3話 僅かな思案
前回:――レジスタンスの実力、どれくらい?――
ナインとの会話から3日後の夕方、王都から騎士団が到着した。予定よりも少しだけ時間がかかったが、そうなった理由も道中に魔物の群れが現れ、応戦した結果一団で道に迷ってしまったせいだそうだ。
「スフィア……かもしれないねぇ……よく無事だったねぇ、全員」
「ええ、相手が思ったよりも強く無かった為に、命については問題ありませんでした」
エリナに報告する騎士は、それでも所々傷付き、疲弊しているようだ。2千程の人数が到着したが、この後の戦局次第で、人員を増やすつもりのようだ。
「とにかく、操作方法についてはこっちの兵を数名残していくから、その子達から聞いて。アタシ達は、向かわなければいけないところがあるの」
「次の戦場ですか……どちらへ?」
「……北側ね」
一瞬正確な情報を言おうかと思ったが、エリナは何か違和感を感じたらしい。嘘の情報を王家に与える事で、この後の行軍に支障を来すのを避けた。
従軍商人は、元々月狼が頼んでいる相手がいる。物資についてはあまり問題はないだろう。
しかし、もし騎士団側に帝国、或いは魔国の伏兵がいる場合、妨害工作や不意な攻撃を受ける可能性がある。自軍であったとしても、あまり信用する訳にもいかないのだ。勿論、こんな事を不用意に何度も繰り返せる訳でもないのだが、今は別だろう。
「それじゃぁ、ヨロシクねぇ」
「ハッ、御武運を!」
妙な視線を受けながら、騎士に背を向ける。弟子の事を考えれば敵は国内にもいるのだから、あまり下手な行動を取れもしない。
「……エリナさん、なんか顔が怖いけど……?」
「あぁ……気にしないで。そんなに深く考える事じゃないからぁ」
近づいて来たアリスに心配されたエリナだが、気楽に返事して微笑む。しかし、それでも彼女の表情は晴れない。
アリスは前回の戦場の後、大神に心を伝えた。しかし、彼からこれと言った答えを貰った訳ではない。それ以降会話ができていないのだ。その不安が大きいのだろうと、エリナは思い至る。不安な気持ちが原因でナーバスになっているのだろう。
「アリスちゃんは随分、ヴァンくんの事好きだったんだねぇ。仲良いのは分かっていたけど……全然そんな風に思わなかったんだけどさぁ」
突然このように言われ、アリスは少し飛び上がるが、頬を染めて俯く。大神だけでなく、彼女もまだ整理がついていない部分があるのかもしれない。
「あの時、何を言えば良いのか分からなくて、言おうとした言葉が上手く言えなくて……気が付いたら、あんなふうに言っちゃったから……」
彼女はあくまで、友人として見ていた……つもりだった。だが、よくよく考えればユウタだって友人と言えなくはない。ミーシャや大神に比べれば弱い感情かもしれないが、それでも友人だ。
ミーシャは同姓だから、関係ないと言えるかもしれない。その彼女と仲のいいリリーとは、あまり水があう感じでは無く、マリアに至っては威嚇されることが多い。嫌っている訳では無いが、上手く馴染めないのだ。
エイダとハルは関係が悪いと言う訳でもない。が、彼女達はそそくさと仕事に向かってしまう癖がある為、あまり楽しく会話する感じでもない。ヴィンセントにゾッコンなのもあるのかもしれないが。
そのヴィンセントはというと、会話もするし仲も悪くない。だが、どこかユウタと同じように感じるのだ。その辺りで、違和感が大きくなっていった。
周囲の仲間との感情や関係を考えてみても、大神程の感情を持てない事に今更ながらに気付き、もしかしたらと考えたのだ。
特にはっきりしたのが、ミーシャが撃ち抜かれてから、墓に入るまでの間の事だ。それに対して自責の念も持っている為、余計にナーバスになる理由ともなっている。
「アリスちゃんの気持ち分かるけど、それでいいんじゃない?ダメだったとしても言わない方が、後で凄く後悔する事になるからさぁ」
何かを知るように語るエリナに、俯いていたアリスも驚き、彼女を見る。奔放な行動を取る彼女からしてみれば、卑怯な考えを持ってしまうのは理解できなかったのかもしれない。
