20話 月の光に
前回:――幼女の親の過去。有名な詩らしい――
お風呂から上がって、少し涼んだ後に、王女様は眠りに就いた。
皆、お風呂の間だけは打ち解けて、王女様と友達のように接していたけど、ワタシはちょっと落ち着けなかった。
窓の外を流れる雲が、月を隠したり現したりしている光景を眺めて、息を吐く。
今まで、お母さんもお父さんも、ワタシが貴族の家柄の娘だと言う事を、あまり詳しく教えてくれなかった。
結局、2人は家から追い出されていたという事だし、ワタシはその貴族家の人を知らないし、会った事も無い。だけど、さっき聞いた限りだと、両親が話していた男爵や子爵なんていう、下級貴族じゃなくて、侯爵という高い位の家柄だった。
それは、両親がワタシに、嘘をついていたという事。悪気があった訳じゃないと思うけど……
それだけじゃない。多分だけど、途中で出てきたハーフエルフは、ギルドマスター。そして、エルフの2人と言うのは……
「どうした?随分暗い顔をしているじゃないか。術式が上手く組み立てられないのか?」
窓から覗いた彼は、光を背にしているせいもあって、どんな顔をしているのかが分からない。
「……ヴァン、答えて。ヴァンはワタシの家の事、どれくらい知っているの?」
「あん?……ああ、風呂場で話していたやつか。反響音で聞いていた程度だから、きちんと把握していなかったけど。あまり興味なかったし、警備中だしな。
家柄って言うなら、貴族家のはみ出し者って言うくらいで、あまり詳しくは聞いていない。公爵だっけ?随分だよな。まあ、貴族を名乗る事を禁じられているんだから、今まで通り、ただの村娘って事でいいじゃないか」
彼は嘘を吐けないから、これは本当だし、信じてもいい。でも、もっと詳しく知りたい。何か知っている事は無いのかな、あのエルフは、彼の師匠の事だろうから。
「エリナさんは……何か言ってなかったの?例えば……」
「特に何も。ただ、潜伏先なら断定できる。大陸3大賢者、ソーサラー兼錬金術師、サーシャ。この人の場所であれば、辻褄が合う。
エリナさんが度々、お前の家から受けた報告書を、サーシャの所に持って行っていた。これだけでも、確率は高い。仕事って言い出したのは、サーシャだろ。
マスターや王女も、共和国の州の長も、あのヒトの手の上にいる。サーシャは悪い事を考えている訳じゃないから、誰も逆らったりしていないし、交渉してサーシャに引いて貰う事もあるんだ。大体は、彼女の目論見通りだけどな。
この2つを鑑みれば、あのヒトの所に連れて行って、面倒を見てもらうという事は自然と納得できるんじゃないか?」
「……」
名前だけは聞いた事がある。この大陸の街で使われるアーティファクトの、8割を作っている場所のリーダーだったはず。
色々な研究をしている場所だって言うけど、そんな場所に居たのかな?どうして、そう思えるんだろう。他の場所に居たかもしれないのに。
「実際、研究所のヒトがエリナさんに、村の調査員家族の様子を聞いている事があった。その答えを聞いて、随分と安心している様子だったよ。
会った事がある、見ようによっては、特別な感情を込めていたのかもしれないと思える、そんな光景だったから覚えているよ」
そうだとしたら、本当に両親はそこに潜伏していて、ワタシはそこで生まれたのかもしれない。一体、どんな場所なんだろう?
「ヴァン、いつか、ワタシもそこへ行っても良いかな?自分が生まれた場所、見てみたい……」
どんな場所だったとしても、ワタシにとって、きっと大きな意味のある場所。だから、一度だけでも見てみたい。
彼は、後ろを振り向いて、警戒を再開した。
「ああ、問題ないだろうけどさ……サーシャの研究所以外、何も無いぞ?工房なんかは、錬金術師には垂涎の品がたくさんあるだろうけどさ」
「……うん。それでも、行ってみたい……ねえ、ヴァンはどうして、お母さんもお父さんも、嘘を吐いていたのか、分かる?」
彼は嘘を吐けないから、嘘を吐く人の気持ちも、分からないかもしれない。でも、聞いてみたい。
ただ、やっぱり聴くのは怖くて、彼を見ていられなくて、窓の下に、壁を背にして座った。部屋にいる皆は、警備の為に今は寝ている。
「ああ、簡単な話だろ?その嘘は、優しさだ」
なぜ、こんなにあっさりと答えられるんだろう?
