伯爵家のメイド 8
小屋の奥にひろがる森は、伯爵家の私有地だ。
すこし中に入ったところに沼があるのだが、すでに涸れ上がっているため、人はめったにこない。
こうして人目につきたくないときには穴場ともいえる場所だ。
(ここを知ってるってことは、この辺りにかなり詳しい人物なのかもしれない)
さっき小屋の中で、昨日奥さまに言いつけられて調合した薬品のビンが棚からなくなっているのに気づいた。
あの男が持っていったに違いない。
一見なんだかよくわからない薬を、意味もなく持っていくとは考えられない。
(そうすると、奥さまも関わっているのかしら…)
昨日と今日の奥さまの様子をみていると、どうにも怪しい…。
(ひょっとして、行方不明のアレンさま?)
そう考えると、辻褄があう。
生きていて、奥さまに会いにこられたのだとしたら…。
「よう。来てくれたな」
後ろから声をかけられ、振り向く。
陽の光の中で見る男は、夜の闇の中で見るよりさらに大きくみえる。
がっしりとして、それでいてしなやかな体躯。
私も女性のなかでも背が高いほうだが、それでも見上げるほどに背が高い。
浅黒い肌に黒い目が油断なく光り、まっすぐな黒髪が無造作に散っている。
そこらの兄ちゃんのように気さくな表情をうかべているが、顔立ちは端正でどことなく品がある。
年のころは30歳くらいか。年頃でいうとアレンさまと同じくらいだが…。
「昨夜は助かった。屋敷に忍び込んだときにヘマしてな」
見ると、昨夜ケガをした左腕に包帯が巻かれている。
「あなたは…、アレンさま?」
単刀直入に聞いてみる。
男はにやりと笑い、
「いや、違う。だがアレンの友人だ。アレンも領地に入ってるぜ」
これ以上踏み込んで聞くと、巻き込まれそうな予感がするので急いで声をかぶせた。
「いいえ!これ以上詳しい話は聞かなくていいわ、巻き込まれたくないもの。
…それよりも、アレを返してほしいの。そのために来たんだから」
ずい、と手を差し出すが、男は一向に動こうとしない。
「伯爵夫人から、信用できて頼りになるメイドだと聞いたんだがな、エレイン?とりあえず話だけでも聞いてくれないか」
やはり奥さまが絡んでいたらしい。
男は、こちらの了承も聞かないうちに勝手に話し始めた。
話を聞かない限り返してくれる気はないようだ。
「2年前の伯爵の急死と、息子の失踪については知ってるか?」
「…少しだけ。詳しい話は知らないわ」
男の話によると、2年前の真相はこうだ。
伯爵の急死により、外国に留学中だった嫡男のアレンさまは急遽呼び戻された。
屋敷には葬儀のためといって、叔父と従弟のヴァルターも来ていた。
葬儀の夜、油断していたところを二人がかりで襲われ、重傷を負いながらもなんとか領外に逃げのびたのだという。
「それでアレンさまは生死不明の扱いになったのね」
「ああ。あいつらにしたらアレンにとどめをさせなかったのは痛かったな。それでも命を落とすほどの大怪我を負わせたんだ。アレンは死んだものとすっかり安心しているんだろう」
この国の法では、生死不明の失踪の場合、失踪の日から丸2年たたないと公式に死亡と確認されない。
正式な跡取りであるアレンを排除したといっても、ガマガエルは公式の承認が得られないと爵位を手に入れることができないのだ。
「アレンさまが直接訴え出たらいいじゃないの!」
「それは無理だな。万一アレンが生きていた場合にそなえて伯爵夫人を人質にとられている。それに、爵位を認定する審査官たちに、金を握らせて抱きこんでいるらしいからな。
まともに訴えでたら、アレンは今度こそ消される」
そのために奥さまをあの部屋に閉じ込めていたのか…!
奥さまの悲しげな様子を思い出し、憤りが湧く。
「あと一週間でアレンの失踪からちょうど2年経つ。その日に王宮から審査官たちが正式に爵位を与えるための審査にやって来る。
つまりこの日に、ぐるになった連中が伯爵家に一堂に会するわけだな。
このときに一網打尽にする」
「は!?」
いま、とんでもないことをさらっと言わなかったか?この男は?