だが、
「アタシも若い頃、正直に話す事できなかったからねぇ。正直になれない奴とか、自分の事が分からない人なんて、大人でもいくらでもいるんだから、しょうがないでしょぉ?」
エリナからしてみれば、懐かしい感覚だ。若い頃は自信に溢れ、そのせいで必要以上に肩肘張る事が多かった。負けることも許せなかった。それもあって、正直に話せなくなっていた。
だが、変わる切っ掛けもあった。だから今の彼女がいる。
「彼もいきなり言われて困惑しているし、今は答えを急いじゃ駄目。戦争中なんだからねぇ……」
「……ハイ」
意外なエリナの気持ちを聞いて、アリスは少し嬉しくなり、はにかんでエリナを追い越していく。誰かに気持ちを聞いて欲しかったのだろう。更にその気持ちを肯定されて、少し気が晴れたのかもしれない。
正直に生きるのなんて、簡単じゃない。大神は正直と自称するが、そんな者は殆ど居ないのではないだろうか?少なくとも、エリナはそう感じている。
2人が向かう先には、その自称正直者が幌馬車の準備をしていたのだが、誰も手伝っていなかったようだ。恐らくいつものように、誰かに任せずに自分でやろうとしているのだろう。
「……ヴァン、手伝う!」
少し胸が詰まったような声を上げるアリスが近づき、彼の持つ樽を受け取る。アーサーに与える水だろう。あまり多くないのは、途中の川などで補給する為かもしれない。
「別に手伝う程の……」
「ヴァンくん、やらせてあげなさい。そもそもあなただって、指揮する立場に立ったんだから、人の動かし方も覚えないといけないでしょぉ?」
拒否しようとしている弟子には、指揮者としての心得や行動を、今まで最低限しか教えてこなかった。性格もあって、彼はあまりその辺りが出来ないのだ。
「……ああ……領主になったんだし、人を顎で使えって事か……?」
「顎で使わなくても、勝手に動いてくれるんじゃない?あなたは必要な方針を打ち出すだけでもいいの。勿論、その人の性格や癖も考えてねぇ」
「……エリナさんを動かす事を考えるの、難しいんだけどねえ?」
額に手を置いて悩み始めた弟子だが、すぐにエリナの言葉に冗談を返してきた。事実彼の師匠なのだし、長く一緒に居たのだから性格などは分かっているのだが、だからこそ彼には扱いづらく、エリナはそれが理解できていない。
「何でそうなるのかなぁ?ヴァンくんがやりたい事ぉ、何でもやらせてあげるけどぉ?」
「それで行きすぎるんですよね、知ってます。さあ、アーサー……」
「あっ、手伝う……」
首を傾げるエリナの前で、幌馬車にアーサーをつなごうとしている弟子にアリスが近づき、鞍につなげようと手を伸ばして触れ合う。手が触れあった瞬間、彼女は手を引いて頬を染めるが、弟子はどこ吹く風と言った感じでそのまま作業を続けている。
「ヴァンくん、照れたりとかしないの?」
不思議そうなアーサーの顔を見つつ、弟子の行動に疑問を持つが、
「……いや、気持ちは聞いたんだし……今はあまり気にしてなんていられないからさ」
さも気にする事ではないとばかりの彼の反論。エリナやリサに対しても大して反応を返さなかった彼は、この辺りは変わらないのだろう。
ただし、
「尻尾がかなり逆立っているけどぉ?」
「まあ、ちょっとだけビックリしたね。それだけ」
自分を納得させる為にそう言い聞かせているのでは、とエリナは推測するが、大神は普段とあまり変わらない様子で幌馬車の準備を終わらせた。
「さあ、いきなりで悪いけど、出発だ。全軍に通達……」
「御意、バートに指示を伝えてくる」
今の今まで居なかったはずのクロヒョウが、突如彼の背後に現れ、一言入れてすぐに消え去る。エリナも彼の移動は、ほぼ感じ取れなかった。
「ヴァン……今のって……」
「あれ……領から出発する時、気付いてなかったか?……王女暗殺の時の、暗殺者」
「……ヴァンくん、そんな奴仲間にしていたのぉ?」
大神はもう慣れたのか、呆れて苦笑いしているが、アリスは少し震えている。話には聞いていたが、襲撃してきた敵がまさか仲間になっているとは思っていなかったのだろう。
