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夏の模様替えは、互い違いレイアウト

作者: 森本英路

 そりゃぁ、しょうくんと紗英さえは最高の夏を迎えるでしょうね。小説やらドラマやら映画やら漫画やらでスポーツを題材に、栄光までの奮闘をドラマチックに描いたサクセスストーリーはよくある。他に思いつくのは、信念を持って行動し、社会に変革を与えようとひたむきに頑張る主人公を題材にした学園ものとか、青春ものとかも定番で、最後に奇跡が起こったりして感動させられる。


 二人はまさに、その両方を合わせたかのようで、しかも、恋人関係だというのがまたいい。これこそ青春だという、見ていてこっちがテンションが上がる、グルーヴ感というか、高揚感がある。


 そこにきて、この私はどうか。間違いなく脇役の一人で、二人を主人公にしたストーリーでいうと私はまさに『非恋愛』パートを担当している。


 確かに、私のパートは重要だ。登場人物が全て恋愛脳では話は成り立たない。リアリティーに欠けるし、事実、現実世界では恋愛だけで生活はできない。働かなくてはならないし、学校に通わなくてはならない。恋愛だけが主人公の悩みじゃないはずだ。


 その『非恋愛』パートを任されているならまだしも、私の場合、お笑いのパートも担っている。これもよくある定番でそういった三枚目はストーリーでは欠かせない。


 にしても、納得がいかない。私はただスポーツ男子と戯れ、明るく、オーバーアクションで、時には甘え、時には怒り、軟式野球部で普通のマネージャーとして高校生活を楽しみたいだけだった。それがだ。


 柴田の野郎。やつのおかげで私はお笑い女芸人に成り下がってしまった。その元凶たる柴田が今まさに私の二十メートル前でバットを振っている。


「いてっ!」


 ボールが私の太ももに当たった。軟式とはいえ、女子の私が痛くないはずがない。


「せんぱーいっ。今、考え事してたっしょ。ノックを受けているときはボールを見てないと、危ないっすよ」


 そもそもが、紗英がマネージャーを辞めてチームに入ると言い出したことが発端だった。宮ノ下高校は県下有数の進学校でしっかり部活をするところは二年生で現役を引退する。軟式野球部のような部活はグダグダと卒業まで部員は在籍し、まるで同好会か、野球でいえば、下手の横好きが集まる草野球のようなものだった。


 勉強の息抜きにはいい。気分が乗れば練習するし、乗らなければ部室やら木陰やらでだべっている。


 私たちも、マネージャーという立場でそこに加わっていた。それがこの六月、いきなり紗英がチームに入ると言い出した。三年が四人で二年も四人。一年に至っては柴田だけだった。今年も大会への出場は見合わせるか、と誰もが思っているときだった。


 紗英が入れば九人となる。それでチームが出来上がるわけだ。確かに、出場したいのなら妙案だ。紗英は中学の時、ソフトボールで全日本に選出されるほどのビックネームだった。おそらくは軟弱軟式野球部の中にいてキャプテンの翔くん、そして柴田の次に上手いのだろう。


 しかも紗英は翔くんとデートで、公園とかでキャッチボールとかもしていたという。紗英は軟式の扱いも慣れたものなんだろう。


 部員はというと、色めき立った。女子が選手として出場する。パッとしない軟式野球部に脚光が当たるかもしれない。もしかしたら、地元新聞やらテレビが取り上げてくれるかもしれない。学校の宣伝に貢献した自分たちは進学のための内申もきっと高評価になる。


 そんな下心というか、計算が皆に働いたのだろう。私にしてみても、翔くんと紗英の思い出作りは喜ばしいことだった。青春じゃないっすか。グルーヴ感でぞくぞくする。


 ところが紗英は一つ条件を付けた。私を気遣ったんだ。私のことはどうでもいいのに、私にもユニホームを着せたいと言い出した。


 私も中学の時、ソフトボール選手だった。野球が好きで、男ならどんなに良かっただろうと当時は思っていた。


 試合に出ることはない、ユニホームを着てベンチに入るだけ。それは私にとって魅力的な言葉だった。観覧席から見守るだけじゃぁつまらない。ベンチに入って、高校球児のようにヤジを飛ばしたかった。


 で、紗英の申し出を快く承諾しょうだくした。それがだ、それが柴田の野郎。


 私は足元に落ちていたボールを拾った。柴田が放ったノックのボール。太ももにヒットしたボールだった。


 糞野郎!


