感じてそっと目を開けた。見るとチンピラが自分を掴んでいた手を抑えていた。何が起きたか判らずポカンとしていると、すぐ傍から別の声が聞こえた。
「お止めなさいな。子供相手にみっともない」
声の方を見ると、何か棒のような物を持った人が立っていた。ゆったりとした服でこちらは本当に上質そうだ。
イヴであった。
「な、何しやがる!? この野郎!」
イヴはチンピラが子供を殴ろうとした直前に飛び出して、子供を掴んでいた左手の甲を打ち据えたのである。
「だから、子供相手にいきがってるんじゃないわよって言ってるのよ。あたしこういう弱い者苛めって大っ嫌いなのよね」
「う、うるせぇ!? 関係ない奴はすっこんでろ! 一緒に伸されてぇか?!」
それを聞いたイヴは、フードから唯一見える口元をニヤリとさせて言った。
「伸す? このあたしを? 面白いこと言うわねー いいわ。暇潰しに遊んであげる。いらっしゃい。さあ」
そう言って子供たちに離れるように言うと、チンピラに向かって左手の指でちょいちょいっと招くようにした。
「舐めやがってぇ!」
言われたチンピラは怒って飛び掛っていった。無防備に立っている相手に渾身の拳を叩き込む。はずが、寸前で躱され、さらにすれ違いざまに背中を押されて蹈鞴を踏んで無様に転倒してしまった。
「あらあら。大丈夫かしら? お気を付けあそばせ」
チンピラを小バカにしたイヴの物言いに、野次馬たちから失笑が漏れた。そのチンピラは恥辱で顔を真っ赤にすると勢い良く立ち上がって腰に下げていた剣を抜いた。他の2人のチンピラも剣を抜く。それを見た野次馬たちは慌てて巻き添えにならないようにと少し下がって遠巻きにした。
「この野郎! ぶっ殺してやる!!」
殺気立つチンピラに、イヴは一つ肩を竦めただけだった。
「せっかく遊んであげようと思ったのに。抜いちゃったなら、遊びはお終いね」
「うるせぇー! おらぁー死ねぇ!!」
最初の一人が剣を振り上げて斬りかかってきた。無防備なイヴを叩き斬ると思った瞬間、ギンッという音と共にチンピラの剣は受け止められた。見るとイヴの両手には細剣のレイピアが握られており、それを頭上でクロスさせて相手の剣を受け止めていた。周りで見ていた野次馬もイヴがいつ剣を抜いたのか判らない。それほど早い抜刀だった。
驚愕しているチンピラに、イヴは笑って言う。
「お悪が過ぎたようね。悪い子にはお仕置きが必要だわね」
言うが早いか受け止めていた剣を振り上げ、バランスを崩したチンピラに次々とレイピアを突き出す。レイピアは細剣なので斬るよりも突きが中心である。チンピラは次々に繰り出されるレイピアを必死に避けていたが、イヴが本気でないことは誰の目にも明らかだ。身体に触れるか触れないギリギリの所で寸止めされているが、避けきれなかった浅い傷が身体中に増えていく。チンピラは真っ青になって後退っていたが、踵を引っ掛けて尻餅を着いてしまう。その鼻先にピタリとレイピアが突き付けられる。
「もうお終い? さっきまでの威勢はどうしたのかしら?」
「あ、わ、わ……」
次の瞬間、イヴはくるりと後ろに振り返り、背後から忍び寄って斬りかかろうとしていたもう一人のチンピラの剣を2本のレイピアで払い除けて、返す剣の平で相手の手の甲を打ち据えて剣を叩き落とした。それを見たもう一人は剣を投げ捨てて逃げ出して行った。
「あらあら、仲間を置いて逃げるなんて。いいお友達をお持ちね」
「く、くそぉ……!」
最初のチンピラが悔し紛れに、懐から小剣を取り出すとイヴとは見当違いな方へ投げ付けた。
「何処を狙って…… ハッ! しまった!?」
小剣は少し離れた所で様子を見守っていた子供達の方へ飛んで行った。間に合わないと思った直後、その小剣は割り込んできた影に叩き落とされた。見れば黒髪の若い男がいつの間にか子供達の前に立っている。その若い男は無言でイヴに頷く。イヴもそれに軽く頷き返すと、振り向きざまに両手のレイピアを突き出しチンピラの両肩を突き通した。チンピラが激痛に絶叫した。
「た、助けてくれ!!」
その時、振り向いた勢いで被っていたフードが背中へ落ちて、イヴの素顔が初めて現れた。薄茶色の少し癖のある長髪は後ろで一つにまとめられている。現れた顔は呼び名とその喋り方に反して男の顔だった。色白で全体的に線の細い作りで遠目では女に見えなくはないが、黙っていれば色男の部類に入るであろう。深いブルーの目に凄みを効かせてイヴは間違いなく男の声色で言う。
「これに懲りたら、二度と弱い者苛めするんじゃねぇぞ」
そう言ってイヴは一気にレイピアを引き抜く。再度チンピラが絶叫した。そして仲間に支えられながらその場から逃げ去っていった。野次馬たちも見世物が終わったので散り散りに離れていく。
イヴは黙って離れていく野次馬達の一角を凝視していた。その視線の先には、先ほど小剣を叩き落してくれた黒髪の青年と、その隣に輝く金髪の若い女の後姿があった。青年に話掛けた一瞬にその横顔が垣間見えた。
ボルグが近寄ってきて、イヴの視線の先を見やる。
「…あいつらがそうか?」
「ええ。間違いないわ。あの2人よ」
再び女口調に戻ったイヴは2人の特徴を覚えようと凝視している。
そこへ先ほどの子供達が駆け寄ってきた。
「ありがとうございました!助かりました!」
姉の女の子が丁寧に頭を下げる。
「いいのよ。気にしないで。あたしもああいう輩は嫌いだから」
そして弟の方が好奇心に目を輝かせて無邪気に言った。
「おじちゃん、ありがと! おじちゃんって強いんだね!」
その瞬間、イヴの顔がピキッと引き攣った。
「お、おじちゃんじゃないわよぉ おねえさんよぉ」
男の子はキョトンとすると不思議そうに訊き返す。
「え? だっておじちゃん、男でしょ?」
「いやぁねぇ。見掛けは男だけど、中身は立派な女なのよぉ オホホホ」
しなを作って手の甲を口元に当てて笑う男顔のイヴに、子供達はほんの僅か後退った。