第三十四話
「もどきって‥‥?」
知らない言葉で、何を言われたかよくわからず、無意識に口にしていたのは、そんな疑問だった。
言葉に出してしまってから、気付き、ハッとした。
「あっ、ごめんなさい!えっと‥きょう‥今日から見習いになるアレクです。よろしく‥お願いします」
慌てて立ち上がり、頭を下げてから、伺うように顔を少し上げると目が合い、眉を寄せ睨まれた。
挨拶もせずに、知らない言葉に気を取られて無知を晒し、怒らせてしまったのだろうと思い、更に申し訳なくなった。
「‥‥お前の教官のジルベールだ。今年の見習いは、お前入れて十八名。もうすぐ残りも揃うだろう。ところで、お前、いつからここにいた?」
「夜明けに家を出たので‥‥それから父さんに連れてきてもらってからここにいました」
「なら二時間近くか‥‥。まったくあいつは‥‥。明日からは、朝の鐘がなったら家を出てここまで来い。以上だ」
「は‥はいっ!」
どうやら相当早く来てしまったらしい。
それからしばらくして、僕の同期となる残りの十七名が揃った。
様子を見る限り、僕以外は全員知り合いのようで、僕だけぽつんとしているしかなく、話しかけていいものかもわからずなんだか気不味かった。
小さい頃から気付いていたが、僕も母も町ではいつも好かれていなかったからだろうな、と思う。
なぜだろう。
わからない。
「揃ったな、見習い共。今から訓練を始める。三列に並べ」
教官のジルベールがそう言うと、三列に並ばされ、その後、教官の指示で四名程が列を入れ替わる。
「よし、こちらから二六番隊、二七番隊、二八番隊だ。今後はどの訓練も班ごとに行う。正式に入隊し配置が決まる五年後まで変更はない。では、騎士団の説明に入る」
僕は、二八番隊に配属された。
返事の仕方、整列時の姿勢、敬礼の作法など、実際に身振り手振りやってみながら一段落後、騎士団の規律の説明があり、騎士団内での決まりごとの多さに驚き、違反すれば罰が課されることに更に驚き、普段の生活でも騎士としての心得を守ることなど、多種多様な事を教えてもらった。
僕以外のみんなは、当たり前のように聞いていたが、家から殆ど出たことなく、今まで騎士について興味もなかった僕には、はじめて聞くことばかりで、自分のあまりの無知さに恥ずかしくなった。
そして、陽が真上に来て、昼の鐘が鳴り、僕等は、騎士団の食堂に案内され、昼食を食べることになった。ここでも班ごとに席に着く。
食べ始めてすぐに、この日初めて同じ見習いの、同じ二八番隊の人達から話しかけられた。
「おい、お前見ない顔だよな。名前は?」
「は、はい!僕はアレクです」
「俺はサム。で、こいつがオジー、その隣がコーリー、リックに、ゼノだ」
「あの‥‥よろしくお願いします」
「ああ。それより、アレクはこの町の子か?最近この町に来たとか?」
「いえ、生まれた時からこの町に住んでます」
「え?ほんとに?会ったことないよな」
「だよな」
「僕‥‥あまり家から出たことなかったから‥‥」
「あー‥‥そうなのか。体が弱いとかじゃないんだろう?」
「はい、普通だと思います」
「なら問題ないな」
「だな」
「よろしくな、アレク」
「よろしく、アレク」
嫌われているのかと思ってたのに拍子抜けするくらい、みんな友好的だ。それが嬉しくて、僕は少し照れながら「よろしくお願いします」と言い、とても楽しい昼食を過ごすことができた。
「騎士になるなら体力が何より必要だ」
午後は、第一声に教官にそう言われ、足腰が立たなくなるまで何度かの短い休憩を挟み走りっ放し。僕は一番体力がないらしく、ノロノロととにかく走り続け、昼食を吐きそうになりながら、どうにか最後まで粘ることが出来た。
全員が、ゼィハァと仰向けでぐったり倒れる中、教官は「そのままで良い、耳と脳みそだけ動かせ」と言い、騎士団の役割と義務について話しだした。
「この辺境最大の砦は、隣接する魔境の魔物や魔獣との防衛線である。我等の役割は、奴等を決して人類圏に入れない事だ。お前等も知る通り、魔王はいつ復活してもおかしくない時期に来ている。理解しているな」
みんなボロボロな中、か細い声で「はい」と答えたり、何とか頭を動かし頷く。
そんな中、僕は驚き過ぎて、固まっていた。
魔獣?魔物?魔境?魔王?