 大きく振りかぶり、ボールに渾身の力を込め、柴田に投げつけてやった。


 ボールはシュルシュルと風切り音を上げて柴田に向かう。


 柴田は、ニカっと笑った。目はとろけ落ちそうだというのに、口はというと、口角が上がり、歯のほとんど全てが並んで見える。褐色の肌だから整然と並ぶ白い歯は、白さが際立つというか、柴田は私に向けてこの薄気味悪い笑いをちょくちょくする。一体なんなんだこいつは。


 中学の時、柴田は、地元では有名な選手だったようだ。逸材だったらしい。本人もまんざらではなく、本格的な硬式野球部に入りたかったそうだ。


 ところがだ、親が反対した。硬式に入るどころか、部活自体を禁止した。軟式野球部に入れたのは部員が少なく試合に出られないという話を親が聞いたからだ。


 紗英がチームに入ると聞いて一番喜んだのは柴田なのかもしれない。やつはまっさきに、マネージャーの仕事は僕が引き受けると言い出した。


 私が、やつの申し出を手放しで喜んだのは言うまでもない。だって私は選手だ。それも三年。ボール拾いは当然やらないし、マネージャーじゃぁもうないんだ。ユニホームの洗濯だって、ポカリだって造りたくはない。


 引き受けると言った通り柴田は、本来私たちの仕事を自分一人で全部やっていた。なかなか手際もよく、しかも楽しげにやっていた。その姿にちょっと感動し、たまに手伝ってやったりもした。


 ある日、私と柴田はキーパーに水を入れ、ポカリを作っていた。


「先輩、ユニホームを着たからには試合に出たいですよね」


 私は何の気なしに、いや、その頃は柴田に心を許していたのだろう。


「そりゃぁ、出られるなら出たいさ」


 そう答えてしまった。


 その日の練習終わりにキャプテンの翔くんが皆を集めた。翔くんが切り出した言葉はこうだ。


「僕らは勝つために試合に出るのではない。そうだろ? 皆」


 そして、私をレギュラーにすると言い出した。それはまさしく柴田の提言だったのは言うまでもない。


「試合を最後までやり遂げるなら、やはり諸岡もろおかさんに出てもらうしかない。補欠でベンチに入ってもらうと考えていたけど、もし誰かが熱中症で倒れたとしよう。そしたら試合を断念するか、諸岡もろおかさんに出てもらうしかない。我ら軟式野球部がこれだけ脚光を浴びたからには試合を放棄することはできない。宮ノ下高校は進学校だ。間違いなく、遊び半分で試合に出てきたとそしりを受けるだろう。だが、なんと嬉しいことに、そんな僕らの気持ちを汲んで諸岡もろおかさんが選手となって出場してくれると申し出てくれた」


 あの時、チームは一体となった。


 てか、なんでそうなるの。やっぱ柴田だ。柴田が翔くんに何を吹き込んだんだ。許せねぇ。何度もいうが、わたしはただスポーツ男子と戯れ、明るく、オーバーアクションで、時には甘え、時には怒り、軟式野球部で普通のマネージャーとして高校生活を楽しみたいだけだった。


 野球がしたくて男子に憧れた時期は確かにあった。でも、今は女の子の方がいい。


 そんな想いも届かず皆の勢いに押された私はサードを守らせられることになった。センターが負傷して私がそこに入るのは難しい。サードは守りやすいっていうこともあり、最初からそこに入って、ピッチャーでもどこでも守れる柴田が補欠に回った。ちなみに紗英はファーストだ。


 それで今まさに、私の投げたボールは柴田に向かって行っている。倍返し。ノックの最中、ぼーっとしていると知っていて私の太ももにボールを当てた報いだ。


 ボールは、私の怒りのオーラをまとい、シュルシュルとうなりを上げている。柴田の悲鳴が聞けるのはもう間もなくだ。


 のたうち回れ! 柴田―っ!


