第二十八話
十歳にして、わたくしは既に人生に悲観していた。
わたくしの家は、伯爵家で、女ばかりの三姉妹。
長女は、美しいものが好きで、自身も美しい女だった。
三女は、可愛らしいものが好きで、自身も可愛らしい女だった。
次女であるわたくしは、そのどちらでもなかった。
容姿は美しくもなく、可愛らしくもなく、中途半端なよくいる程度。
だが、わたくしは、本の知識や侍女達のちょっとした噂話、茶会で母達貴族の婦人達が交わす耳障りよく不快なおしゃべりから得た散らばるたくさんの情報の欠片を組み立てることに長けていた。
齢い一桁の幼女でしかないわたくしのたった一言から崩れる人間関係。
「わぁ!素敵な香りだわ!何かのお花の香だったかしら?最近よく似ている香りを嗅いだ気がするわ」
青空の晴れ渡る園遊会、母に連れられ挨拶をしたよく知る子爵令嬢に無邪気に笑顔で話しかける。
「ふふふ。褒めてくれて嬉しいわ。これはいくつかのお花を使ったわたくしだけの為に誂えた特別な香水なのよ。少し前に出来上がったばかりなの」
「まあ!素敵だわ!あっ‥‥でも、この香り‥‥なんであちらの伯爵様から同じ香りがしたのかしら?」
無邪気に疑問で首を傾げるわたくしの斜め前にいる、その伯爵様の奥様――伯爵夫人の扇からピシリと軋む音がする。
「疑ってはいたけど‥‥まさかあなただったなんてっ!」
伯爵夫人は前から夫の不貞を疑い、探っていたのを気付いたのはいつだったか。
母との茶会で、伯爵家の話題が出る度に、バレまいと僅かに瞳を揺らす子爵令嬢とそのお付の侍女の会話に欠片を見つけ、組み合わせて情報の欠片を繋ぎ合わせてみる。
それは、ひとつの形のない遊戯のよう。
わたくしは、その情報の欠片達が、何か――今日はわたくしの言葉だが――でまたバラバラと崩れ落ちるように崩壊していく様に、遠方から眺める歪な大人達の世界を、歴史書の一説を読み進めたような気分で見つめる。
泣き喚く子爵令嬢と、言い訳を並べたて自分は悪くないと逃げに徹する伯爵に、姿勢を正し凛とした冷たく凍るような瞳の伯爵夫人。
わたくしよりずっと長く生きる大人達の世界は、美しいお姉様や、可愛らしい妹が、憧れるようなキラキラと輝く未来ではないのだろう。
たくさんの情報の欠片達を崩しては、そう結論付けた。
派閥の長である侯爵家の次男との婚約話がわたくしに持ち上がった。
貴族の娘であるわたくしに拒否権はない。
侯爵家の求める次男の婚約者の条件は、万が一長男に何かあった時に、次男に変わり侯爵家の執務を当主の代わりに行える頭脳を持ち得る、裏切る心配のない同派閥で、不満の言えない身分の令嬢であること、だった。
そこに、お姉様が追い求めている美しさも、妹が胸を張る可愛らしさも必要ない。
知識や所作を試され、合格点をもらい、わたくしは、わたくしの役目を淡々と申し付けられた。
どうやら、次男のリアム様は相当に頭のお悪い方。でも、勇者の血を引く武に優れた方。
侯爵家の思い描く次男の将来像を理解し、その駒として役目を全うする任に、わたくしはいくばくかの希望を見出した。
うまく情報の欠片達を繋いでいけば、わたくしが悲観する周りの大人達のような未来ではなく、もう少し美しい未来を、わたくしの手で創り上げれるのではないか、と。
リアム様と、従兄弟のウィリアム様と三人ではじめて顔を合わせた。
事前に、ウィリアム様の立ち位置は把握しており、リアム様との円滑な関係づくりに必要不可欠な方であると認識していたので、婚約者同士の初顔合わせに同席することに異議はない。
リアム様は、わたくしが出会った誰よりも、純粋な方だった。
わたしくは幸運に感謝した。
リアム様ならわたくしの思い描く美しい汚れない未来へ、簡単に操れそうだったからだ。
性格は至極単純。
言葉の意味をそのまま純粋に受け止めるリアム様。
形のない遊戯のような今までのそれは、目的を持って形造る遊戯となった。
わたくしの描くように動き、考えるリアム様。
完璧な遊戯となるように、慎重に繋ぎ合わせ創る日々。
そんな私の悪意ある遊戯は、侯爵家の一族には一切悟られることなく、感謝のみ与えられ続けた。
綻びのない遊戯に、時には刺激を求め、わたくしに影響のない情報の欠片はたまに壊してみたりもした。
とてもわたくし的に平和な完璧な日々の中、ちょっとだけ魔が差したのだ。
わたくしに影響のある情報の欠片に手を加えてしまった。
リアム様は、侯爵家という高い身分と、整った顔立ちで、わたくしという婚約者がいながら未だに数多くの令嬢達に狙われている。
わたくしを追い落とそうとする令嬢達から直接、間接的に嫌がらせは日常だった。
でも、所詮同年代の令嬢の成す事。
いつもと同じく適当にあしらおうと思ったのだが、魔が差し、なぜかどうしようもなくこの時は刺激がほしくなったのだ。
だから、どこにでもいるような令嬢の如く、少し涙を流してみた。
身体に大きく、でも優しい衝撃が伝わったと思った時には、リアム様がわたくしを担いでいた。
何が起こったかまったくわからず、わたくしはただ混乱するばかり。
唖然のする中、優しく優しく慎重に降ろされたわたくしは、動揺から上手く立てなかったが、リアム様が支えて下さった。
それから、まだ乾ききっていない涙の跡を、親指の腹でそっと拭いつつリアム様は、笑顔でこう言った。
「僕が守るから大丈夫だ!」
誰も気付いていないが、わたくしは誰より強かだ。誰かに守られるような弱者ではないはずだ。腕力ではもちろん到底男性には及ばないが、ましてや、頭のお悪いリアム様に、わたくしが本当に守られるなんてっ‥‥!
感情なんて、その時々の状況や情報に合わせて、創るものだと思っていた。
心のままに、感情を出すなど愚かなことだと思っていた。
なのに、わたくしの心は、生まれて初めて感じる喜びに満ちていた。
焦がすように熱く、太陽よりも眩しく、月の光よりも淡く、人の立ち入らない森の泉よりも清らかに。
リアム様を愛してしまった。
リアム様が、勇者に選ばれた時は、感動に打ち震えた。
魔王封印の旅路への支度に、なかなかお会いできなかったけれど、出立の時に婚約者だからと言葉を交わす時間をもらい、リアム様が立派な勇者としてお勤めを果たせるように願い、言葉もかけた。
わたくしの描く美しいリアム様との未来に何の不満も不安もなかった。
リアム様なら、必ず立派な勇者として魔王を封印して戻ってきてくれると信じていたから。
なのに、わたくしは何を間違えた?
掛けた言葉に間違いはなかった。
情報の欠片のひとつひとつに掛け間違えもない。
何も間違いなんて犯していないはずなのにっ‥‥‥。
わたくしは‥‥何を間違えた‥‥‥の?




