エピローグ
「おはよう。誠司」
「お、おはよう」
迎えに来た誠司と挨拶を交わす。いつもと変わらない光景。でも、誠司の様子はどこか余所余所しかった。
「じゃっ、いこっか」
誠司の右腕に左腕を絡ませ、抱きしめる。大袈裟にビクッと体を震わせた誠司が可愛らしい。
「お、おい夏樹」
「ん、なに? 歩きにくい? だったら離れるけど」
「大丈夫。そんなことはない」
ブンブンと首を横に振る誠司。了承を得たのでさらに腕に抱きつく。
「ちょっと辛いんだよね。今日はこれで学校までいいかな?」
見上げて苦笑する。別に彼を困らせようとして、こんな目立つことをしているわけじゃないのだ。……まあ少しは、誠司にくっついていたいという気持ちもあったりするけど。
「そ、そうか。辛いなら仕方ないな。うん」
誠司が自分に言い聞かせるように何度も頷く。
人通りの少ない住宅街を二人、身を寄せ合って歩く。時々通りかかるスーツ姿のサラリーマンや散歩中のおじさんおばさんが私達を見て唖然としたり微笑ましく目を細めたりしていく。その度に誠司は体を固くし、忙しなく目を泳がせた。面白くて、笑いを堪えるのが大変だ。
「……その、体の方は大丈夫なのか?」
私にだけ聞こえる声で、誠司が問いかける。
「うん。昨日は痛かったけど、寝て起きたらかなり楽になったよ。まだ違和感はあるけどね」
そう言ってお腹の少し下あたりを擦る。途端にボンッと音が聞こえそうなくらいに、誠司の顔が赤く茹で上がった。
「……悪かった。もっと優しくするつもりだったのに、お前が余りにも可愛いもんだから、自分を抑えられなかった」
「男だから仕方ないよ。夏樹も凄く痛かったけど、嬉しかったし」
「そうか……」
ホッとしたのか、やっと誠司が微笑んだ。頭を撫でる手つきもいつものそれで、気持ちよさに目を細めた。
「今日も俺の家で勉強するんだよな?」
「うん。でも駄目だよ。今日は何もさせないからね」
「そっ、それぐらい分かってるっつーの!」
叫ぶ誠司にニシシと笑い返す。誠司がそんなことをしないのは分かってる。ただからかってみただけだ。
「キスぐらいならいいよ」
「……おう」
「いいよって言うより、夏樹がしてほしいんだけどね。ふへへ」
口元に手を当てて笑う。私を見ていた誠司が驚愕に眼を見開いた。
「お前、その笑い方……」
その先に続く言葉を理解し、コクンと頷く。
誠司とキスをしたあの時、私にも誠司と同じように、こちらの夏樹の記憶が唐突に流れ込んできた。いや、思い出した、という方が適切な気がする。まるで忘れていた自分の過去を取り戻すかのように、こちらの世界の夏樹の記憶が、想いが、私の心の中心にフッと浮かび上がってきたのだ。
幼馴染みの誠司のことをずっと慕っていたこと。布師田大学に進むと聞かされたときに、離ればなれになるのは嫌だと泣いてしまったこと。そうして誠司から告白され、受け入れたこと。志望校を千里学園にしようと誘われたこと。
彼女は誠司にべた惚れだった。そんな記憶と想いを受け継いだ私が誠司を好きにならないはずがない。もちろん頑なに拒むことはできたけど、こっちの世界に来て一ヶ月。なんだかんだで私も誠司のことが好きになっていたらしい。気付かされた想いと彼女の想い。二つが混ざって一つになったとき、私は自分の気持ちに嘘をつくことができなくなっていた。
だから受け入れた。彼女の記憶を。想いを。そして引き継いだ。
駅へと向かう道すがら、公園の前を通った際に、ふと財布に忍ばせたままだった四つ葉のクローバーを思い出す。
『四つ葉公園で四つ葉を見つけたら、一つだけ願い事を叶えることが出来る』
四つ葉に願った願い事。私、そしてこちらの夏樹が願った同じ願い。
『誠司とずっと一緒にいられますように』
それを思い出したとき、私がこの世界に来た意味を理解した。
あの噂は本当だったとは。しかし、まさかこんな方法で叶えられるなんてね。神様も少し強引過ぎるんじゃないかな。
まっ、今は感謝してるんだけどね。
「どうした?」
すぐ隣からの声に振り返り、見上げる。「何でもない」と首を横に振って、駅へと向かう。シクシクとお腹の奥が痛むのに、そのことが嬉しい。
「誠司」
彼の名を呼ぶ。すぐに振り向き、私を見下ろす。
腕を解き、両手を彼の頬に伸ばす。冷たい私の手と温かい彼の頬。突然の行動にビクリと彼が震える。
「これからもずっと一緒にいようね」
チュッと頬にキスをして、私は微笑んだ。




