伯爵家のメイド 2
厨房に戻ると、ジェニがのんびり朝食をとっていた。
「昨夜も激しかったわ~。玉の輿も夢じゃないかもね~」
聞いてもいないのにジェニがペラペラと勝手にしゃべる。
昨日の昼はモリーが納戸にひっぱり込まれてイチャイチャし、湯浴みではリタがお触り付きで世話をしている。
別に知りたくもない情報だが、彼女たちのほうからペラペラと自慢げに話してくる。
3人が3人とも、“玉の輿にのれるかも!”と期待に満ち溢れている。
しかし、余計なことは言わず、朝食を食べながら適当に相づちをうってジェニのお喋りに付き合った。
「ゆうべは指輪をくれたの~。おっきいピンクの宝石~」
「まぁ、良かったわね」
「ヴァルターさま、言ってたわ~。あたしを一番愛してるって~」
「そうなの」
「これでうまいこと子どもができれば、伯爵夫人になれるわ~」
「そうかもね」
「エレインは淡白ね~。何言っても“まあ”とか“そうね”しか言わないから、話しててもつまんないわ~。いっつも無愛想で、にこりともしないんだもの~。そんなんだったら男の人はよってこないわよ~」
つまんない、といいつつ3人とも毎日飽きもせず自慢話を繰り返す。
料理婦のマーサさんは露骨に3人を嫌っているから、とどのつまり話し相手になるのは私しか残っていない。
堅苦しくて色気のない年上メイドは、ヴァルター争奪戦のライバルになるはずもないから何を言ったって平気だと思っているのだ。
おかげで聞きたくもない三者三様の情事の様子をこと細かく聞かされるハメになる。
「ねぇ、エレイン~」
ジェニが上目遣いで見上げてくる。
いつもの“お願い”パターンだ。
「私ちょっと疲れちゃったの~。今日の書庫の整理替わってもらっていい~?」
「いいわよ」
毎度のことだから特に腹も立たない。あっさりと引き受けた。
2年前、この屋敷にはメイドとしてジェニ、リタ、モリーと私が同時期にはいった。
でも私を除いた3人は“夜のお相手”というはっきりとした役割があるのだと、一目見てわかる。
3人とも16,17歳のピチピチの女の子で、むっちりしたダイナマイトボディだ。
(私には、髪の色以外はみんな同じに見えるんだけど…)
ヴァルターの好みがもろにわかってちょっと笑える。
残りの私ははっきりと雑用。本来の意味としてのメイドとして雇われている。
玉の輿の野望で頭がいっぱいになってる3人の仕事を押し付けられることは日常茶飯事だが、現状に不満はない。
メイドの仕事は適当でも、ヴァルターのお相手をしっかり勤めてくれるだけでも万々歳だ。
私は冗談でもあの男の相手はごめんだ。
あの色ボケが、間違っても私に興味が向かないように気の迷いを起こす暇もないくらい3人がかりで搾り取ってほしいものだ。
私は、ちゃんとしたメイドの仕事をやれて、その分のお給料をもらえれば何の文句もない。
(だいたいあのヴァルター相手に玉の輿なんて考えるほうがおかしいわよ)
メイドなんてただの欲望の捌け口って考えてるのがミエミエだし、面倒なことになるのが嫌なのか、ぼんくらのくせに避妊だけは異様に凝っている。
避妊はあいつの唯一の趣味といっていい。
この前、書庫の整理をしたら『絶対に失敗しない避妊の仕方』とかいう本を読んだまま置きっぱなしにしていた。
(仕事もしないでこんなことばっか考えてんのかこのぼんくらは…)
メイドから玉の輿に乗った例なんてほとんどないんだから(私の知っている分には皆無だ)、地道に仕事やってお金貯めて老後にそなえておくのが正しい道だ。
白馬にまたがった素敵な王子様と結ばれるのは、釣り合いがとれた美しいお姫様だけだ。
現実でもそうだし、巷にあふれる三文小説の中でだって、そうだ。
メイドはメイド。
きらびやかな貴族の世界を動かす、小さくて地味なネジのひとつにすぎない。
身の程を知って、身の丈にあった生活をするのが賢い人生だと思う。
洗濯室の前にシーツやリネンがうずたかく積まれている。
たしか今日の選択当番はモリーのはずだが。
「エレイン、いいところに来てくれたわ~」
柱の影からモリーが頭を出す。手足は、そばにいる馬丁のアレックに絡みつかせたままだ。
しかし3人とも似たように語尾をのばすのは何故だ。
ただでさえみんな同じにみえるのに、これでますます区別がつかなくなる。
「私、これから用事があるの~。悪いんだけど洗濯しといてくれる~?」
「いいわよ」
これもいつものことだ。
