6章 プロローグ
前回――樹の中の迷路と温泉、どっちも樹が腐りそう――
そこは、薄暗い、光の届かない部屋。全ての壁が、苔むしたような石煉瓦の壁に覆われている。
部屋の中には、燭台が1つ、置かれているだけだ。そんな場所に、誰かが来る事は、先ず無い。
入り口にも鍵を閉めている為、誰も入れず、窓も無いため、誰かが覗く事も、無い。ならば、今は、自分とこの者のみ。扉に防音処理をしている為に、誰かに聞かれるなど、心配するまでもない。
「ようやく、願いが叶ったというのに、この体たらく……一体、何だというのだ!……そもそもが間違っている!何故、醜い獣人の、貴様が!どうしてこの世界に、当たり前のように、生活しているのだ!」
拳を握り締め、掴んだ金属の灰皿を投げつける。白い毛並みのその者は、身じろぎせずに、灰を体に浴びる。それでも、動かない。命令を受けなければ、動けない。
それが、奴隷の首輪……しかも、これは、あの方の作られた、特別製。如何に有能な術師でも、神であってさえも、外せない。
「ははは……無様だな。ヴァン・カ・フェンリル。貴様のような害悪は、この世から消えさるべきなのだよ……
……だが、私も悪魔ではない。温情を与えてやろう。貴様が生き残るのなら、私に従うしか無いのだ」
「ハイ…………マスター……」
抑揚のない白い狼の声は、少々苛立たせてくれる。しかし、その覇気の無い姿は、今まで嘗めた苦汁を忘れさせてくれる。この害悪は、この世界には居るべきではない。何故かなんて、語る必要も無いだろう。
「お前たち獣人が、どれほど多くの人に害を成すのか、解かっているのだろうか?何しろ、多くの人が殺される戦争を、お前達は起こすのだ。それにより、多くの者が悲しみ、苦しんだ。獣人が争いを引き起こすせいで、幾度も困らせられているのだ。不器用で不細工な人種で、他の者に依存せねばならない癖に、その相手を困らせ、困窮させるのだ。獣人だから、他の種族に比べ多少、力があるからと言って、多くの者を困らせ、怪我をさせ……それを然も、当然のように生きている。害悪と言うほか、無いと思わないか?」
「Yes,Sir」
意味が分からない。しかし、肯定であることは、理解できる。この愚かな獣人であっても、愚かなりに理解できるのであろう。
醜い、汚い、臭い獣人の、当時は子供であった者が、今は既に大人となり、今は冒険者の代行の代理人などと言う、よくも分からない役職についているという。
「貴様がいるその立場。本来ならば、他の者が居なければいけないと、そうは思わないか?」
「Yes。わたしには、おもすぎて、にあわない、しょくです」
やはり、愚かなりにもその者は身の程を知ってはいるようだ。多少は、優しくしてやらないでもない。
「ああ、やはり愚かな者でも、理解はできるものなのだな。そうだ、その立ち位置は、お前のいる場所ではない。それは、譲ろうとは思わないのか?」
私としては、譲るべきなのだ。そうであって、初めて、全ては叶う。しかし、
「Sir。申し訳ありません。
あの立ち位置は、我が師、エリナ・トンプソンがある場所。彼女が帰れば、そのまま還す、その約束。己の一存で、変える事はできません」
苛立つことを言う。何故、こうも従順になりながら、あの者の名を出すのか。
しかし、刃向かう事も、嘘を騙る事もできないこの者には、それが限度なのであろう。仕方なしに、理解してやる。到底受け入れられぬが。
「それでも、貴様は今や、冒険者ギルドの重役を担う存在。それならば、私の意思に沿うように出来ないか?行動如何によっては、少しは良い扱いをしてやるぞ?」
一歩下がってやる私の言葉に、返す汚物は、やはり騙る。
「自分が得た地位は、仮初。それはつまり、我が師の恩恵。己の一存で、変えられません。自分が得たのは、師の代役」
理解してやらんでも……無い。何れにしても、その椅子は、力の無い己には、手の届かない位置にある。
ある時期には、手の者を利用して、何とか間接的にでも奪い返そうと、やっきになってはいたのだが……叶うなら、己が息子に譲れれば、間接的にでも自由にできたであろう物を。
あの愚か者は、私の意図を受け入れず、小さな欲望に囚われ、小さな些事に絆されて、揺らいで意思を無くした。あんな愚か者が、血縁であるなどと、誰が言えようものか。下らない。
「ああ、私の計画が……正確に、簡潔に、完璧に!行われていたのなら!そう思えば、この苦悩は、無かったというのに……」
「Yes,Sir」
我が欲望に、抑揚のないオオカミの声が応える。希望は、この者の未来からは消え失せた。眼に光の無いこの者には、永遠に、栄華は訪れない。
それだけでも、我が欲を多少なりに、満足させる。
……然し、足りぬ。未だ、足りぬ。
「この世界から、獣人に対する栄華は消え失せるべきなのだ!貴様もそう思うだろう、ヴァン・カ・フェンリル!」
「わかりかねます。わたしは、おろかないっぴきのおおかみなので」
醜い獣人は、理解がやはり、遅いらしい。ケモノは、やはり、ケダモノなのだ。仕方あるまい。人としての感性を、持ち合わせてはいないのだから。
このような者が、人として認められるなど、在ってはならない。だからこそ、この正義は成り立つ。
「貴様のような、汚い存在は!この世から消えさらなければならないのだ!理解しろ、このケダモノ!」
「Yes,Sir」
抑揚のない声で、又答える。嗚呼、汚らわしい。この様な、汚い存在が!この世界に存在している事など!在っては為らない!
