17話 疾走!ノーザンハルス・下層街
前回:――走り始めたと思ったら殴り合ってる?――
「ユータはきっと、ヴァンくんに扱かれて、重いのに慣れちゃったんだよ。森の中を走るのって、街の中を走るのよりスッゴク疲れるんだよ」
畜産区へ入り、前方の集団に追いついたユウタを見て、先の俺の発言にようやく答えを返すミーシャ。
考えられる可能性としたら、その辺りなのだろう。仕事の際中、森の中でも、数十キロになる距離を走る事もあったのだ。充分なトレーニング法だと言える。しかも、全員重り付きだ。女性は軽めだが。
しかし、
「……自分の体重を背負って、120kmくらい移動してたような状態だったのか、俺は?」
「それは今更過ぎるんだよ。今だって、わたしを抱えてるんだよ?」
修行の為と称して、重りを抱えたまま行った狩りの時に、結構な距離を走って、師匠に笑われた事がある。それには、納得できるような、出来ないような顔をミーシャに返される。
あの重りを背負った森の行軍は、あくまで師匠から教えられた期間にやって来た事をそのまま行っただけだ。自衛隊とかもやるような、きつい特訓だ。
畜産区の中を、衆人環視の元、甲冑を着た競技者は猛烈な勢いで、殴り合いながら走っている。
ユウタが追い付いた集団でも、その熾烈な環境は変わらず。誰かは殴り、誰かは跳び蹴りを行っている。両足を使ったドロップキックとなれば自分が転倒しかねないから、大抵片足だが。
そんな中で、未だ綺麗な鎧のままのユウタ。攻撃から逃げまくっているのだ。攻撃しそうな奴からは距離を取り、なるべく受けないように走っている。
ヘイトを集めたくないらしいが、その行動が結果、ヘイトを集める状態になり始めた。おおよそ「屁っ放り腰がなんでこの競技に来て、俺の後ろに並んでいるんだ」っていう思いを、相手に与えたらしい。
徐々に、ユウタが集団の中央に移動し、周りの視線が彼に向かい始めた。
……ここからは、イジメの開始だ。
「みゅ……なんか、明らかに囲まれたんだよ」
ミーシャは不服らしいが、俺は言いたい言葉を心にしまう。でも、当然じゃね?
――まぁ、逃げてるもんね……明らかに怖がってる――
俺の意見に、イフリータさんも賛成らしい。ヒュプノもそうなのか?
――精霊じゃなくても、誰から見てもそうでしょ?――
否定はしない。囲まれている状況でも、あいつはまだ、自分は狙われていないと考えている様子だ。
あいつは日本で虐められていないと訴えていた。だが、その場合辿る人生は、自分を抑制して、周りにゴマをする人生だ。自由はない。ある意味、操り人形だ。まあ、結構な奴がその経験をする事になる訳だが。
その生き方に対して、悔しさや失望を持っていたとしても、変えられない状況になりかねない。変えれば、そのまま転落人生を送る可能性もあるからだ。
あいつは、自分が恵まれていて欲しいという願望を持ち続けていた。否定はしない。誰だって恵まれていたい。
だが、本当に恵まれる人物は、与えられるだけの存在じゃない。自分から行動する奴が、その存在になれる。ほんの一歩だとしても、だ。
「攻撃が始まるな……」
俺の予感の、そのすぐ後にアクションが起きた。周囲の奴らが、彼に対して明らかに、あからさまに、妨害を始めたのだ。
1人は足を駆けようと水面蹴りを出し、1人は突き飛ばす為に両腕を突き出し、1人は倒す為に拳を振るった。
だが、どんな幸運なのか、あいつは地面に転がり、すぐ立ち上がった。水面蹴りによって躓き、咄嗟に転がって姿勢を持ち直したのだ。前回り受け身と言うより、でんぐり返しだったが。
その行動は誰も予想していなかった為、突き出した両腕と、振るった拳は、互いに狙っていなかった人物に中り、結果その2人の体は水面蹴りを放った者へと降りかかった。
結果、攻撃に向かった者達が、返り討ちに遭った形になる。
「「うわあー……」」
そう声を出したのは、俺達だけじゃないだろう。同時に、歓声も上がったのだが。
ユウタの行動は、センスあるヒーロー的な行動に見えたのかもしれない。彼を知る俺達からしたら、あいつは偶然、この行動を取ったのだろうと思うのだが……。
「周りのヒトがバカばっかりだから、ユータは助かったんだよ。きっと、そうなんだよ……」