しかもその技量は、冗談で済まされる領域ではない。恐らく彼女達が捕まえられたのは、彼が本気を出す前に不意を突けたからではないだろうか?どんな達人だったとしても、不意を突かれればどうにもならずにやられるのだから。
「あんなのに狙われたなら、そりゃぁ王女も怖くて震えるよねぇ」
「エメラルダさんはそれでも気丈に仕事をやり切ったけどねえ。そして彼を解放させたのもエメラルダさん自身だ」
「……それは本人は?」
どんな因果か、犯罪者を自由にしたのは、一時獲物となっていた存在だと言う。通常ならとても容認できそうにないが。
「知ってるよ。むしろ意図して解放したんだ。こっちから王家の方に直接伝達入れて確認した。こいつじゃ俺は殺せないって自身があったんだってさ……」
首を傾げる大神は、どことなく理解が及ばないと言った顔つきだ。確かにあの身体能力は驚愕に値するが、彼なら抑えられるだろう。
身体能力についていえば、獣人は並人よりも強いと見られがちだ。しかしそれは、平均的に見ればであって、全てがあれ程に速い訳では無い。チカラやタフさについても、それ程極端に飛び出る訳でもない。
実際に大神も、強靭な体を持っている訳では無い。昔はかなり簡単に骨が折れたし、魔術の抵抗も弱かった。よく気絶もしていた。鍛えていたエリナ達は、軟な体の彼を鍛えて強靭にするか、弱い体でも強い力を発揮できるようにするかで意見が分かれていたのだ。
フェンリルの特徴の1つが、その体の脆さだったりもする。獣人の中ではけた違いに軟なのだ。他の獣人にしても、カピバラやアカゲラなどは攻撃といえる程の力を持っていない。獣人だから身体能力が高いと呼べる者ばかりでは無いのだ。
その中でも、彼は異常に柔軟で素早い足を持っている。魔術などによって身体強化もされているのもあるのだろう。見慣れない黒装束を纏っていたから、大神がその辺りを調整したのだろうか?
「……ヴァン、あの人……」
アリスは、彼の存在を恐れているのだろう。大神に向かって不安そうに呟いているが、
「ああ、大丈夫だ。思った以上に純粋で真面目。人殺しは仕事として割り切っていたから、新しい仕事を与えたら多分、農業でも鉄鋼業でも、真面目に取り組むだろうよ。今でこそ戦場だから、あの技能を活かして貰っているだけなんだけどね」
声を掛けられた大神は、呆れ顔のまま御者台に乗り、今し方離れて行った暗殺者を語る。強化も含めて異常な身体能力がある暗殺者は、転移をした訳ではなくとも異常に早く、対応できなければ瞬く間に命を散らす事になるだろう。
しかし彼の言う通りなら、仕事に真面目なだけにも思える。真面目に取り組んだからこそ、あれほどの技量を得られたとも言えるのだろう。
「……ヴァンくん、戦争が終わったら、彼に何をさせるの?」
領にいる人民であるなら、暗殺者のままで終わらせる訳にも行くまい。仕事を与えねば、また元の道に戻りかねないのではないだろうか。
そんなエリナの想いは、彼も解っていたらしい。
「郵便配達とか、あいつにはちょうどいいんじゃないかと思う。あれだけ早ければ、配るのも手早く片付くだろ。そろそろ時間だ、行こう」
そのまま身体能力を利用するつもりらしい。しかも社会においては、連絡は何より重要だ。そんな会話している間に連絡が通り、傭兵団のほぼ全員が、塔の入り口に集まり始めたようだ。
大神は手綱を操り、アーサーを歩かせ始める。時折草原を走らせていたらしく、アーサーは苛立ってもいないのだが、どこか鼻息が荒い。恐らくこれから移動する事が分かって、興奮しているのだろう。
幌馬車に並んで歩きながら、エリナは考える。戦場に自ら連れてきた兵の事は考えるのに、彼を想う娘の事は、この後の事を考えているのだろうか、と。
勿論戦士としては、あまり考えてはならない事だが……しかし……
精霊のボヤキ
――あぁ……そこで握って……!――
手が触れただけでその反応って……?
――イフリータ嬢はずっとこんなじゃねぇか?――
……まあ、今更だな。
――ちょっと!?――




