伯爵家のメイド 12
翌日。
モリーとアレックの姿が屋敷から消えた。
一時屋敷は騒然としたが、メイドと馬丁の駆け落ちだろうと事情がのみこめると、追っ手を出そうともせず、何事もなかったかのように事態は沈静化した。
ただ、ジェニとリタが、ライバルが減ったと喜んだばかりだ。
(しょせん、使用人なんてこんなものよね…)
虚しい気持ちを押し隠して、夕食の給仕をする。
今夜ガマガエルは、商人たちの招待で出かけている。
食堂には、下品な音をたてて食事をするヴァルターと私だけ。
いつもだと、夕食の給仕だけは、「そのままベッドにもつれこめる可能性がある」と言って他のメイドたちがするのだが、今夜はライバルが一人減って寵愛を増すチャンスとばかりに、二人とも寝化粧に余念がなく、部屋から出てこない。
モリーとアレックは今頃どのへんにいるのだろうか、とぼんやり考えていると、思いがけないほど間近からヴァルターの声がした。
「ねえ、エレイン、君ってすごいらしいね」
「は?」
いつの間にかヴァルターが私の傍に立っている。
「下働きの男たちの間で噂になってるよ。エレインはお堅い外見から予想がつかないほど、アッチの方はすごいって」
(アレックの野郎…!)
恩を仇で返すとはこのことだ。誰がモリーの説得をしたと思ってるのだ。
まぁ、変な噂になることぐらい覚悟の上だったが…。
ヴァルターが私に興味を持ち始めるのは計算外だ。
「君、胸もないし、僕の好みじゃないんだけど…、よく見ると、かっちりまとめた金髪と緑の眼がそそるよね」
(好みじゃないんなら、ほっとけ!)
好色な笑みを浮かべながら、じりじりと近寄ってくるヴァルターをなんとか避けながら、この危機を回避するためにどうしたらいいか、脳が急速回転をはじめる。
「モリーがいなくなって、僕も寂しいんだ…。君に慰めてほしい。君の好きな趣向でかまわないよ。僕を縛り付けて、ロウソクや鞭でいじめてくれ…」
(キモい!!)
あまりの気色悪さに体が固まって、逃げようにも逃げられないでいるうちに、壁に追いつめられ、ヴァルターの腕のなかに囲い込まれる。
やばい。
ヴァルターが小鼻を膨らませて顔を近づけてくる。
「僕のこと、“ブタ野郎”って呼んでくれ…」
(お前だったら“ヘビ野郎”だ!ボケ!!)
頭の中では罵詈雑言が駆け巡るが、体は依然全く動かない。
ヴァルターが、爬虫類を思わせる薄い唇を寄せてくる。
頭が真っ白になって、ギュっと目をつぶる。
(―――いやだ!!誰か助けて!!)
ボグッ!!
(――…?あれ?)
鈍い音に目を開ければ、目の前にはヴァルターに間抜け顔ではなく、あの男が立っていた。銅製の置物を手にして。
「大丈夫か」
見ると、足元にヴァルターが倒れている。
後頭部を殴られて気絶しているようだ。
(た、助かった…)
ヘナヘナとその場に崩れ落ちそうになるのを、男が支える。
「おっと。安心するのはまだ早い。まだ見張りに気づかれちゃいないが、こいつが気づくと大騒ぎになる。今のうちに逃げようぜ」
ぐいっと腕をひかれ、窓に向かう。どうやら窓から侵入したようだ。
窓の外にはもう一人男が待っていて、“こっちだ”というジェスチャーをして、周りに気を配りながら先導して走り出す。
男に手をひかれ、自動的に足を動かしながら、回らない頭の中で思ったのは―――。
(私はこの先、どうなるんだろう?)
思わず、泣きたくなった。