 けど、柴田はそれをこともなくバントした。絶妙に力を逃がし、ボールは柴田の三メーター手前でコロコロと転がった。


 私は呆然とするしかなかった。柴田が苦しむさまを見たかった。なのにこの怒り、どこにやったらいい。


「先輩、サードでしょ。取りに来ないと」


「て、てめぇー、柴田―っ」


 わたしは走った。そしてボールを握った。バックネットにマットが立てかけてある。そこにボールを投げ、急いでバック。定位置に着いた。


 それから私は柴田に、徹底的に仕込まれたのは言うまでもない。






 居残り練習が終わり、私は女子更衣室でシャワーを浴び、着替えて、校舎を出る。もうへとへとだ。すがすがしさなんてこれっぽっちも感じない。校門を出ると柴田が自転車に乗って私を待ち受けていた。


 いつものことだ。せんぱーい、と手を振っている。よくわからない。私が帰り支度をしている間にボール拾いをし、グラウンドをならし、部室を掃除して、校門で私を待ち受けている。


 ずっと前、手際がいいなと褒めてやったら、本人曰く、はしょらず、毎日キチンとやるとそう時間がかからないものです、だそうです。


 まぁ、それはいい。柴田が私を待っているっていうのは、私を駅まで送っていくつもりなんだ。自転車の後ろに私を乗せて駅に向かう。疲れてへとへとで、私が送って行けと一度甘えてからはずっとそうするものだと、柴田は思っている。


 それだけではない。ラーメンでも食べていきましょうよ、って毎日誘ってくる。初めは付き合ってやった。柴田は自炊だった。お母さんは大学の先生で、お父さんは病院を経営している。


 家に帰ると家庭教師が待っているだけだそうで、それを聞いてしまっては断りづらい。けど、今は断っている。ラーメン代を私の分まで払うんだ。


 女性に払わせたらいけない、というのはフェミニストの母親の教えだそうだ。母親は、どうやら女性の権利やら、女性の働きよい社会やらを研究しているようだ。


 女性参画社会の象徴。今回の私たちの行動も応援しているそうで、母親は部活禁止から積極的な参加に考えを変えたそうだ。でも、何度でもいうが、男子に憧れた時期は確かにあった。でも、今は女の子の方がいい。


「先輩、疲れたっしょ。早く乗って下さい」


 私はやり切れない思いのまま、柴田の後ろに乗った。どう見ても恋人同士である。柴田とは色々あるが、柴田は勉強もでき、スポーツもでき、見た目山下智久だった。


 一年生で、女子の間では一番人気だという。そりゃぁそうだ、と思う。金持ちで、勉強もでき、スポーツもできる山下智久が同学年にいたら私だって惚れる。


 よくわからない。私は真っ黒クロスケ。ちんちくりんで、胸もない。


「先輩、ラーメンでも行きましょうか、久しぶりに」


 柴田は、しこしこ自転車をこいでいる。こいつ、また代金を払うつもりなのだろうか。私はあんたの恋人でも何でもない。ただの先輩。それでおごってもらったらただのパワハラじゃないっすか。御高名な学者様のお母さんはそう教えてくれませんでした?


 私は自転車からそっと降りた。柴田は気付かず自転車をしこしここいでいる。私を置いて先に進んでいった。


「あれ、先輩?」


 気付いたようだ。後ろを振り返っている。柴田は十メーターさきで止まった。


「どうしたんすか? 先輩。落っこちちゃったんですか?」


 柴田は自転車の向きを変えた。戻ってくる。私は走った。来た道を戻り、学校へと向かう。


 自転車が追ってきているのは分かった。が、なんせ相手は自転車。すっと追い抜かれ、私の前に立ちはだかった。


 そして柴田の、あの笑みである。たまに見せる薄気味悪い笑い。いや、これは笑っているのではない。間違いない。ムラムラしているんだ。こいつ欲情してやがる。


「このド変態のサイコ野郎―」


 私は蹴りを入れた。柴田は自転車ごと転んでアスファルトに這いつくばった。


 私は走った。駅に向けて走った。


 あれ?


