大日本帝国海軍皇国秘密兵器第一号
大日本帝国海軍は他国海軍に比べて魚雷を重視している。
その傾向は日清戦争にて魚雷艇が巡洋艦を魚雷にて沈没させたことに起因し、第一次世界大戦のドーバー海峡にて三個駆逐隊の魚雷斉射によってドイツ戦艦を2隻撃沈したことによってその魚雷重視に拍車が掛かることになる。ロンドン条約時にイギリスに配慮する形で保有数を削減するという話が持ち上がった事もあるだろう。国力の差を埋める為の、小が大を喰う為の決戦兵器として位置づけられた。
その具現化として、睦月型駆逐艦、甲型潜水艦から搭載されている61cm魚雷、そして初春型から乗せられた駆逐艦用魚雷再装填管、各国が開発を中止した酸素魚雷である九三式魚雷、九五式魚雷が挙げられるだろう。
九三式魚雷は世界初の酸素魚雷である。
酸素魚雷とは、魚雷を推進させる為の内燃機関に使われる空気に酸素を使用した魚雷である。最初から酸素を使用すると爆発する可能性がある為、最初は普通の空気を用い、徐々に酸素の濃度を上昇させていくことによって安全に酸素を使用することが可能になったのだ。
航空機に使用されている純酸素噴射装置の経験を生かし、各国が試作していた酸素魚雷に比べて安全性が高いものとなった。開発初期は航空発動機の噴射装置を流用していた。だが、航空機のそれは外部からの空気と純酸素を混合させるが、魚雷に用いる際には純酸素だけで駆動するので、酸素濃度…というよりも酸素の量が徐々に増加していくようなかたちになってしまった。
しかし、それによって起こる不具合を解消する為に従来の圧縮空気を併用したのが、偶然にも解決の糸口になったのだ。
九三式魚雷は、それだけでなく、各所が革新的な構造となっている。
従来の圧縮空気のタンクと純酸素のタンク、それを調節する為のバルブが予想以上の容積を喰ったために、機関冷却用の冷却水を外部から取り入れる構造になっている。魚雷側面に開けられた穴からポンプによって流水を引き入れ、そのまま魚雷後部からスクリューの外側に排出され、反作用によって無視できない速度補助を成している。
更に、重量を軽減するために、直進性を保つ為のジャイロコンパスを圧縮空気によって回転させる方式に変更した。内燃機関用の圧縮空気タンクは必要以上の空気が内包されており、よってジャイロを回転させ、そのまま魚雷内に引き込まれた流水と共に外へ排出されるのだ。その機構を採用した結果、ジャイロコンパスの回転速度が毎分9千回転程度となり、衝撃が加わると容易に針路がずれることになったが、電動式にするだけのバッテリーを積むことによる重量増加を嫌ったのだ。
性能低下が危惧されたが、搭載される駆逐艦や潜水艦も、従来に比べて一度に発射する本数が多い為、寧ろある程度の散布界を持たせるように直進性を犠牲にさせた。排出された空気による気泡で軌跡が発見される可能性もあると言われたが、実際に炸薬と信管を取り付けない魚雷を使って試験を行い、発見は困難であるとされ採用に至った。
詰められる炸薬は九一式火薬。純酸素という危険な物質が至近距離で保管されている為、反応が鋭敏な八八式火薬に取って代わる形で開発された安全な火薬である。信管の付近に穴が開けられており、そこから水が浸入することによって漸く信管が作動するようになるという珍しい仕組みの信管も開発され、これも九三式魚雷の安全性向上に一役買っている。
そうした奇抜の塊というべき魚雷は、従来よりも大量の炸薬を、54ノットで、14分間に22km強の長距離まで運ぶ優秀な魚雷であった。防諜上の理由で、対外的には最高速度40ノットで射程10kmと発表された。
文字通り常識を塗り替える魚雷を手にした日本海軍は、瞬く間に潜水艦以外の、魚雷発射管を持つ艦に装備させた。現場も上層部もその威力に歓喜した。
しかしその九三式魚雷にも欠点はあった。生産コストが非常に高いのだ。九三式1本に付き、およそ2万円、大量生産によって価格は下がりつつあるものの、その価格は帝都の一等地に豪邸を余裕で建てられるほどである。海軍大将の年収がおよそ7千円と言えばその高価さが理解できるだろう。
国力が他先進国に比べて低く、それに伴って予算が限られている海軍としては魚雷の1発が為に艦隊規模の縮小を行うのは愚の骨頂、ということで廉価型の作成が急務となった。そうして生まれたのが九五式魚雷である。
九五式魚雷は、寸法は九三式と全く変わらないが、内部が別物と言えるほど様変わりしており、それによる重量や性能の向上が図られている。
全体的な変化として、切削加工によって作られていた圧縮空気、純酸素両タンクを肉厚の溶接容器に変更、純酸素タンクの容積を増やすと共に二重構造として安全性を高め、代わりにジャイロコンパスを電動として直進性能を高め、圧縮空気タンクを大幅に縮小、二重構造化による容積の増加に対処した。
内蔵の内燃機関への噴射酸素濃度の調整を無段階から7段階に簡略化、それと同時に調整の方法を単純な機械式とし、純酸素の搭載量上昇に伴い内燃機関の馬力向上を行い、点火プラグ等の小型の部品を民間の規格品と同一のものとして信頼性の向上を果たした。
進路調整用のヒレの電動機を簡易的なものに変更、バッテリーを小型大容量なものに取替えて構造の簡略化を図り、かつ電飾部への防水加工を施して安全性を高めている。電動に統一したことによって構造の簡易化が行え、結果的に炸薬の量を増加させることができたのも大きい。
