第二十九話
ウィルも父上も母上も兄上も、みんなみんな僕が勇者になったことを喜んでいる。
一族が総出で俺を褒め称える。
二日前、僕は――勇者になった。
なった瞬間、流れ込むたくさんの勇者達の記憶や感情と、誰にも話してはならない誓約に目の前がクラクラした。
こんなにもたくさんのことを一度に詰め込まれたことは今までなく、その情報の濁流に頭が真っ白になった。
だけど、それも瞬きの間で、次の瞬間には妙に頭がスッキリしていた。むしろ、生まれて初めての感覚だが、言葉にすると‥‥周りがよく見えた、だろう。
今までは、一本道だけしかなく、高い壁で囲まれた道を歩いていた気さえする。今は、広くどこまでも続く地と空を、自由に歩けるような、そんなふうに感じた。
そんなスッキリした中で、僕には考えないといけないことがあることを知る。
勇者として僕がすべき事。
僕の従兄弟のウェイリアム――ウィル。
今も僕の横で、一族のみんなと自分の事のように僕が勇者となったことを喜び誇ってくれている。
ウィルのことは、大好きだ。
僕になくてはならない人で、兄弟のようで、自分の一部のようで、ウィルが喜んでくれれば、一緒に何をするのも楽しかった。
スッキリした頭で、周りがよく見えるようになって二日目。
今まで見えていなかったウィルのことを、改めて知るような、不思議な感覚を味わっている。
僕が、頭が悪く物覚えも悪く、大人達が悲しそうな目をしていることは、割と早く気付いていた。でも、はっきり気付いていたわけじゃない。ウィルや親達、侯爵家の臣下達、周りがはっきり気付かせないように、僕を気遣ってくれていたのが今ならよく分かった。
思い起こせば、そうだっただろう出来事が、次々と思い出せるからだ。
僕の家は、石造りの城と呼ばれる大きなものだ。
歴史のある大きな城は、広くとても大きい。
僕の一族、僕の侯爵家、父上の弟が当主でウィルの伯爵家、父上の従兄弟が当主のもうひとつの伯爵家の三家がこの城で暮らしている。他家では見られない暮らし方なのだそうだ。
同じ城に住んでいるので、一日違いで生まれた僕とウィルは、生まれた日から今日まで一日だって離れたことはない。
ずっと、大事に大事に広い城とその城壁に守られて育てられた。
だから、初めての悪意は、城の外で経験した。
貴族の子供も多く集まる園遊会。初めての遠出と、はじめて参加する催しに僕もウィルもわくわくしていた。
僕とウィルの母上達に連れられ、たくさんの同年代の子供達と挨拶を交わしながら色とりどりの花咲く庭の一角を歩き回り、一通り挨拶が終わると、子供達で楽しみなさい、と母上達は大人達がいる方の庭へ去って行った。
僕とウィルは、手を繋ぎながら、どうしよっか?お菓子を食べようか、誰かに話しかけてみようかと二人でキャッキャと相談していた。
突然、ウィルの肩がビクッと震え、ウィルの顔が徐々に青褪め出した。
ウィルは、俯き、何も話さなくなる。
僕はよくわからなくて、どうしようと思っていたら、近くにいた子供達の話し声が妙にはっきりと聞こえた。
「あいつ、名前なんだっけ?ウィリアム?」
「あの顔見た?顔が気持ち悪いったらありゃしない。きっと呪われた子なんだよ」
「近寄ったら呪われるかも」
「僕、さっき挨拶しちゃったよ。呪い感染んないかな?ねぇ、僕の目の周り変な色になってない?」
「触ったわけじゃないから感染ってないさ」
初めて腹の底から怒りが湧いたのを今でも覚えている。
僕が馬鹿だったことは、一族や婚約者が隠していたから、顔の痣というわかりやすい象徴に、いつも外から真っ向に悪意を身に受けるのは、いつもいつもウィルだった。
でも――ウィルは、僕が立派な騎士になる道を外させはしなかった。
怒りに任せ、拳を振り上げながら声にならない声を上げた僕の腕を必死に掴み、ウィルは言う。
「だめだよ、リアム。立派な騎士は、弱い者に力を使っては」
ハッとしてウィルの方を振り返り、目線が合う。
「僕は、リアムが僕を守るために怒ろうとしてくれているだけで嬉しいよ。ありがとう」
無理やり作った泣きそうな笑顔は、弱く儚く、この時、僕は絶対にウィルを護ると決めた。
はじめて、全てをかけて護ると誓った一人目だ。
護る一環で、同じになろうとウィルと同じ痣を作ろうとしてみたが、母上やウィルに泣かれ、せっかく作った痣のような傷は、すぐに聖職者に元通りにされてしまった。
泣かせたことは後悔しているし、反省しているが、ウィルとおそろいにできなかったのだけは、今でも悔しい。
それからは、ウィルは、痣のことを揶揄われ馬鹿にされ、避けられても、「あんなのほっとけばいいよ」と、言うようになった。
ウィルがそう言うなら、ほっとけばいいかと今までは思っていたが、今ならわかる。いろいろな意味があったのだと。
立派な騎士として暴言を吐き、暴力を働く愚かなことをし、リアムの醜態にさせないために。
ウィルを馬鹿にされ怒るリアムの心を落ち着かせるために。
何より、ウィル自身が、そう気丈に振る舞うことは、自身とリアムを守るためだったのだ。
勉強が、いや、物事が幼い頃からよくわからなかった。
ウィルと二人で受けていた当主教育は、途中から分家から来た令息達が加わり、更に少ししてから紹介された婚約者も加わった。
ウィルからこう言われた。
「リアム、敵を攻撃する隙を探るために、立派な騎士は時にはじっとしてなきゃだめなんだ。だから、僕達が勉強している間は、じっとする訓練をしてみない?」
「なんだそれ!攻撃する隙かぁー、かっこいいな!」
僕は、じっとする訓練だったと思っていたけれど、多分そうじゃない。
勉強できない僕が、勉強していたという事実を作る時間だったのだ。僕が馬鹿だから、僕の代わりにみんな必死に勉強していたのだろう。
何で今になってウィルや婚約者、周りのみんなの努力を気付く事ができたのだろうか?
きっかけは、どう考えても勇者になったこと、だ。
そして、意識を集中すると流れ込む、勇者たちの記憶。
強い想いや、苦しみが、追体験するように、意識を同調させ続ける。
――人とは、こうも、物事に思い悩むものだったのか‥‥‥
僕は、なんて能天気に守られ、物事を深く考えてこれなかったのだろうか。
護る側だと思っていたのに、僕は――守られていた。
恥ずかしい。
情けない。
僕が、立派な騎士として、立派な勇者として、できることを考えないと。
きっと、今の僕ならちゃんと一人で考えられる。
勇者になっただけじゃだめだ。
立派な勇者にならないと。