今すぐにでも、消し去ってやるべきではないか!……しかし、癇癪を以て殺しても、恨みが消えるでもない。出来る限り、存分に利用しようではないか。
「私の意に沿うのなら、生かしてやらないでも無いのだぞ?それは、どういう事かな?」
「感謝します、マスター」
そう……そうであるべきなのだ。愚かな獣は、主に付き従うものなのである。そうなれば、飼わないでやらないでもない。
「貴様には、出来る限り我が意の儘に、稼がせて貰うぞ!神を騙る、偽りの栄華を、私に献上せよ!」
「……Yes,Sir」
汚らしい愚か者を、嗤いながら部屋を出る。どれだけ苦汁を味わい、苦しみも、悲しみも、絶望も味わってきたのか。この愚か者には、解るまい。
何しろ、神の一族と謂われ、その名と師の名を糧に、今まで在らぬ栄華を受け続けていたので有るから。その身に会わぬ、汚らしい虚栄は、今此処で雪ぐべきなのである。
穢れた汚物を残し、部屋から離れる。このような汚物とは、いつまでも居るべきではない。
――――――――――――――――――――――――――――
息を潜めて話を聞いていた者は、こっそりとその場を離れる。
ダクトの中を、誰にも気付かれもしないように、悟られぬように。
オオカミが身体を痛めつけられている様子を見て、激しい怒りを感じ、深い悲しみを感じ、今すぐにでも助けに行きたい気持ちを押さえつけ、涙を堪えながら、元来た道を戻ろうとしている。
叶うなら、今すぐにでも飛びついて、一緒に外に出たい。一緒に、いつも通りの生活をしていきたい。それでも、今は……。
闇に浮かぶ月明かりが、俯く彼女を照らす。青く輝くその月は、地下にいる彼には、届かない。
「みゅう……あのヒト、ヘンな事ばっかり、言ってたんだよ……」
誰にも見つかっていない事に安堵し、息をつく彼女は、様々な感情が去来するあの光景を思い出し、遂には怒りに満たされる。
己が愛し、信頼し、尊敬する存在を、あれ程に無下に扱うなど、あってはならない。
必ず、彼を取り戻そう。そう決心して、闇の街の中を走り抜ける。
幻術を掛けて貰った魔術のマントは、彼女が走っている事を、誰にも感じさせない。そして、1つの家屋に忍んで入り込み、マントを脱ぐ。
そこには、彼女を待っていた者達がいる。
「みゅう……やっぱりいたんだよ。あそこで、間違いないんだよ」
「フム……しかし、何故ギルドは動かない。如何様にも動けそうな事態では無いのか……?」
「ダントンに聞いたけど、特に何も知らないって……ありえないだろ!」
「……やっぱり、ワタシ達がやるしかない……よね」
青い月が照らす、その者達は、狼の帰らない日々を訝しみ、自らの手で探していた者達。彼の仲間達だ。決して、無謀な事をしようと思っている訳では無いのだが、頼れる者も、居ない。
そもそも、何故このような事態になったのか。彼らは、知る由もない。
その全ては、彼が遺跡調査から帰ってきた時から、始まっていた。
――――――――――――――――――――――――――――
「オオ!……美しい。神の、遺跡。これぞ……芸術」
両手を広げ、この1か月、毎日眺めている遺跡に向かい、感嘆の声を上げる男が、1人。
北欧神話の、そして俺の一族の初代である、フェンリルの眠る遺跡。
それを前にして、何があっても無言の男が、こんなに喋っている。……奇跡だ。
「ロイ、そろそろどいてくれ。研究員達が来た」
「ウム」
