第10話 アトリの過去
アトリ、この頃はアリスと名付けられた少女が生まれた頃。アトリの父、ジークライル・フォン・ナガラーシャには瓜二つの双子の兄がいた。
名前をジークリヒト・フォン・ナガラーシャ。
生まれ持った能力は歴代上位に位置しており、皇帝という地位も約束されたジークリヒトはその期待に応えるために優秀であり続けてきた。
弟のジークライルもそんな兄に対して尊敬をしており、立派な皇帝になるのだろうと思っていた。
しかしジークライルもまた、兄とほぼ同じ才能を持っていた。
僅かではあるが能力の出力や生まれた歳月が違うというだけで兄弟の才能はそれほど変わっておらず、ジークリヒトが皇帝に選ばれたのは単に周りからの推薦があったからであり、ジークライルが選ばれる可能性もあったのだ。
しかしどっちが選ばれても国の未来は変わらない。
変わるといえば選ばれた陣営の待遇がよくなるということだけだ。
だがジークライルの陣営は彼を皇帝にしようと考える人も少なからずいた。
年功序列や推薦、能力性能主義といった皇帝に選ばれる要素は多いが、それでも前提条件としてナガラーシャ皇族の血筋であることが重要だ。
現在の世継ぎはジークリヒトには皇子と皇女の二人が、そしてジークライルにはその子供たちを遥かに凌ぐ潜在能力を持つアリスという娘がいた。
素質があれば女性でも皇帝になれるこの国で、ジークライルの陣営はこう考えたのである。
ジークライルが皇帝となれば待遇が良くなり、次期皇帝へと選ばれる可能性が高いアリスを幼少の頃から自分たちの都合のいいように教育してやれば、女皇帝となったアリスは自分たちの思い通りに動くのだろうと考えた。
兄弟での皇位継承争いを嫌い、更に娘のアリスを利用しようとする彼らの計画を察知したジークライルは、その日に自身の兄であるジークリヒトにこう言った。
「兄上、私たちはナガラーシャ皇族としての縁を切り、妻の故郷である地球に行きます」
「……そうか」
ジークリヒトも弟の想いは分かっていた。
その日からジークライルたちは己の陣営の反対を押し切り、生まれて数ヶ月のアリスと自分の妻を連れてアンダームーンを出た。
それから数年後。
アリスは七歳になり、小学生となった。
不慣れな地球の常識を妻から教わりながら、家族と一緒に暮らしていたジークライルはナガラーシャ皇国ではあまり感じなかった充足感溢れる生活を送っていた。
その際、彼らは自身の名前を地球用に変えた。
「永良ジークって……そのまんま過ぎだよ」
「私の外見は完全に外国人だから名前は良いんだ……それに永良という苗字も私は気に入っているぞ。『永遠に良い』という漢字で出来ているところが実にいい……読みも好都合だし」
妻である永良梓とはジークが超能力学園に通っていたときに出会った地球出身の能力者だ。
最初は友人関係であった二人はやがて恋人同士となり、ナガラーシャ皇国で式を挙げた。
そんな二人に生まれ、今では名前を永良有栖と変えた娘はというと。
「あのね、あのね、こうやってやると手からぼわーっと!」
彼らの娘は見事、ナガラーシャ皇族の血筋として能力を覚醒していた。
娘の手のひらから出てる小さな炎を見て、ジークは複雑な表情で見る。
「まぁ、縁を切ったんだ……とにかく能力の制御を教えないと」
能力の制御法とその使い方を含め、ジークと梓は自分たちの娘に愛を注いだ。
有栖のイタズラに対して厳しく叱る時もあれば、仕事がない休日の日には家族と一緒に旅行した。
かつて皇族だと思えない庶民的でありながら幸せな日々を家族と過ごしていたジークは、母国であるナガラーシャ皇国の存在を忘れていた。
そして永良有栖、十歳。
小学四年生となった彼女に悲しい出来事が起きた。
半年前、病気となった彼女の母がそのまま亡くなったのだ。
「……」
大声で泣く娘を抱きしめながら、ジークは妻との約束を思い出す。
――有栖をよろしくね。
たった一言。
他にも言いたいことがあったはずだ。今以上に生きていたいと思ったはずだ。娘の成長する姿をこの目で見ていたかったはずだ。
それなのに、ジークの妻は全ての思いを飲み込んで、その飲み込んだ思いを夫に託したのだ。
「有栖……お母さんはな。完全にいなくなったわけじゃないんだ……」
「……どういうこと?」
「能力者の世界にはな……肉体が死んだら、そこから離れて魂が解放されるという考えがあるんだ……解放された魂は自分の思い通りに過ごし、やりたいようにやるという……お母さんのやりたいことは有栖の傍にいる事だ……だからお母さんは今、有栖の頭の中にいるんだ」
他ならない能力によって魂の存在が実証された能力者の世界では、魂は脳に宿っており、魂が認識という形でアカシックレコードに接続して、真理を得ているというような考えが主流となっていた。
しかし肉体に宿っていた事で自我を得ていた魂だが、解放された魂には自我が消えて本能で動くという考えもあった。
そんな魂を観測や意思の疎通を行える人間や能力者は稀であり、解放された魂が何をするのか、何処に向かうのかは誰にも分からない。
それでも自分の妻ならば例え死んでも娘のためにいようとするはずだとジークは考え、妻の魂は娘の魂と一緒に寄り添っていると信じた。
それを娘の有栖に説明したのだが……。
「……よくわかんない」
子供には分かりづらかったようである。
そんな娘に苦笑するジークは、妻の魂と一緒に娘を見守っていこうと決意した。
それからシングルファーザーとなったジークは、母が死んで気落ちしている様子の有栖に根気よく付き合い、何週間か経つと、未だに母親のことを引きずっている様子の有栖ではあるが徐々に笑顔を見せるようになってきた。
(それなのに……!!)