「嘘って言ってもさ、その2人が吐いたのは、自分の為の嘘じゃないんだよ。
貴族だろ?下らない家督争いなんかだと、命を狙う事もあるんだし、泥沼になる事は決定事項じゃないか。まして、公爵だのなんだのって言うなら、王族やら隣の国の帝王やら魔王と、政略結婚の為の道具にされる可能性だってある。
あの2人は、性格からしてそういう政治に関わるタイプじゃないんだろうな。純粋で真っ直ぐな感じとか、あまり政治に関わる奴らには合わないだろ?
……まあ、王女もそういうところがある性格なのに、頑張っているけどさ。
お前が変に家督争いとかに巻き込まれないよう、嘘を吐いていたんじゃないかな。名乗りを上げられないからと言って、家系の1人であることは間違いないんだからさ。
しかも、2人とも貴族なんだ。どっちの家族から来るか、分からない。無理やり引き合いに出されて、最悪毒を盛られかねない。今の王女のようにね。
それに、俺は昔から言っていたはずだ。真実は残酷なんだって。2人は、残酷な現実を遠ざけるために、嘘を吐いたんだ」
「……うーん……じゃあ、ワタシが冒険者になる時、スッゴク喜んでいたのって……」
「冒険者は階級の枠組みから外される。つまり、最悪暗殺を狙う奴がいる可能性があった、それまでの状況から変わって、純粋に狙われない条件になるからだろ。
勿論、一歩間違えば命が無いのが冒険者だ。そういう仕事である事は2人も知っている。
けど、アリスはそんな危険に、自分から好んで突き進もうとしない性格だ。慎重に観察して、使える魔術を駆使して進んでいくって考えたんじゃないか?
それに、俺もいる。自分で言っては何だが、俺に並ぶ奴は、5等級は当然として、2等級にも、全くいない。ただ1人、ロイを除いてね。1等級でも、同等以上は極僅かだ。
つまり、下手に村に居るよりも、俺と冒険者になる方がずっと安全だったんだ。たった一度とは言え、村がゴブリンの群れに襲われたんだから、余計に気になっていたんだろうな。
俺で分かりそうな事なんて、この辺りまでだな」
「……うん、ありがとう……」
彼は全てを知らないと言いながら、ここまで予想している。それに、多分それが、真実なんじゃないかって、ワタシも思う。でも、どんな家柄だったとしても、あの2人が親なのは変わらないんだし、ちゃんと教えて欲しかった。
もしかしたら、嘘を吐かれた理由って、もう1つあるかもしれない。マリアさんは『有名な詩』って言っていた。もし、侯爵だと言われていたら、疑っていたかもしれない。
改めて考えてみれば、確かに聞いた事がある詩だったし。気付かせないように、わざと階級を偽っていたんだろうと思う。本当に平民だったら、名字が無い人が多いんだし。
でも、やっぱりここは、2人にちゃんと聞いてみないと分からない。今度会った時に、聞いてみよう。今は……
「ヴァン、まだいる?」
「そりゃ、この辺りを警戒するのが俺の仕事だからな。何かまだ、家の事で気になる事があるのか?」
「ううん、そうじゃない。教えられていた魔術、プリズムシェル。もうちょっとで理解できそう。ただ……どうしても周囲のマナを圧縮して作るって言う工程が、上手くできる自信が無いんだよね……」
普通の魔術で作る結界なら、自分のマナを使って形成する。なのに、彼が教えたものは、外気のマナを使って壁を形成して、自分のマナで縫合するような、話されてもピンと来ない形の物。
それでも、ちょっとづつ形になり始めたように思う。後は、壁の生成を確実に造れるようにするだけ……
「そこまでできているなら、あと一歩だな。俺は元々外気マナを利用していた技術があったから簡単にできたけど、エリナさんも外気マナを利用するのは難しくて、最初はあまりできなかったらしい。
どうせなら、補助術式の刻印をローブ辺りに入れようか?アクセサリーでもいいぞ」
そうなんだ……頼んでもいないのに、何でも作ろうとしたりするなんて、何を考えているんだろう?優しいのか、お人好しなのか。仕事に真剣っていう事かもしれない。王女様を守る為に、教えてくれたんだし。