何それ?!
実在するの?!
たまに家に帰る父さんが勝手に語る話や、母さんが寝る前に何度か語ってくれた御伽噺のような勇者の話。その中に、魔獣も魔物も魔境も魔王も出てきてはいたが、遠い昔々の話だと思っていた。
まさか、僕の平和な日々が、この砦に隣り合い、常に危険と共にあったなど考えた事もなかった。
知らなかったから仕方ないなんて言えない。
なんて僕は世間知らずなんだろう。
焦りから、這い蹲るように何とか体を起こし、食い入る様に教官の声に集中する。
「二十七年前、勇者様が魔王封印に赴かれている間、俺はこの砦で見習いを卒業し、部隊に配属されて三年目だった。俺達は、この砦での、いや、この国の、世界の防衛で、多くの仲間を失った。当時、騎士団は四部隊に分かれて一日を四交代にして魔獣や魔物と戦い続けた。わかるか?戦い続けたんだ。どれだけ疲れようが、手足が動くなら怪我を多少負っても剣を振るった。その為に一番必要なことは、体力だ。気力だけじゃ仲間の足手まといにしかならん。今日、走ってみてわかっただろう。今のお前達が全く役に立たんどころか、足手まといでしかないことを」
そんなに長い時間、戦い続ける必要があるのか‥‥。
ジルベール教官の言う通り、今の僕等じゃ役立たずの足手まといだ。
「お前らは、まだ魔獣や魔物を見たことがないだろう。砦より向こうに子供は立入禁止だしな。だが、我々が対峙する敵を知らないことにはこの辺境の騎士とは言えない。そこで、だ。明日は、全員で魔境に入り、実際に騎士達が魔獣や魔物を討伐する現場を見学してもらう」
「‥‥!?」
見習い全員が息を呑んだのがわかった。
僕もじわりと背筋が凍った。
「寄り道せずに家に帰りしっかり休むように。今日は解散だ。全員起立っ!礼っ!」
「「ありがとうございましたっ!」」
その後、僕等は疲労で痛む全身を引き摺るように砦を出る。
「疲れたな‥‥」
「ほんとに!まさかずっと走らせれるとは思わなかった」
「明日は‥‥ちょっと怖いよな」
「だよな‥‥。でも騎士になるなら当然知らなきゃな」
「だな」
今朝、父さんに教えてもらった初代領主様の像の前までやってきた。すると、みんな右に曲がる。
「あ、あの‥僕こっちだから‥‥」
どうやら、初代領主様の像の左の道を進むのは僕だけだったようだ。
「そっか、アレクの家はそっちか」
「うん」
「また明日な」
「またな」
「お疲れさん」
「うん!お疲れ様!また明日!」
ノロノロと足を進めながら、僕は今日を振り返っていた。
今日ほど知らなかった事を知った日は初めてだと思う。
母さんと弟だけの僕の世界は、今日から変わる。まだ、少ししか話していないけれど、同い年の同じ隊の仲間が出来た。
家とその小さな庭、そしてたまに母さんに手を引かれながら行く僕を嫌っていた町だけしか知らなかった僕の世界は、行ったことがない町の奥から、更に、大きな砦まで広がった。
この世界は、どこまで広いのだろう。
全く想像できない。
周りを見渡すと、夕日に淡く照らされた初めての夕方の町並み。人々が忙しなく歩き、朝見た風景と違って見えた。
あまりに物知らずだった自分が情けなくて、帰ったら母さんに色々質問してみようと思っていたのに「おかえりなさい。お疲れ様、頑張りましたね」と、温かい夕食を用意してくれていた母さんの手料理をありがたく食べ終わると、あまりの眠気にそのままその日は眠ってしまった。
よく夢は見る方なのに、その日は夢も見ずに、ぐっすりで、目を覚ましたら、もう翌朝だった。
今日、僕等は魔境に行く。
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