「分かり切った事を言わなくていいから……」
当然、俺達の言葉は彼には聞こえない。だが、誰かの声は届いたはずだ。
「ユータ、ガンバレ!カッコイイよ!」
「みゅ?アリスちゃんっぽい声が聞こえたんだよ……?アリスちゃんは、あんなこと言わないんだよ」
分かり切った事を、今更ながら気付いたらしいミーシャは、建物の陰に隠れた人物の存在に気付いていない。
あいつが犯人だ、と言う確証は、俺にはある。
さっきはミーシャの声で、今はアリス。ヴィンセントの声もさっき僅かに聞こえた。その後に続くのは、エイダ、ハル、マリア、どれなのか?自分じゃないって思わせたくて、声帯を変えたんだろう。
彼らがここに居ない、とユウタは考える暇がなさそうだが。
その心を知ってか知らずか、本人はどこかやる気が俄然上がってきたらしく、集団から一歩抜け出る為に、走る速度が上がる。
正直、あまりテンポを考えているようには思えないのだが、しかし彼は、全く気にした様子はない。
「そろそろ、皆ボロボロになり始めたんだよ?」
ミーシャも、さっきの人物がまだ、この街に帰ってきていないとは考えていないのだろう。気にもせず実況を繰り返し、伝えている。聞いているのは、俺と精霊さんだけなのだが。
――え、何?ヒュプノと話して……――
訂正、俺だけだった。まあ、気にしてもしょうがない。
「そりゃ、もう30km超えている。時間も4時間以上経ったんだ。そろそろ、疲れが全身に回ってくるはずだ。その状態で上り坂に入る。ここからが正念場だ」
重い甲冑を背負って、下り坂を下るだけなら、バランスを崩さなければいい。だが、ここからはその重さを支えつつ、持ち上げ続ける必要がある。
異常とも言える重りを背負った彼らは、あからさまに坂道を上る速度が下がり、慣れているユウタに差を付けられ始めた。
「集団から抜けられそうなんだよ!これなら……あっ!」
集団から抜け出したユウタに、目の敵にするように追いすがる人物がいた。
そして、ユウタを掴んで、投げようと体を捻る。無理やり方向を調えた、一本背負いのような動きだ。
だが、ユウタも今まで遊んでいた訳じゃない。
投げられそうだと思った彼は、内側から腕をこじ開け、膝を相手に押し付ける。その膝を視点に、体を逸らして相手の体を押し退け、体勢を予想していない形に変えた。
結果、押し潰されるように倒れた相手を無視して、ユウタは反動で直ぐに立ち上がる。技の掛け方も甘かったのだろう。だが、ユウタの行動に観衆は沸いた。
「危なかったな。俺達と戦闘訓練していて、結果的に良かっただろうな」
「特にハルちゃんとの格闘が活きたんだよ、きっと。ハルちゃんって、意外と投げ技も得意なんだよ」
彼の、偶然か必然か分からない成功を、それぞれ評価する。評価と言うより、感想なのだが。冒険者を続けていなかったら、あいつも絶対にあんな行動をする事は出来なかったはずだ。
突発的な攻撃に、すぐに対応するのは普通じゃ有り得ない。できるとしたら、天才か、気違いか、偶然か、思考がイカレているか、この4択だ。というか、殆ど最初以外の3択だ。
経験していたからこそ体が動いたユウタは、倒れる事無くそのまま走り続ける。攻撃する気は無いらしい。そもそも、集団から離れていくから、技を掛ける相手もいない。
「先頭集団に近づいて来たぞ……案外いけるんじゃないか?」
「みゅう、ユータらしくないんだよ。頑張ってるんだよ……」
道程には邪魔物が居ない状況のユウタを見て、俺達の意見が違う方向に向いている。だが、彼の行動に違和感を感じる訳ではない。少なからず修練を続けた結果だろう。
「もしかしたら、本当に優勝争いできるかもな」
「……優勝はして欲しくないんだよ?離れ離れは、ダメなんだよ……」
何かを想うミーシャは、やはり離別を気にしている。しかし、それもユウタの人生かもしれない。安易に否定できないのだ。
「ここで1位になっても、同じように優勝した奴と競争するんだ。勝てる可能性は低いんだがなあ?」
「でも、折角仲間になったのに……できるなら、一緒が良いんだよ……」
俺の腕の中から、仲間の奮闘を眺めながら、不安を隠せないミーシャ。なぜ、そんな事を考えているのか?
