伯爵家のメイド 10
「妊娠って…、ヴァルターさまの子?」
思わず確認する。
多分、いや、絶対に違う。
避妊が趣味のヴァルターは、色々試したあげく、怪しげな商人から買ったらしい妙な薬にまで手を出しているのだ。
朝、後始末をしていると、毎日必ずベッドの脇に薬ビンが転がっている。
男性側が服用するその薬は、素人にはわからないかもしれないが、薬草の知識が少しでもある者なら非情に強い薬草を使っていることがすぐにわかる。
ヘタに服用すると子種がなくなってしまう程強力だ。
規定量を無視して毎日2,3本を飲み干しているあのアホには、絶対に悪い影響が出ているはずだ。
「う~ん、わかんないの~」
自信なさげにモリーがつぶやく。
避妊薬のことは知らなくとも、相手をしている女の勘で、ヴァルターの避妊の凝り様を察してはいるんだろう。
「で、でも~。子どもができたって言えば、ヴァルターさまだって認知してくれるわよね~。だってあれだけ相手してたんだから~。身に覚えはあるわけだし~。伯爵家の奥方さまになるのは無理でも、子どもができたんだもん、メイドからお妾にはしてくれるわよね~!?」
勢いこんで、私に縋るように言う。
「父親はアレックなんでしょ」
モリーが意識的に避けていた名前をズバリと言う。
以前はともかく、今のモリーの恋人はアレックだけだ。
アレックの名前が出た途端、モリーはしゅんと下を向いた。
「…アレックは、一緒に逃げようって言うの~」
ちょっと前のモリーだったら、ヴァルターの間に子どもができなくても、他の男との子どもをヴァルターの子と偽って玉の輿に乗ろうとするくらい、平気でするはずだ。
でもこうして迷っているということは、アレックの本気に感化されているということだろう。
「でも~、アレックと一緒に逃げたら、生れてくる赤ちゃんは馬丁の子でしょ~?嘘でもヴァルターさまの子どもとして育ったら伯爵の子よ~。
あたしはメイド、あたしの子はメイドの子、で終わりたくないし~」
「メイドの子はメイドの子よ」
自分で思った以上に冷たい声が出た。
「いつまで甘いことを言ってるのよ。ヴァルターさまが自分の子だって認めるわけないでしょ。あなたたちにあれだけ毎晩相手させておきながらメイドのままにしておくのは、側妾にする気なんかハナからないからだわ。
手をつけたメイドに、自分の子かもしれない疑いのある子どもが出来たら、最悪、母子ともども始末されるか、屋敷から放り出されるか、どちらかよ」
いつも適当な相づちしか打たない私が急に喋り出したのを見て、モリーは目をまるくして驚いている。
「私の母は王宮付のメイドだったわ。城の男に手をつけられて私を産んだ。相手の男は父親として名乗り出てはこなかったから、母は産み月だけ実家に帰ってお産をした。あとは、一人で私を育てるため働きに働いて死んだわ。お手つきのメイドなんて、そんなものよ」
それに…。と内心思う。
もし3日後に男が計画を成功させたら、ヴァルターは一転、罪人になる。
今このタイミングで“ヴァルターの子かもしれない”子どもの存在が明らかになったら、後々の処遇が面倒なことになりかねない。
お腹の子どもは“罪人の子”になり、その母親であるモリーだって幸せな未来が待っているとは到底思えない。
モリーは目に見えて真っ青になって震えている。
おそらく、いつもどおり私が適当な肯定をしてくれると思ってここに来たのだろう。
少し脅かしすぎたかな、と思い声音をやわらげた。
「アレックはあなたのこと、本当に愛してるわ。いい父親になると思う。
あとはあなたたちでじっくり話し合いなさい。どういう決断をするかしらないけど、もし屋敷から逃げるなら早いほうがいいわ。順番からいって、今夜と明日の夜はジェニとリタがヴァルターさまの部屋に呼ばれそうだから、どちらかの夜に逃げ出せばいい」
モリーの怯えた目を、しっかりと見据えて言った。
「いい?母親になるんだから、現実を見なさい」
モリーはすっかり気圧された様子で、こくこくと何度も頷き、ハーブティーに手もつけずにフラフラと城に戻っていった。