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『潮風の記憶- 第一章』

作者: 小川敦人

『潮風の記憶- 第一章』


私の名前は渚菜緒子。今は東京の人材派遣会社で正社員として働いているが、生まれたのは遠く離れた漁港の町だ。

窓から見える高層ビル群を眺めながら、今日も故郷の潮の香りを思い出していた。

うちは代々続く船元で、港では誰もが知る存在だった。

祖父の代から大きな漁船を持ち、町一番の水揚げを誇っていた。

父は毎朝まだ暗いうちから出漁し、母は魚の競りが終わると港の傍らにある小さな魚屋で働いていた。

家の裏手には丘の上に公園があった。

錆びついた鉄の滑り台と古びたブランコがあるだけの小さな公園だったが、私たち子供にとっては無限の遊び場だった。

近所の子供たちと缶けりをしたり、かくれんぼをしたり。

夕暮れ時になると母の「菜緒子ー、ご飯よー」という声が聞こえてくるまで、時間を忘れて遊んでいた。

特に好きだったのは、防波堤の上から見る夕陽だった。

友達の美奈子と二人で、でこぼこした消波ブロックを飛び石のように渡って先端まで行き、オレンジ色に染まる海を眺めるのが日課だった。

潮風が髪をなびかせ、かもめが波間を滑るように飛んでいく。その景色は今でも鮮明に覚えている。

春には山桜が咲き、夏には浜辺で潮干狩り、秋には港祭り、冬には餅つき大会。

季節ごとの行事が、まるで海の潮のように規則正しく巡ってきた。

父が船から水揚げしてきた魚を、母が手際よくさばく音。

台所に立つ母の背中を見ながら、私もいつかはあんな風になれるのかなと思っていた。

でも、高校を卒業する頃には、もうその思いは消えていた。

「このままここにいたら、世界を知らないまま終わってしまう」。

そんな漠然とした不安が、都会への憧れと重なっていった。

大学進学を機に上京してから、もう十年が経つ。

今の生活は確かに便利だ。人材派遣会社の営業として働く私の仕事は、人々の人生の岐路に立ち会うことの連続だ。

派遣先を回りながら、様々な人生模様を目の当たりにする。

子育てと仕事の両立に奮闘する女性、定年後に新しいキャリアを模索するシニア、夢を追いかけながらアルバイトを掛け持ちする若者たち。

彼らの話を聞きながら、私も故郷を離れて上京してきた時の不安と希望を思い出す。

二十四時間営業のコンビニ、深夜まで走る電車、スマートフォン一つで何でも手に入る。

でも、どこか虚しい。高層ビルの間を吹き抜ける風には、潮の香りがしない。

先日、実家に電話をした時、父が漁を引退すると言っていた。

「もう歳だからな」と、いつもの調子で言う父の声に、少し寂しさが混じっているような気がした。

町の漁師は年々減って、若い人はみんな都会に出て行くという。

私が子供の頃、港を埋め尽くしていた漁船の数も、今では半分以下になってしまったそうだ。

デスクに置いた写真を見る。防波堤の上で撮った高校卒業前の一枚だ。

制服姿の私の横で、父と母が誇らしげな表情を浮かべている。

その後ろには、いつもの海が広がっている。あの頃は、この写真の中の景色が永遠に続くと思っていた。

人材派遣の仕事を通じて、私は人生の変化に向き合う人々の勇気を目にしてきた。

転職を決意する人、新しい技術を学ぼうとする人、家族のために働き方を変える人。

それぞれが自分なりの航路を見つけ、時には荒波にもまれながら、前に進もうとしている。

父の背中を見て育った私には、人々の人生の航路を支える強さが、確かに受け継がれているように思う。

派遣先で出会う一人一人の物語に真摯に向き合いながら、私も自分の航路を進んでいる。

電車に揺られながら、ふと思う。本当の贅沢って何だろう。

便利で快適な暮らしなのか、それとも自然と共に生きる素朴な日々なのか。

答えは出ないまま、また今日も超高層ビルの中で、故郷を想う。

私の心は、いつも海を見下ろす丘の上の公園に、帰ろうとしているのかもしれない。



『潮風の記憶 - 第二章』


あの台風のことを思い出すたび、私の背筋は今でも凍る。

中学二年生の夏の終わり、私たちの町を襲った台風は、それまで経験したことのないような暴風雨だった。