「ううん、大丈夫。ちゃんと、全部覚える。それで、もしも必要だったら、その時に頼むね」
きっと彼は、ワタシだからできると思って教えてくれたから。もし、エイダさんだったら別の術式だったんじゃないかなって思うし。もしかしたら同じ理由で、儀式魔術をワタシじゃなくて、エイダさんに教えたのかもしれないし。
この術式は固い結界のように見えて、実は一部に流体術式を使っている。だから、柔軟だけど、堅い。
それはつまり、流体力学を充分理解して、利用できないと、結界の縫合ができない。それが出来なかったら、小さな盾が浮遊するだけで、ばらけて終わってしまうと思う。
しかもそこに、ハニカム構造なんて言う物まで混ぜるんだから、どうしてそんな形を作れるのか、意味が分からなかった。
多分だけど、流体力学を基に計算する事になる、水や風の術式が得意なワタシだから、教えてくれたんじゃないかな?エイダさんは、風の術式が苦手みたいだったから。
初めて見た時は、光っている盾が何枚もあるように見えたから、光の術式なのかって勘違いしていたけど、それは本当は、強いマナの流れと凝縮した結界が、光を乱反射していただけだって分かった。
窓の外から、金属の反響音が徐々に離れていくのが聞こえる。彼は、話しが終わったと思って、離れて行ったみたい。もしかしたら、術式の形成がもう少しでできると聞いて、安心したのかもしれない。
振り向いて、もう一度窓の外を眺める。青い月が、雲間から顔を覗かせる。窓の外は植林に囲まれていて、街を見る事はできない。それでも、うっすらと街の明るさが感じ取られる。
光を飲み込んだ宵闇は、人の創った明かりで照らされているけれど、それでも照らせない所がある。この屋敷の足元にも、闇が広がり、何が居るのかも見えない。
その中でも、守れる光を、彼は教えてくれた。
「……スゥ…………フゥ…………よし、
私は願う 光煌めく盾の守り 灯り色めく力を持ち 怒り蠢く脅威を逸らし 命ときめく心を守れ 篝火犇めく礎を組み 祈り輝くその身を守れ 如何なる者も這入る事叶わず 如何なる物も壊す事敵わず 如何なるものも阻むこと能わず 柱は内なるマナに由り作り上げ 盾は外なるマナに因り固められ 球はそれらに拠ってまとめ上げ 過ち有りて動き出す 重なり合いて創り出す 輝き相手守り通す ――その姿は、極光。
エルフ式結界術式――極光の護盾――」
ワタシが詠唱を進める毎に、空気中に流れていたマナが収束していき、ワタシの体の周りを覆う。
そのマナが輝き始め、うねり、固まり、ワタシがマナを流すと縫合が始まる。
イメージ通りの粒子構造と結界構造が出来ているのか、ちょっと不安だけど、それでも形ができ始めて、足元から頭の先まで、全てをマナが覆う。
そして、詠唱終了と同時に、輝く球体の結界が出来上がり、ワタシは光る無数の盾に覆われた。
守りの指定がワタシだから、歩けば結界も同時に移動する。足で屈伸すると、体と一緒に上下に移動する。形が歪むけど、割れはしない。
下手な結界だと、これだけで崩壊してしまうけれど、これは大丈夫そう。壁に当たっている面も、歪んでいるのに、割れていない。
「……できた?…………っ!」
突然頭に痛みが走り、同時に結界が崩壊する。多分、詠唱に使ったマナが多すぎて、負担が掛かり過ぎたからかな?それに、今日はあの日だから、余計に痛みを感じるのかもしれない。
空の月を見上げる。夜空に美しく輝く夜の月は、今作った結界のように、青白く、淡く、光輝いている。
ワタシは、彼のように、自ら明るく輝く事はできないかもしれない。それでもいい。きっと、ワタシができるのは、多くの人を照らす太陽のような事じゃない。
月の光が、ワタシを照らす。陰に隠れても、照らし続ける。闇に包まれる街を、照らす。
精霊のボヤキ
――優しいウソねぇ――
そういう物も必要なんだよ、ニンゲンは。
――偽ったところで、変わらないでしょ――
そりゃね。でも違いはあるでしょ。
――えぇ……逃げてるだけでしょ?――
そうだね。逃げられるなら、逃げていいでしょ。36計逃げるにしかず。