「アレンも領地内に潜入してはいるがな、何しろ面が割れてるだろ。だから俺が屋敷周辺を探っているわけだ。昨夜はヘマして犬に嗅ぎつけられてな。あんたのおかげでばれずに済んだ。感謝するよ」
突拍子もない話に頭がついていかない…。
「あ、あなたを含めて仲間は何人くらいいるの…?」
「あ?仲間?俺とアレンの二人だ。この件では信用できる人間が他にいなくてな。ぞろぞろついてきても足手まといだし、俺とアレンの2人でやる」
この男は頭がおかしいに違いない。
屋敷はたしかに他の貴族の邸宅に比べて人手が少ないが、それでも屋敷の使用人の男が何人かいるし、警護の人間も数人雇っている。
男の眼が突如キラリと光り、私をとらえる。
「そこであんたに頼みがある」
「お断りします!」
私は即座に断った。
そんな物騒なことに関わりあういわれはない。
「まあ、最後まで聞けよ。その日、俺とアレンが突入してあいつらを追いつめると、やけになったやつらが伯爵夫人に危害を加える恐れがある。だからあんたには伯爵夫人を逃がして、事が終るまで守っていて欲しいんだ」
伯爵夫人…。脳裏に奥さまの儚い姿が浮んだ。
だが、私の心は変わらない。
メイドは常に脇役。
分不相応な、貴族のお家騒動に足をつっこむべきではない。
男の目をまっすぐ見つめ、はっきり一語一語区切るように言った。
「お断りします。これ以上面倒事に関わりたくないわ」
一瞬間、男とまともに見つめあったが、男はふいににやっと笑って、
「“変態プレイの後始末をするのはもうたくさん!”なんだろ?」
「な!!」
「“大人の玩具までメイドに買いに行かせるんじゃない!”とも言ってたな?あいつらがいなくなれば、ぐちゃぐちゃなシーツを洗うのも、変なもんを買いにいくのも、もうしなくてよくなるぜ?」
「…!…!!」
あまりのことに口も利けない。
「きのう、小屋の外に潜んでたら、あんたがぶつぶつ言ってるのが聞こえた。おかげで屋敷の内情がだいたいわかった」
きのう小屋で編み物をしていたときのことだ。
なんてことだ。
あたりに人がいないと思ってのことだが、言い訳にならない。
外部の人間に屋敷の内情を漏らすなんて二流以下のメイドだ。
赤くなって、急激に青くなった私の顔色から思考を読んだのか、男はふと真剣な表情になり、私の顔をのぞきこむように言った。
「俺だって、誰かれ構わず声をかけているわけじゃない。あんただから頼むんだ。伯爵夫人もエレインなら信頼できると言っていた。昨夜の対応だけでもあんたの機転のよさがわかる。俺は有能な人間が好きだ」
立ち上がり、屋敷の方角を指差す。ここからは使用人の棟が見える。
「夜、ここからメイドたちの部屋の窓がみえる。他のメイドたちは部屋に帰ってこなかったり、窓から男を引っ張り込んだり大忙しだ。
だが、あんたの部屋だけは毎晩判を押したように同じ時間に灯りがつき、同じ時間に灯りが消える。几帳面で仕事熱心な人間なんだと思った。
昨夜あんたの部屋に逃げ込んだのも偶然じゃない。あんたならかくまってくれると確信したからだ」
男は私の肩をつかみ、熱心に言う。
(どうせ、男出入りのまったくない、枯れた年増メイドよっ)
盛大にイラッときたが顔には出さず、いつもの鉄面皮をかぶり、わざと口調をあらためてはっきりと言った。
「買いかぶりすぎですわ。私はただのメイドに過ぎません。お断りさせていただきます」
男は落胆した様子もみせず、「そうか、迷惑かけて悪かったな」とあっさり私を離した。
迷わず踵をかえした私に、後ろから声がかかる。
「もし気が変わったら知らせてくれ。
あんたの部屋の窓枠に布でもまきつけておいてくれるとすぐにわかる」
(気が変わるわけないだろーがっ!)
頭に血が上った状態でその場を離れる。
例のものを返してもらうのを忘れた、と気づいたのは、屋敷にもどったあとだった。