夜が深まるにつれ、風は激しさを増していった。

家の窓ガラスが軋むような音を立て、波の轟音が地響きのように伝わってきた。

母は懐中電灯を持って何度も家の中を巡回し、父は外の様子を窺いながら、携帯ラジオから流れる気象情報に耳を傾けていた。

「菜緒子、二階には上がるな」

父の声は、普段は聞けない緊張感を帯びていた。

私は一階の居間で、毛布にくるまって座っていた。

真っ暗な外からは、まるで巨大な生き物が家を飲み込もうとしているかのような音が聞こえてきた。

波が防波堤を越える度に、家全体が震えているような感覚があった。

夜が明けても、雨は降り続いていた。でも風は少し穏やかになっていた。

父が玄関を開けると、潮の匂いと共に生臭い匂いが押し寄せてきた。

道路には砂利や海藻が散乱し、あちこちに流木が転がっていた。

そして、浜辺に目をやった時、私たちは息を呑んだ。

二十メートルはある大きな漁船が、まるで子供のおもちゃのように浜に打ち上げられていた。

船体は横倒しになり、船首は砂浜に深く食い込んでいた。船尾には「第八福寿丸」という文字が見える。

私たちの町の船ではなかった。

「あれは...確か隣町の船だな」

父の言葉に、母が小さく頷いた。

近所の人々も次々と浜に集まってきた。誰もが言葉を失ったように、打ち上げられた船を見つめていた。

消防団や警察も到着し、船の周りにロープを張って立入禁止の措置を取った。

その日の夕方、驚くべきニュースが町中を駆け巡った。福寿丸の船内から、大量の現金が見つかったのだ。

しかも、それは前日に隣町の信用金庫で起きた強盗事件の盗難金と一致した。

船長は行方不明。乗組員も誰一人見つからない。

事件は全国ニュースでも報じられた。取材陣が押し寄せ、静かだった漁港は一気に騒がしくなった。

警察の調べで、船長は借金を抱えており、乗組員と共謀して強盗を働いたことが分かった。

台風を利用して逃げようとしたが、荒波に呑まれてしまったらしい。

でも、それは事件の始まりに過ぎなかった。

一週間後、浜で遊んでいた小学生たちが奇妙な物を見つけた。

透明なビニール袋に包まれた、びしょ濡れのノート。

そこには、信じられない事実が記されていた。

それは船長の手記だった。

強盗は船長の自作自演ではなく、地元の有力者たちによる保険金詐欺の計画だったことが、克明に記されていた。

船長は脅されて協力させられ、台風の夜、予定通り船を出したものの、想定以上の大波に遭遇。

必死の操船の末、奇跡的に小型ボートで脱出。

手記を残して姿を消したという。

父は、手記の内容を知った後、夜な夜な電話で誰かと話すようになった。

母は心配そうな顔で父を見つめ、私にはその話題に触れないよう言い聞かせた。

そして事件から一ヶ月後、父は突然、漁協の組合長を辞任した。

理由は誰にも話さなかった。ただ、「正しいことをした」と、母に小さく呟くのを聞いた。

後になって分かったことだが、父は手記の内容を証明する証拠を持っていた。

漁協の会計資料の中に、不正な保険金請求の痕跡を見つけていたのだ。

それを当局に内密に提供していたという。

事件は最終的に、地元の有力者たちの逮捕で決着した。

しかし船長の行方は、今でも分かっていない。

あれから十五年。打ち上げられた福寿丸は、しばらくの間、浜の観光スポットのように人々の注目を集めていたが、やがて解体され、その姿を消した。

でも、台風の夜の恐怖と、その後に明らかになった事実は、私の心に深く刻まれている。

今、人材派遣の仕事をしながら、時々あの事件を思い出す。

表面上は穏やかに見える日常の中に、どれほどの秘密が潜んでいるのか。

人々は何を思い、何に苦しみ、何を守ろうとしているのか。

派遣先で出会う人々の中にも、きっと誰にも言えない事情や、守りたいものを抱えている人がいるはずだ。

だからこそ、父がそうであったように、私も真摯に向き合っていきたい。

窓の外を見ると、高層ビルの間から、小さな入道雲が見えた。

あの日のように、台風が来そうな空だ。私は鞄から、父から譲り受けた古い懐中電灯を取り出した。

電池は新しいものに替えてある。非常時の備えは、故郷で学んだ大切な教訓だ。