一ヶ月が経ち、またもや悲報が届いた。
兄であるジークリヒトが崩御したのだ。
「数年前に病を患い、崩御するまで皇帝陛下は懸命に国の未来を仕切っていました」
妻が亡くなり、ようやく立ち直ってきた家族に今度は兄であるジークリヒトの悲報。
混乱した頭で悲報を知らせに来た兄の臣下の話を聞くジークは、やがて彼らがジークをナガラーシャ皇国の皇帝として連れ戻しに来たのだという事が分かった。
「私が……ナガラーシャ皇国の皇帝……」
だが地球での暮らしも慣れて、妻の葬式からそれほど経っていない期間で生活を一変してもいいのかと決心つかずにいるジーク。
それでも臣下たちはそんなジークでも強引に連れ戻すつもりだ。
娘を置いていくことも出来なかったため、やがてジークと有栖はナガラーシャ皇国に戻った。
自らの名前もジークライル・フォン・ナガラーシャに戻し、娘の名前はアリス・フォン・ナガラーシャに変わった。
◇
「おや? また逃げてきたのかい?」
「だって……いつも叱るから……」
十三歳となったアリスは今馴染みのパン屋に身を潜めていた。
父親が皇帝となった今でも一緒にお忍びで来ることも多く、その中で老婆が営んでいるとあるパン屋が気に入っており、嫌なことがあれば毎回ここに逃げるアリスであった。
「大丈夫かい? あまりにも酷いようなら皇帝陛下に申せばいいんだよ?」
そういってアリスにお手製のパンを渡す老婆。
子供が好きで、特にアリスのことを気に入っている彼女はアリスのことをまるで孫のように可愛がっていた。
老婆のパンを齧って、その暖かい食感で頭が冷えたのかアリスは彼女の言葉に頭を横に振った。
「ううん……私がダメだから大丈夫だよ……」
「それでもねぇ……こうして涙で腫れた顔を見てるとねぇ……」
皇帝に即位した日に父が『偉大な炎』でナガラーシャ城の頂上を照らしていたのを見ていたアリスは、自分も出せると思っていたが、教育係と一緒に能力の特訓をしていても未だに『偉大な炎』を出せずにいた。
そしてここ最近、教育係から叱られる日々を送っていたのだ。
当初は子供でなおかつ地球で育ってきたから今『偉大な炎』を出せなくても、今後出せばいいだろうと思っていた教育係だが、皇族であれば少しの訓練で出せる『偉大な炎』をアリスが三年経っても未だに出せない状況に彼らは苛立ちを抑えきれなくなったのだ。
「やっぱりここにいたか」
「お父さん!」
「おばあちゃん、申し訳ございませんいつも娘がここに来てしかもパンも貰って……」
娘の頬についているパン屑を見て苦笑いを浮かべるジークライル。そんなジークライルの謝罪を受けた老婆だが、気にしなくていいと答えた。
「良いんだ……不敬ではあるけどわたしゃあ、この子を実の孫のように思っているんだ。老い先短い私にとって賑やかで楽しい生活を送っているよ」
「……私の記憶が確かならば、私が幼少の頃でもおばあちゃんはおばあちゃんだった気がしますが……」
「ほっほっほ……何のことかねぇ」
そんなこんなで再び城に戻る二人。
毎日叱られてはいるものの、二人は場所が違ってもいつも通り親子の関係を築いでいた。しかし月日が経てば経つほど地獄にように感じる日が、増していった。
ある日のことである。
訓練しても未だに『偉大な炎』が出せないアリスは、休憩時間にお城の庭にやってきた。そこに着くとそこには三年前から交流があり、アリスの友人となった人物の姿がいたのだ。
「あっアメリアー」
地球で培った社交性でナガラーシャ皇国にやってきても、友人を作るのが上手かったアリスはこうして侍従の身であるアメリアでも変わらず、アメリアとアリスは友人の関係にいたのだ。
「……っ」
しかしアリスの呼びかけを聞いてもアメリアは一瞥しただけで、彼女はアリスを無視してどこかに行った。
「え……」
まさかの反応にアリスはそこで立ち止まってしまう。
記憶にあるアメリアは二人きりだと身分に関わらずアリスの前で年相応の反応をしていたはずだが、先程の反応はまるでアリスのことを避けている様子であった。
「走っていったわねお兄様」
「そうだなエリーゼ。しかしこれもアリスが悪いんだ」
「……! お兄様……お姉様……」
そこに現れたのは先代皇帝の皇子であるディートリヒト・フォン・ナガラーシャと同じく先代皇帝の皇女であるエリーゼ・フォン・ナガラーシャの兄妹だ。