――……気づきかけてるっぽいよ?確証は無いみたいだけど――
そりゃ、証拠は無いからね。
「あいつの人生は、あいつの物だ。あいつが決めればいい。俺達には、どうこうできないよ」
「……」
納得できたのか、出来ないのか。それでも大事に思う存在を、手放したくないらしい彼女は、ひた走る彼から眼を離せない。
「なんで、離れたくないんだよ?ユウタだぞ?」
つい、意地悪で聞いてしまった。聞いてもしょうがないのは分かっているんだが。
「……?にゃんでだろう?」
宙を舞いながら進む俺の腕の中で、彼女は仲間から視線を話し、首を傾げた。仲間より、自分の感情の方が気になったのだろうか?
「……そろそろ、デッドヒートが始まるな……下層街の周回と、中層、上層の周回の距離は、ほぼ同じだ。下層街から抜けるぞ」
俺の言葉によって意識を逸らされていたミーシャを他所に、ユウタはもう坂を駆け上がり切り、先頭集団が中層街に差し掛かるのを遠目で確認できるまでに近づき始めていた。
未だ彼は、先頭集団に追いつけていない。だが、距離を徐々に詰めているのは間違いない。先頭集団を追いかけていた飛翔術者は、先程よりも近づいて来ている。
初っ端で距離を開けられ、その後を追いかけながらも近づけずにいた彼は、重装備でも森を駆けた影響もあって、坂道で確実に距離を縮めたらしい。
道程からしてみても、半分近い距離を走った。彼は、残り半分で先頭に追い付けるのか否かが、肝になる。
「もし……ユータが居なくなっても、ヴァンくんは居なくならないのかな?」
何かいらない心配をしているミーシャ。話題が全く違う方向に向かっている。これだから、女心は困る。脈絡もないから、よく不意打ちになる。
「居なくなるって、どこに行けばいいんだ?今の俺には、想像できないな。フェンリルの群れか、師匠のところで何かあれば、ちょっと向かう事はあるだろうけど」
行ける場所がその程度しかない俺には、想像しがたい状況だ。居場所自体、選ぶつもりもない。自然とできるものだし。
「それより、ほら……ユータの向かう先に、先頭集団が見え始めた。あいつの先に何があるのか、見届けるのも仲間の義務じゃないのか?」
「……うん。そうなんだよ、きっと」
釈然としないながらも気持ちを切り替えた彼女は、改めて仲間の姿を目に入れる。彼女は、もしかしたら最後かもしれない仲間の勇士を目に焼き付けようとしているのかもしれない。
思い過ごしだと思っている思考は、彼女は気が付かないだろうけど。
――その思考はあってる気がするけど、その割に頑張っているよね……?もしかしたら……――
イフリータからみても、そうなのか?王都での争いに行ける可能性はあっても、相手は同じ状況を切り抜けた猛者なんだ。そうそう勝てる相手じゃない。
勝てたとして、あいつが何を選ぶか、俺には全く関係ない。
――最後の一言は酷い気がする――
誰の人生であっても、他人から干渉を受ける必要はない。選ぶのは自分だ。ただそれだけの事だよ。
「さあ、これから後半戦になります!中層街を走り抜ける選手が優勢を保つのか!それとも後を追いかける選手が追い抜くのか!先頭集団の争いも、徐々に激化していっています!
一体誰が優勝をさらっていくのか、我々も眼を離せません!」
どこかから聞こえてくる中継の声は、ユウタを優勝候補として、僅かながらにも上げた。可能性はあると見ていいのかもしれない。
街を抜けていく甲冑は、多大なる歓声を受けて、更にやる気を増している。もう限界が近づいていたのだとしても、それを超えていくつもりのようだ。
人間は、限界を迎えるその瞬間に頑張る事で、一段も二段も上に向かっていける。彼らにも、その経験はあるのだろう。
金属の塊を背負いながらも疾走する彼らの先に、たった独りしか受けられない栄光が、輝いて待ち受けている。
精霊のボヤキ
――イフリータさん、いい加減教えてくれてもよくないです?――
――え、何が?――
――たまにこの2人、あからさまにおかしくなるでしょ?――
――ふふ……ヒトを勉強なさい……そうすれば……――
――いや、分からないから聞いてるのであって……――
――え、何?ヒュプノと話して聞いてなかった――
――おーい、聞いてくださいますかー?――