そうだ。週末、久しぶりに実家に帰ろう。父に会って、あの事件の真相を、もう一度聞いてみたい。

きっと、まだ語られていない物語があるはずだから。



『潮風の記憶 - 第三章』


今日も派遣先から深夜の電車に揺られて帰る。

車窓に映る自分の顔が、街灯に照らされては消え、照らされては消える。

今日の派遣先で、若い社員が過労で倒れた。

救急車を呼び、上司に連絡を入れる間、彼の机の上に積まれた書類が崩れ落ちた。

拾い集めながら、彼の手帳が目に入った。所々にメモ書きがあり、「もう限界」「死にたい」という文字が走り書きされていた。

ビルの谷間に暮らす人々は、目に見えない重圧と戦っている。

台風のような自然の脅威は少ないかもしれないが、もっと根深い、もっと見えにくい困難が人々を追い詰めている。

昨日の派遣先では、SNSの誹謗中傷に悩む女性社員の相談を受けた。

「顔も知らない誰かに、存在を否定されるんです」と、彼女は震える声で話した。

故郷では、誰もが顔見知りだった。憎しみも愛情も、すべて実在の人との関係の中にあった。

でも今は、画面の向こうの見えない誰かが、人の心を深く傷つける。

先週は、派遣社員の面接で、中年の男性が涙を流した。リストラされ、家賃も払えない。

妻子を実家に帰し、カプセルホテルを転々としながら仕事を探している。

「故郷には帰れない。みんなに顔向けできない」と、俯いたまま話した。

便利になった分、人は孤独になった。スマートフォンの画面を見つめる人々の表情は、みんな同じように虚ろだ。

必要な情報はすぐに手に入る。でも、本当に必要なものが何なのか、誰も分からなくなっている。

ふと、子供の頃に見た夕陽を思い出す。防波堤の先端で、美奈子と二人で見ていた茜色の空。

「大人になったら、どんな人生になるんだろうね」と話していた。

その頃は、未来への不安より、期待の方が大きかった。

でも今、人々の表情からは、その期待が消えている。

効率と利便性を追求するあまり、私たちは何か大切なものを置き去りにしてきたのではないか。

父が教えてくれた漁師の知恵。「魚は、急いで追いかけると逃げていく。

じっくりと待って、海の流れを読むんだ」。今の社会は、その逆を行っているように思える。追いかけ、追い詰め、そして疲れ果てる。

先日、実家に電話をした時、父が面白いことを言った。

「漁師は減ったけどな、最近は若い連中が週末だけ漁に来るようになった。

パソコンの仕事の合間に、海の風に当たりに来るんだと」。

父は続けた。「便利な世の中になったからこそ、人は本物の自然に触れたくなるんだろう。

海を見てると、人間がちっぽけに思えるだろ。でも不思議と、心が落ち着くんだ」。

窓の外を見ると、高層ビルの灯りが星空のように瞬いている。

人工の星空。美しいけれど、どこか切ない。子供の頃に見た、防波堤からの星空は、もっと深く、もっと遠く、そしてもっと確かな存在を感じさせた。

電車が駅に着く。改札を出ると、同じように疲れた表情の人々が、それぞれの方向に流れていく。

みんな、どこかに帰りたいと思っているのだろうか。それとも、帰る場所を見失ってしまったのだろうか。

鞄の中の懐中電灯に触れる。非常時の備えとして持ち歩いているが、それは同時に、私の原点への目印でもある。

どんなに便利になっても、人間に必要な本質は変わらない。

つながりであり、信頼であり、自然との調和なのかもしれない。

来週末、実家に帰ることにした。防波堤に座って、夕陽を見よう。そして考えよう。

私たちが目指すべき未来とは、便利さと引き換えに何かを失う未来ではなく、大切なものを守りながら、新しい価値を創造していく未来なのではないかと。

人類は今、大きな岐路に立っている。でも、答えは案外シンプルなのかもしれない。

故郷の海が教えてくれたように、立ち止まって、波の音に耳を傾けること。そこから、新しい航路が見えてくるはずだ。



『潮風の記憶 - 最終章』


渋い男性の歌声が、どこからか聞こえてきた。

それは遠い記憶の中に埋もれていたはずの歌、「HOME TOWN CUITE」。

不意に流れ込んできた旋律は、都会の雑踏の中に埋もれていた私の心を、ひととき故郷へと引き戻した。

オフィスビルの窓際に立ち、夜景を眺めながら、私はそっと目を閉じた。

