1.エルマとケネス(1)
静謐の満ちる光陽の間の中央に立ち、王位継承者エルマは元老院第一書記官のケネスに向かい合い、これまでの歴史を語る準備を始めた。構造を支える4つの柱に刻まれたアテマの歴史を継ぐ王女を眼前に、ケネスは彼女がまだ幼かった頃のことを思い出した。新帝京で二人が過ごした頃。まだその身分差もはっきりしなかった昔のことを。
それは14年前、タシュトによる東京動乱の翌年のことであった。
タシュトは領域をアテマに隣接する新興国であった。アテマが地球人類の歴史を継承し、それを科学技術の中と調和させ、高度な文化文明を発展させてきた文治国家であったのに対し、タシュトは文化を排除し、科学技術の軍事利用を国是とする野蛮な武断国家であった。
タシュトによるテロ攻撃は古都東京を襲った。人口4000万を数えた緑の古都は約一年間、火事と略奪の嵐の末灰燼に帰した。新都ネオアレクサンドリアへの移住は急速に進められ、周期年内に地球人口の1/3は宇宙空間を漂う可住モジュールへと転居していった。
ネオアレクサンドリアに辿り着いたとき、エルマは生まれてまだ12年も経たない人造少女であった。
「おじさん、誰」
栗色の巻き髪が印象的で顔も端正。特殊な環境下で生育されたためか、もう既に成人していると言われても通じる程に発育は良かった。
エルマの世話役を任されたケネスは彼女が人造であるということを知ってはいたものの、やはりその見た目に似つかない態度には面食らった。
「おじさんって、君は僕がおじさんに見えるの?」
「あなたの名前はケネス・アルプレヒト、元老院議員リーガ・アルプレヒトの息子にして秘書官。年は27。所帯、なし。独身ではあるものの、年齢を鑑みるに《おじさん》の呼称は適切であると判断」
「知りながら聞いていたんだね」
「私が知りたいのは、おじさんの役職なんかじゃない。おじさんは私にとって誰?それが知りたい」
ケネスは説明に困った。「庇護民」というのが正しいものの、それは真実ではない。彼女にそれを伝えたとて彼女にその意味を汲み取れるかはわからなかった。
「そうだな、『居候先のおじさん』だと思ってくれればいいよ」
エルマはしばらくの間、誰に対しても口を利くことはなく、教会にさえ出向かなかった。いつも小さなモジュールの中で、厚さ1メートルにも及ぶ分厚い窓から外の景色を眺めていた。
エルマの見ているものが気になって侍女が声を掛けてもエルマは聞こえないふりをして微動だにしなかった。
「いつも何を見ているんだい」
「……」
「地球が恋しいのかい」
ケネスは気づいていた。エルマの覗く窓がいつも同じであることを。地球の周囲を公転するモジュールは防衛設備の役割も兼ね備えている。日々拡大するモジュールの建造は決まって外側の窓に集中していた。少年連中は決まってそっちを見に行っていたのにも関わらず、エルマは代わり映えのない地球の様子をいつも眺めていた。
「こっちはうるさくない、それだけ」
ケネスはその嘘にも気がついている。誰も居ない時間でも彼女はその位置から離れることはなかった。
「そうかい」
優しいケネスは立ち去ろうとした。彼女の領域を守るべきだとする紳士の判断である。
「地球には……」
立ち去ろうとするケネスにエルマが声を発した。
「東京には……いつか、帰れる?」
ケネスは優しく微笑んで返答した。
「いつか、ね。Apollo benedicat《太陽神の御加護があらんことを》」