第37話 破滅の時、人は……
「これが、罰だというのですか」
ナガラーシャ皇国の上空から聞こえたジークモルゲンの演説から、突如暗くなった陽の光に訝しんだカサンドラは、ナガラーシャ皇国を囲む巨大な津波に上記のように呆然と呟いた。
ウィン大臣とジークライルとの戦いはジークライルの勝利で収められ、今この執務室にはウィン大臣の死体と重傷を負ったジークライルがいた。
重傷を負ったジークライルの意識は既に消えており、彼はなすがままにカサンドラが呼んだ医者から治療を受けていた。
当然気絶しているジークライルに外の様子を把握することは出来ないし、カサンドラの呟きに答えることもできない。
それでもなおカサンドラはまるで後悔するように外の様子を見ながら呟き続ける。
「先祖代々から受け継がれてきた『現象系』の威光……それが間違っていたということなのですか……ディートリヒトの『孤独』や、この状況を引き起こしたのは……私たちということなのですか……?」
この場にいる誰もがカサンドラと同じような考えに至っており、彼らもそう呟くカサンドラに何か反応を示したいが皆が皆その場で口をつぐんでいる。
彼らはウィン大臣の壮絶な憎悪と復讐心をその目で見て、倒れたウィン大臣の死体を見ては己の過去の行いを思い返し、重い空気を醸し出していた。
彼らもまたカサンドラと同じように『現象系』を信奉する者たちであり、だからこそ『現象系』を持たない者を差別していたのだ。
だが差別をしていたのは一重に『現象系』を信奉しているが故にであり、彼らの根は基本的に善人の部類なのだ。
なので差別をしても、彼らに何ら悪意などない。
だが今回ウィン大臣の姿を見て、彼らは自らの行いを振り返れるチャンスを貰ったのだ。
自らの過去の行いによって、ウィン大臣のように苦しむ人々がいることに気付き、彼らはようやく自身の差別意識と向き合うことができたのだ。
だが、余りにも遅い。
後悔するのも遅く。
改心するのも遅く。
そして少ない。
未来があれば少人数であっても、徐々に世間に浸透させることができるだろう。
だがその未来は既に消え去り、カサンドラを含めたナガラーシャ城の人々はこの国と一緒に心中する道しかなくなった。
カサンドラはこれまでこの国の差別と闘ってきたジークライルの顔を見る。
当然、ジークライルは眠ったままであった。
◇
ナガラーシャ皇国を取り囲む巨大な津波が徐々にナガラーシャ皇国を破壊せしめんと迫ってくる。
外縁部では既にその巨大な津波に飲まれており、つい先程スキーマーとのやり取りで向かった港も津波によって壊滅されている。
津波の迫ってくる速度はそれほどじゃないと思えるも、それはあまりの大きさに距離感を掴めていないだけである。
良くて数十分、悪ければ数分の時間でこのナガラーシャ皇国は完全に沈没するであろう。
「アメリアさん! シエラさん!!」
アメリアとシエラの名を呼びながら彼女らに駆けつけるアッパー。
直前に感じたアトリの妙な気配に胸騒ぎをしたアッパーは、大津波がナガラーシャ皇国を覆い尽くす前に彼女らの身を案じたのだ。
だがいざ来てみればそこには大量の血を流しているシエラとそれを懸命に治療しているアメリアの姿しかなく、そこにアトリの姿は無かった。
「アッパー様、おばあちゃんが……おばあちゃんが……!!」
アッパーの呼びかけに気付いたアメリアは、顔に涙を流しながらアッパーの名前を叫ぶ。
彼女も侍女長として治療の心得はあるが、それでも致命傷を負ったシエラを治療することはできず、なまじ医療知識があるためシエラはもう助からないと分かってしまったのだ。
「クソ、何がどうなって……」
「……ジークモルゲンです」
「ジークモルゲンが、ここに!?」
アンチノーマルが関与しているとはいえ、このような事件を引き起こした黒幕はジークモルゲンだ。
だが彼が何故ここに来たのかは分からないし、この場にアトリがいないという理由も分からない。
(それに俺がそんな気配を察知できなかった……)
当然それにも理由があった。
暴走能力者との戦いでナガラーシャ皇国中に異常な気配が溢れていたからという理由もあり、尚且つジークモルゲンの気配を遮断する能力者が彼の傍にいたからという理由もあった。
いずれもアッパーの感知能力を把握しているスキーマーからの策であり、当然アッパーはその策について何も知らない。
「……すまないねぇ」