こいつ、遠征帰りで、久しぶりにギルドで会ったと思ったら、俺が遺跡を見つけた事を聞いて、小躍りしながらついてきた。やはり、精神的に子供なところがある。ちょっと気持ち悪い……ユウタ程じゃないな。
遺跡の環境から言えば、保存状態はかなり良好。そりゃそうかも知れない。光も風も届かない場所だ。
神の魔術か何かで、この空間が切り取られている。故に、荒らす者は居ない。
遺跡に使われている物質は、未知の物質。もしかしたらあれかも知れない、という推論はいくつか出てきてはいるが、断定はされていない。
唯一、俺の首飾りとスタチュー、それぞれが遺跡と同じ石材だという事だけが、判明している。
書かれている文字も、精霊文字。俺以外の精霊文字を読める者や、精霊術師がやってきて解読している。書かれているのは、主にのろけ話なのだが。
それでもヴィンセント達に話した内容には、彼らも驚いていた。
ともあれ、今日でようやく、俺の仕事は終わりだ。
「今日の調査が終わったら、俺は帰るからなあ。クロッキーは残るのは自由だけど、遊んでいないで、ちゃんと外敵が来たらみじん切りにしておいてくれよ?」
「ウム……ウーム、美しい……」
――クロスケが随分喋る……明日は大雪だねぇ――
その気になれば、いつでも降らせてあげますよ?積雪するくらいまでなら、ソーサラーの技術で覚えているから出来るし。一応、必要な道具と儀式用の魔方陣、手順とかあるけどさ。
――そんな事しなくても、降るでしょ。こんな喋ってるクロスケは、初めてなんじゃない?――
初めて会った時は、随分区切りながらしゃべるな……と思っていた。けど、それ以降無言がデフォルトだと理解して、正直困惑した。まあ、今はどうでもいいけど。
こいつは、いつまでも地上のダンジョンとこの遺跡を眺めている。来る時も、俺の作っているBBQに感嘆の声を出して、他の者達を驚かせていたしな。護衛の任についた冒険者の全てが、目を丸くしていた。
ぼんやりしているロイを置いて、俺も遺跡周りの壁などを探りに移動する。水面を凍らせて、滑りにくいように溶けない工夫をする。
焔属性の要素だから簡単な事だ。何で簡単かは、聞かれたくない。話すのが面倒くさい。長たらしいんだよ、あれ。ご都合主義の一言で充分だ。
壁面にも、様々な模様が描かれている。それは、簡単に言えば、絵日記だ。小学生の夏休みの宿題かよ……。
そんなこんなで調査が進み、ある程度の目途が付いた。なお、スタチューの結界はどうやら、内部にヒトが居れば、俺が居なくても閉じたりはしないらしい。その為、調査隊の一部を中に残し、俺は離れる事となった。
「ああ、やっと帰れる……その後も、騒がしいだろうけどな」
――とか言って……嬉しいんでしょ?それは……――
「そりゃ、嬉しいさ。やっと、自由に狩りが出来る。さっさと、イビルヌーを大量に狩り獲らないとな」
――そっちじゃないでしょ……――
何をおっしゃるやら、精霊さん。
ともあれ、俺はロイと数名の護衛の冒険者、そして調査隊を置いて、その遺跡を離れた。多分、いつかまた来るだろう。一応、先祖の墓だしさ。
「さあ、帰ろう。アーサー、気張り過ぎてばてたりするなよ?」
結局、気張りすぎる鳥を見ながら、少し呆れつつ、西の都に戻る。その後に俺に降りかかる、面倒事を知らずに。
精霊のぼやき
――で、あの遺跡はどうなるの?――
観光名所……にはしづらいよな。何しろ獣人の遺跡だ。研究対象が、関の山だな。世界創生の理由の1つとして、世界に発表されるかもな?
――……真実なんだけど、信じないんだね――
歴史は偽られるものだからね。