九五式魚雷は大幅な性能向上を果たしたものではないが、従来の魚雷とは一線を介した九三式魚雷の後続として、コストを下げて量産性を高め、信頼性を向上させた上に、炸薬の増加と内蔵機関の馬力向上によって性能向上を果たしている。唯の廉価版ではないのである。
九三式魚雷と比べ、最高速度56,3ノット、射程距離22,8kmと、微量ながらも無視できない性能向上が行われている。更に、フィンの収納方法を変更して、甲型以降の潜水艦で運用できるように改造されたのも運用上では非常に利点となりえるだろう。その他、その長距離疾走性能を生かすように、速度を落として更に射程を延ばすよう発射前に調整が出来るようになっている。信管を調整できるようにする案もあったが、信管自体は九三式のままであり、その仕様では信管感度の調整はできない為却下された。
価格は1本あたりおよそ1万6200円、量産効果を無視してこの通りであるため、前述の性能向上と合わせて九三式の完全な上位互換と見なされ、用意されていた九三式魚雷の量産ラインを全て九五式魚雷に変更するよう生産工場に指示がでた程だったといわれている。
日本海軍は世界初の酸素魚雷である九三式魚雷と、その改良型である九五式魚雷を配備するに至ったが、しかしそれらの直径は61cmであり、駆逐艦や甲型といった大型の潜水艦は兎も角、呂号以下の潜水艦や攻撃機に搭載される魚雷としては大きすぎて不適切である。
しかし、酸素魚雷は構造が従来の魚雷に比べ複雑であり、鋭敏な酸素をそう云った小型な魚雷の中に詰め込んで、十分な整備を受けられない小型艦や航空機といった環境で取り扱うのは安全上宜しくないとして、新たに小型の新機軸魚雷が開発されることになった。火薬ロケットである。
その発想の元は九六式2対空対潜噴進弾であるが、しかしこれは対潜水艦用の短魚雷が元になっている。対空と銘うってあるが、本来の任務は対潜水艦で、いわば簡易魚雷とでも言うべきものなのだ。
対潜水艦攻撃に用いられるのは、通常爆雷であるが、円筒形の爆雷は落下速度が遅く、たとえ投下しても命中しない事も多々あった。
その対処法として、爆雷を流体力学的に優れた流線型に成型するという案もあったが、簡易的な魚雷を探信儀の反応に打ち込み、確実に敵潜を撃沈させるという短魚雷のアイデアがあげられた。少なくとも爆雷と言う消極的な兵器より確実だろうとの声に従って試作されたが、威力のある魚雷は大型になる必要があり、仮に数を頼みに小型化すればコストが嵩む上、内燃機関の小型化に手間取って命中しても威力の無い失敗作に終わった。
その為、小型化しても推進力に差し障りの無い火薬ロケットに目が付けられる事となった。期待通り、推進力は十分で、多少の小型化でも十分に炸薬を搭載する余裕が出来た。これが九六式である。
魚雷にすることを諦めた結果生まれた兵器を元に、新しい魚雷の開発を行うと言うのは、一時期統技研で笑い話のネタになった。閑話休題。
そのデータを用い、安価で高性能な魚雷として完成したのが、航空機用と潜水艦用、それぞれの九七式魚雷である。航空機用は直径41cmで、潜水艦用は53cm。全く違う兵器に同じ名称が付けられているのは、酸素魚雷とはまた違う、全く新しい魚雷の存在を少しでも隠蔽する為である。対外的には、九七式魚雷は廉価航空魚雷として発表されている。
航空機用の九七式魚雷は、潜水艦用のそれと同じく唯の火薬ロケットといって差し支えない。しかし、ロケットの高速から生まれる衝撃に対応する為、ジャイロコンパスを毎分4万回転まで引き上げた。信管と炸薬、ジャイロ、推進薬にヒレの電動機と、酸素魚雷どころか従来の魚雷と比べても簡素なつくりになっており、それに伴って価格が非常に安くなった。今までは高価で貴重だった魚雷が消耗品になったのだ。
航空機用は最高速度120ノットで、15秒間点火しておよそ900m程度を疾走する。対して潜水艦用は、最高速度100ノットで、射程距離6000m。空気を積載するタンクが無用になった分、更に炸薬を増加させる事も可能になり、命中した際の威力も増大、正しく一撃必殺の兵器になったのだ。
これらの魚雷郡の実態は、まったくと言って良いほど外部に洩らされることは無かった。洩れたとしても、それは対外的に作られたダミーであった。
この魚雷の確信は、日本海軍に、全く新しい戦略を見定めさせることになった。航空機と潜水艦、この2つを用いた新しい漸減作戦だ。航空機の台等は、この革新を持って古い戦略を価値のある物に書き直したのだ。
これ以降日本の対米交渉は、従来に比べ俄かに主張を強め始めた。アメリカ海軍への圧倒的な強みを手に入れたからだ。
そして、アメリカへの切り札の登場により、軍内部では対ソ連侵攻の声が強まり始めた。狼への鬼札が効くであろう内に前門の虎を撃破しようというのだ。この魚雷達は歴史を動かしたと言っても過言ではないのだ。
解説、余談
九五式魚雷は史実の潜水艦用の53cmから、潜水艦『でも』使える61cmの魚雷に変更。
確かロケットの単価は安い方だったと記憶しているのですが、どなたか教えて下さい。
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