そんな今の状況に混乱しているアッパーに、息も絶え絶えにシエラが申し訳なさそうにいう。
「何も言うな! 今俺が治療して――」
「良いんだ……私は盾にもなれなかった……」
アメリアたちを守るために土の壁でジークモルゲンの弾幕を防いできたアトリだが、それでもジークモルゲンに敵わずアトリの元にジークモルゲンの手が迫ってきた。
それをシエラがアトリを守るように前に出たが敢え無く返り討ちにされたのだ。
「もう長いこと生きた……それでも私は……何も残せなかった……!」
残したことといえば、彼女の能力が夫の能力を現在まで継承させてしまったことで差別意識が生まれるようになったこと。
そしてこのような状況を生み出したジークモルゲンに繋がってしまった。
「本当に……私は……!!」
悔しいという思いが込み上げてシエラの目に涙が溢れる。
能力を使わず数世紀生きた彼女は、徐々に迫る寿命にまだかまだかと心待ちにしていた。
だが今はどうだ。
自身の末裔が危機に陥り、その間自分は何もできなかった。
こうして傷を負った彼女は、これがこの状況を生み出した元凶が受けるべき罰として死にたいと思ったのだ。
「ふざけるなよ……!」
そんなシエラにアッパーは怒りを抱いた。
「貴女はアトリを育ててきたじゃないか! 彼女が食事を貰えない日、彼女に食事を渡したのは貴女だ! 城で寂しがっている彼女を支えたのも貴女だ!! そんな貴女が何も残していない!? ふざけるなよ!!」
シエラがいなければアトリはここにいなかったのかもしれない。
でなければアトリがシエラに懐くこともないのだ。
アッパーは素早く周囲にある治療に利用できそうな物を高速で探し出して、それをシエラの前に持ってきた。
「後悔を抱いたまま死んで良いのか!? やり残したことを残して死んで良いのか!?」
アッパーは許さない。
例え本人が死にたそうにしても、後悔を抱いたまま死ぬことは許さない。
例え死ぬにしても、本人には幸せを噛み締めて欲しいのだ。
「貴女が後悔を抱きながら怪我で死ぬなんて許さない! 最後の最後まで、貴女には幸せでいて欲しいんだ!! 貴女を心配してくれるアメリアさんのために! 他ならない貴女を守ろうとしたアトリのために!!」
「アッパー様……」
「だから俺が! 貴女を治す!!」
――『強化』。
一秒未満ではあるが、それでもシエラの容態を把握するのに十分な時間だ。
体に多少の切り傷が見えるが、致命傷となる部分は腹だ。
血は体から流れて風による切創や土による裂傷、そして炎による熱傷が見当たる。
風によって切り裂かれた部位は比較的縫合が楽な部類だ。
熱傷は彼女の能力が『活性』だからか能力を使わなくても傷の治りは比較的早く、熱傷の部分は徐々に治っていくのが見える。
問題は土による裂傷だ。
肉は抉られ、内蔵は裂かれており、それに加えて土の欠片が患部に所々点在している。
(酷い)
しかし酷いが問題ない。
津波がナガラーシャ皇国を破壊するまで残り数十分ではあるが、それでも致命傷を治すことなど数秒もあれば十分である。
「――」
「す、凄い……!」
アッパーの腕の動きが見えない。
それに伴いまるで逆再生のようにシエラの傷が徐々に奥から塞がっていく。
殺菌、除去、切除、縫合を一瞬で行い致命傷だったものが徐々に消えて行き、シエラの息は静かではあるが正常なものになっていく。
「……っふぅ、目に見える傷は治した。血の方もシエラさんの『活性』が何とかしてくれるだろう」
普通の老人であれば傷を治しても失血で死亡していたのだろう。
ここに来て彼女の能力が造血を早めているお陰で延命に成功している。
「あぁ……! ありがとう、ありがとうございますアッパー様……!!」
峠を超えたシエラの顔を見て、アメリアはシエラを治したアッパーに感謝をする。
シエラの能力は知らないが、シエラは衰弱はしているもののアメリアの知識から見てもシエラは助かったということだけは分かった。
「シエラさんに最期まで生きていて欲しいのは同じだ……だけど」
しかし問題は山積みである。
アトリの姿はなく、今でもナガラーシャ皇国には大津波の脅威が迫っている。
その大津波をどうにかしなければどの道助からない。
「……アッパー様、お話があります」
そう考えるアッパーに、アメリアがジークモルゲンが襲来してきた時のことを話した。
「ジークモルゲンの目的は、アリス様だったんです……」
「なんだって?」