この曲を最後に聴いたのはいつだっただろう。

たぶん、高校を卒業する前の春、海沿いの防波堤に座りながら、美奈子と二人でイヤホンを分け合っていたときだ。

「都会に行っても、たまにはこの曲を思い出しなよ」

そう言った美奈子の声が、今も耳の奥に残っている。


** ** どんなに離れても けして忘れなかったよ****


私は本当に、この町を忘れずに生きてきたのだろうか。

毎朝、決まった時間に満員電車に揺られ、デスクに向かい、パソコンの画面とにらめっこする。

会議室で繰り返される打ち合わせ、数字と書類に追われる日々。

それは、故郷での生活とはまったく違うものだった。

都会に来たばかりの頃は、すべてが輝いて見えた。

ネオンが瞬く夜の街、洗練された人々の流れ、電車に乗ればどこへでも行ける自由。

でも、どこか心の奥でいつも何かが足りないと感じていた。

ふとした瞬間に蘇るのは、潮の香りや、漁船の汽笛、防波堤に打ち寄せる波の音。

忙しさにかまけて、それらを思い出すことすら少なくなっていたが、こうして音楽が流れると、あの町の風景が鮮明に浮かんでくる。


**** 朽ち果てた俺の家と鉄のFENCE AREA ONEの角を曲がれば お袋のいた店があった****


駅前の古びた喫茶店、港のそばにあった母の店。

カウンター越しに母の笑顔を見ながら、手作りのプリンを食べた子どもの頃。

「都会に行っても、無理しすぎるんじゃないよ」

私が東京の大学に進学する前夜、母はそう言っていた。

そのときは「大丈夫」と笑っていたけれど、本当はどこか不安だったのかもしれない。


ふとスマートフォンを取り出し、連絡先のリストをスクロールする。

母の名前の隣に表示された「最後の通話履歴」は、もう半年も前だ。

最近、忙しさにかまけて、まともに話していないことに気づく。


**** 白いハローの子に追われて 逃げて来たPXから 今はもう聞こえない お袋の下手なBLUES** **


母が好きだったブルース。

店の片隅に置かれた古いレコードプレーヤーから流れていた、かすれた歌声。

「うまく歌えないけど、好きなんだよね」

そう言いながら、母はコーヒーカップを拭いていた。

私はいつから、母の好きだったものを思い出さなくなったのだろう。

忙しさにかまけて、母と向き合う時間を削ってしまったのではないか。


**** 俺には高すぎた鉄のFENCE****


東京での生活は、まるで高いフェンスの向こう側にいるようだった。

そこには自由があった。けれど、誰とも深く交わることなく、ただ忙しさの波に流されていた。

一つの仕事が終われば、また次の仕事。

便利な生活の中で、本当に大切なものを見失っていたのかもしれない。


**** 「あばよ」の一言もなく 消え失せたあの頃****


都会に出るとき、私は友達にも母にも、きちんと「行ってくる」と言えただろうか。

あの町を「捨てた」わけではないのに、どこか後ろめたさを感じていた。

「帰りたい」

今、心の中でそうつぶやくと、不思議と胸が軽くなった。

改めてスマホを手に取り、母の番号を押す。

コール音が鳴るたびに、胸の奥がざわめいた。

「もしもし、菜緒子?」

聞き慣れた声が耳に届いた瞬間、思わず涙がこぼれた。

「母さん、元気?」

「もちろん元気だよ。そっちはどうだい?」

「…うん、なんとかやってる。でも、そろそろ帰ろうかなって思って」

「そうかい? なら、いつでもおいで。お店は変わらずここにあるよ」

変わらずここにある…

言葉が、何よりも心を温めてくれた。

週末、私は久しぶりに故郷へ帰ることにした。

スーツケースに、都会ではもうあまり着なくなったジーンズとスニーカーを詰める。

母が好きだったブルースのCDも、手土産にしよう。

そして、防波堤に座って、沈む夕陽を眺めるつもりだ。

私の心は、ずっとあの町にあった。

それを思い出させてくれたのは、ふと耳にした一曲の歌。


**** HOME TOWN CUITE** **

それは、私にとって帰るべき場所の歌だった。



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