 いつもの柴田なら、子犬のように追ってくるはず。が、柴田は追ってこないようだ。自転車のタイヤがアスファルトをこする音が聞こえて来ない。私は立ち止った。


 ずっと向こう、柴田は倒れた自転車の横でうつむき、突っ立っている。


 なんか、罪悪感にかられた。私が後輩をいじめたようじゃないか。


 ふぅー。しかたないか。


 私は戻っていき、自転車を起こした。そして、サドルにまたがり、ハンドルを握った。


「柴田、乗れ」


 柴田はうつむいて、動こうとはしない。


「乗れって言ってんだろ、柴田」


 柴田はすごすごと後ろの荷台にまたがった。


「行くぞ、つかまれ」


 そう私が言うと、なぜか柴田は私の腰に手をまわした。


「おい、やめろ。つかまれっていうのはそういう意味じゃない」


 柴田は聞いちゃいないのか私の背に頬をうずめてきた。密着姿勢。


 なんじゃこりゃぁ。


 私は恥ずかしくなって自転車を走らせた。誰にも見られたくない。駅に向かわず、左手の小道にハンドルを切った。


 曲がりくねった狭いあい路を進んでいく。軽トラがやっと走れる細い道。背中には柴田の温もり。正面がパッと開けた。大海原と、水平線に浮かぶ大きな太陽、そして、空を真っ赤に染めた夕焼けが、坂道の向こうに見えた。


 私はブレーキを一杯握りしめて、坂道をゆっくりゆっくり海へと下っていく。


 あれ? これは! もしかして夏色。


 というか、そうじゃない、逆夏色!


 って、なんじゃこりぁぁぁぁぁ。


 もうどうにでもなれってんだ、もう。私は坂道を下っていき、海沿いの歩道に自転車を止めた。


 呆然と、沈んでいく太陽を見守る。


「先輩」


 いまだ背中にくっつく柴田が言った。


「なんだ」


「先輩は僕より先に卒業するんですね」


「当たり前だ」


「先輩。僕、卒業式には泣いちゃうかもしれません」


 しるか、ボケ。


 私と柴田は沈んでいく太陽をずっと眺めていた。






 夏の大会は一回戦で敗退したのもあってか、マスコミにもさして話題にはならず、夏は遠い昔の記憶のようになって、そんなこともあったな的な空気が漂う中で月日は経ち、大学受験が佳境に入った。部員は試験でおのおの全国各地に散っていき、私はというと、浪人せずになんとか大学に滑り込むことが出来た。


 卒業式は晴れ晴れした気分であったが、やはり柴田だ。卒業式が終わり校門を出るといつものように柴田が立っていて、泣きじゃくっていた。


「先輩、卒業式はやっぱり泣いてしまいました」


 卒業式はって、今も泣いてるじゃねぇか。


「分かった、分かった、泣くな、柴田」


「あのぉ、先輩」


「なんだ、柴田」


「あのぉ」


「柴田らしくないな、言ってみろ」


「では、お言葉に甘えまて。ご卒業おめでとうございます」


「はいはい」


「で、先輩、なにか記念品をもらいたいんですが」


「は?」 


「ですから、記念品下さいと」


 逆だろぉがよぉ、柴田。私が貰いたいわ。


 とはいえ、可愛い後輩にそうせがまれては。私は制服のリボンをくれてやった。


 それからも私たちの変な関係は続いている。一緒に飯をくったり、ドームに野球観戦に行ったり、公園でキャッチボールもする。


 映画を見に行ったり、遊園地にも行ったり、まるで恋人同士のようだ。でもいまだ私は柴田を、柴田と呼びつけで呼んでいる。







( 了 )


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[良い点] はじめましてです! 小説読ませて頂きました! いや、さわやかでしたね! 柴田と先輩の関係がいいです。恋人未満という関係なのでしょうか? 取られたり取り返したり、そんな関係でなくただ読んでい…
[良い点] 一人称のこの文体というか、妙に力の抜けた、それでいて所々情感深い感じがたまらん好きです。気だるげな学生っぽさも夏っぽさも温度や香りが感じられそうな空気感がしっかりあって、読んでて非常に気持…
[一言] はじめまして。チャーコさまの「年下男子企画」から来ました。 柴田が諸岡さんを慕う様子が可愛くて可愛くて……。ふたりでラーメンを食べているところなど、物陰から覗き見してやりたいとさえ思います。…
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