あの時、アトリのジェイルフーガのように風の圧力でアトリを拘束したジークモルゲンの思考をアメリアは読み取ったのだ。
だからこそ分かった。
ジークモルゲンの目的はアトリであり、真にナガラーシャ皇国を破壊する手段こそがアトリであるとアメリアは分かったのだ。
「この大津波は、ジークモルゲンがアリス様の能力を暴走させて引き起こしたものなんです」
ジークモルゲンの下には暴走させて正気を失った暴走能力者を操る機械があり、潜在能力の高いアトリを暴走させて彼女を操った。
それによって起きた結果がこの大津波だという。
「これを……アトリが……!?」
妙な気配となった原因がそれのせいだと知ったアッパーは顔を顰める。
周りを見渡せばナガラーシャ皇国を壊滅せしめんとする大津波に絶望しており、これがアトリのやったことならば他の暴走能力者と同じく最終的に行き着くのは『孤独』だ。
「あの時、この国が憎いのだろうと問われたアリス様の脳内を読みました……」
体を震えさせて拳を握るアメリア。
「アリス様も憎いと思っていたのです……! 当然です、あの方は幼少の頃から差別を受けていた……! それなのにあの方の記憶に過ぎったのはジークライル様とおばあちゃん、そして私の存在でした!」
アトリは確かに自身の負の感情を他人に知られるのを嫌う。
それでも今のアトリが最も嫌うのは大切な人と離れ離れになることだ。
アメリアの思考を読める能力を知っても、彼女は自身の負の感情を知られることよりもアメリアと友人でいる事を選んだのだ。
「お願いしますアッパー様!! アリス様を助けてください……でないとあの方は……!!」
「アメリアさん」
再びその瞳に涙を流すアメリアの言葉に、アッパーが遮るように答える。
目の前に困っている人がいたら、アッパーがどう行動するのかは自明の理だ。
「任せろ」
「――! ……はい、お願いしますアッパー様!!」
それからアメリアはシエラを抱えて病院へと向かった。
そしてその場に残されたアッパーだが、彼は必死の現在の状況を打開しようと頭を回転させていた。
(どうすればいい……!? どうすれば皆を助けられる!?)
任せろと言った手前、アッパーはこの事態を打開しなければならない。
だが満足に能力を操れるアッパーならいざ知らず、今のアッパーにあの巨大な津波を何とかするほどの能力を持っていない。
最悪超人的な頑丈さを誇るアッパー一人だけが生還し、その他の人物は全て死に絶えるだろう。
それでは意味がなく、アッパー一人だけ生還しても起きた被害によって『孤独』に陥る可能性は限りなく高いはずだ。
「そうだ……! 学園長なら!」
学園長であるクロノスは、他に類を見ない『時空』の能力を持つ能力者だ。
時間も空間もかなりの出力で操れるクロノスであれば、この巨大な津波を凌ぐこともこの国の人々を避難できるはずだとアッパーは考えた。
そう思ってアッパーは学園長に連絡を入れたが……。
『ええやっているわ……! やっているけど……!?』
クロノスは既に能力を使っていた。
使ってはいるが――。
「――繋げられない?」
呆然と、クロノスの状況を呟いた。
『ナガラーシャ皇国に空間を繋げようとしても、まるでそこの場所が無いような感覚がして繋げられないの!』
「そんなまさか……!? いやまさか、結界なのか……?」
スキーマー曰く『透明な壁』の設定に外から中に『空間』系の能力を繋ぐことはできないように設定したと言った。
だがその『透明な壁』は人工能力者の死亡によって解除されたはずだ。
『中々混乱しているようだねぇアッパー!』
「この声、スキーマー!?」
『まだ繋がっていたの!?』
頼みの綱であるクロノスの能力が使えないと分かり、焦るアッパーにスキーマーの声が響いた。
『あの老人を助けるシーンは最高だったよ! ご都合過ぎて腹抱えて笑ったね!』
「お前のバカ話に付き合う時間はないんだ!! それより答えろ何故学園長の能力が使えないんだ!?」
『おんやぁ? 最初に言ったよねぇ? 『空間』系の能力の場合、外から内に入ることはできないけど内から外に出ることはできるってさぁ!』
「だがその『透明な壁』は解除されたはずだろ!?」
『はっ何言ってんの? 確かに解除されたが――』
――全部解除されるって言ってないだろ?
「は?」
『解除されたのは人間が出ていけることと中に入ることのみ! 皇国を破壊するために計画したのにみすみす外に避難させる間抜けがどこにいるかなぁ!?』
そう、言った。