おねだりの上目遣いも皆同じ。
女の子はだいたいこうなのか、それとも同じ男に媚を売ってると似通ってくるものなのか。
モリーはこれからアレックとよろしくやるのだろう。
馬丁だから厩で逢引か…。生々しい場面に遭遇するのはごめんだから、しばらく厩には寄らないようにしよう。
3人とも逢引の相手というものを適当にもっている。
もちろん本命はヴァルターだが、なんでもテクニックと持久力がもの足りないのだそうだ。
モリーには馬丁のアレックのほうが妥当だし似合いの相手だとは思う。
でも、彼女が玉の輿の野望を捨てられるのは、顔に一本二本シワができて、おっぱいが下がってきた頃にならないと無理だろう。
洗濯と書庫の整理の前に、奥さまのところに食事をもっていく。
奥さま、といってもガマガエルの奥方ではない。
前伯爵の奥方だ。
夫である前伯爵が亡くなって、息子までも生死不明の行方不明になった、悲劇の女性。
相次ぐ不幸にすっかり病みついてしまい、ベッドから離れられない状態だ。
「おはようございます、奥さま」
「おはよう、エレイン」
銀色の長い髪をゆるく束ねて弱々しく微笑む奥さまは、40代も半ばのはずだが今でもお美しい。
カーテンを開けると薄暗い部屋に光が差し込む。
屋敷の奥の奥にあるこの部屋には、ガマガエルもヴァルターもめったに近寄ろうとはせず、ほとんど私しか出入りはない。
しかし、この部屋に見張りの目が光っていることを私は知っている。
ガマガエルが何を警戒しているのかは分からないが、これではまるで幽閉だ。
奥さまは、私に向って不平不満を言ったり涙を見せたりすることは一度もないが、いつも悲しげに微笑んでいる。
度重なる不幸に、この方は何を思っているのだろう。
あのガマガエル親子の悪党ヅラを見るたびに、前伯爵の死も、嫡男の失踪も、あいつらが仕組んだものに違いないと確信を深める。
奥さまは、ふいに窓に顔をむけ空を見やった。
「今日はいい天気ね」
「はい」
空高く飛ぶ鳥を目を細めてごらんになる。
カーテンを開け、窓ごしに外を眺めるのが、奥さまの毎朝の日課だ。
窓の外に、誰かの姿を探しているようにも見える。
(失踪したアレンさまの姿を探し求めているのかしら…)
前伯爵の葬儀の直後に失踪した嫡男のアレンさまは、2年間一切の消息もなく、生死不明のままだ。
いつものことながら、奥さまの悲しげな様子にとても声をかけることはできない。
メイドの私にできることは、黙って傍にいることだけなのだ。
奥さまへの給仕を終え、日差しが強いうちに洗濯を済ませると、あっという間に昼食の時間になる。
食堂でガマガエルが客と会食をする。
今日の相手は怪しげな貿易商だ。
口の中の食べ物を飛び散らせながら“禁制品”だの“密輸”だのいかにも悪党っぽい台詞をガハガハと笑いながら喋っている。
貿易商がべたっとした猫なで声で媚びた。
「伯爵さまのおかげで、私どもも大変助かっております」
「私はまだ伯爵ではないよ。アレンが戻るまでの代わりだ」
ガマガエル、否定しつつも“伯爵”と呼ばれたことにご機嫌だ。
この国では、生死不明で行方不明となった場合、2年たつと死亡宣告を受けることになる。
前伯爵が、生前に嫡男のアレンさまを伯爵家の跡継ぎに指名されていたため、アレンさまの死亡が公式に認定されない限り、ガマガエルに爵位が転がり込んでくることはないのだ。
「こう申してはなんですが、アレンさまはきっとお亡くなりになってしまっていますよ。私ども領民も、伯爵さまがこのまま継いでくださることを願っております」
「いやいやいや、私たち家族は、まだアレンが生きて帰ってくると信じておるよ」
ガマガエルはガハガハと笑う。
まったくもって白々しい。
アレンさまの失踪にガマガエルが一枚噛んでいるのは、このあたりの人間なら誰だって察している。
ガマガエルが伯爵になって嬉しいのは、あくどい商売を後押ししてもらえる悪徳商人たちだけだ。
こういう時は、その場にいても何も聞かないふりをするのがプロのメイドだ。
気配を消して、必要な動作以外せず微動だにしないで控える。
耳に入ってしまったヤバイことはその日のうちに頭から消してしまったほうが賢明だ。
おぼえていたところでメイドの私には何の得にもならない。
噂話をして面白おかしく喋ろうものなら、メイド生命、いや生命そのものを絶たれる危険性だってある。
何事にも足をつっこまないのが一番なのだ。