先代皇帝が崩御した今、彼の妻は今ではジークライルの妻となっており、先代皇帝の皇子と皇女はアリスの兄と姉になったのだ。
この国では素質があれば女性でも皇帝になれる国であるため、皇子と皇女は別々にカウントされず第一皇子、第二皇女とカウントする。
なので今やアリスはその兄妹の末の妹であるから、彼女の立場は第三皇女となる。
「お黙りなさい。あなたは私たちの妹ではないと何度言ったら分かるのです?」
「で、でも私はお父さんの娘だよ!」
「『偉大な炎』を出せないお前は、俺達と同じ皇族じゃないだろう」
そう言われたアリスは顔をしかめた。
アリスと彼らに間にある確執は、アリスが『偉大な炎』を出せないと分かった日から現在まで続いていた。
当初は新しくできた妹に人形みたいだと二人は可愛がっていたが、『偉大な炎』を出せないと分かると二人を含めた周囲が、アリスを皇族扱いしなくなったのだ。
「ほらあの逃げた侍従を見ろ。お前が皇族じゃないからああして見限ったのだ」
「そ、そんな……!」
「それだけじゃないわ。これからあなたの周りにいる人は皆、あなたから離れていく」
「皇帝陛下でも例外じゃないさ。お前は皇族じゃないからな。……いや寧ろお前が出て行く感じかな?」
そう言って彼らは高笑いをしながら呆然とするアリスから離れた。
その日からである。兄妹の言う出来事が、現実となってアリスの元から人々が徐々に離れていったのだ。
「す、すみません……私の食事は……?」
「はぁ? なんで皇族じゃないアンタに飯を出さなくちゃいけないんだ?」
多感の時期である十三歳のアリスは、訓練に叱られる日々を送ると同時に周りから皇族扱いされない生活を送るようになった。
食事を出さなかった日もあり、その日はパン屋を営んでいる老婆からご飯を分けて貰う。幸いパン屋の老婆はアリスを変わらずに可愛がっていたため、飢え死になるという状況にはなっていない。
それにアリスはそんな苦しい毎日の中で父親と会える日が唯一の楽しみであった。
アリスは信じていた。
どんなに周囲の人々がアリスから離れようとも父親だけが、アリスの傍から離れないのだと。
元から他人同士であった周りがいなくとも、自分には愛する父がいれば誰もいらないとそう思ったのだ。
「そうだ、この日にパーティがあるからアリスも出たらどうだ? ずっと変わらない城の中にいて退屈だろう」
「え? 私がパーティに出ていいの?」
「何を言っているんだ? 私の娘だから出てもいいんだぞ」
ある日、皇族同士が集まる食事の場でジークライルがアリスにそういった。
アリスは自分の父に周囲が皇族扱いされていないと話しておらず、周囲も当然ジークライルがアリスを溺愛しているため、そのような差別をしているとは言えない。
アリスが父親と会う時にいつも臣下の誰かがアリスを監視するように同じ場にいるため、アリスは現在の様子を言えずにいたのだ。
そのような出来事が起きているとは知らないジークライルが、アリスにそう言ったことで他の皇族はジークライルから見えないように顔を顰めた。
ただアリスだけが父の言葉を喜んでいた。
このような公の場で父が宣言すれば、誰もが父を従うだろう。こうして父と一緒に久しぶりのパーティに行けるという事実に、アリスは舞い上がった。
その日から、父が用意したドレスを試着したり、パーティを楽しみにしていたアリス。
そして当日。
美しい青色のドレスを身に付けていたアリスは、異臭のする冷たい牢屋の中に入れられた。
「出して!! 私をここから出してよ!」
「うるせぇ! 皇族でも貴族でもねぇ奴が皇族主催のパーティに入れるわけねぇだろう!」
看守の罵声が牢獄の中に響き渡る。
アリスは楽観していたのだ。例え食事も与えられず、皇族扱いもされず、無視されるような日々を送ろうとも、大人が子供に酷いことをするはず無いのだと考えていた。
だが現実はどうだ。
父であるジークライルは臣下が娘は体調不良で欠席という知らせを受けて、自身もパーティから抜け出して娘の看病をしようとするも臣下はジークライルをパーティの主催者だと理由で引き留めていた。
誰もジークライルに知らせない。最早アリスのことを皇族扱いしていない人物はジークライル以外全員だ。その全員が結託してアリスを徹底的に排除しようとしていた。
「あああああああ……うぅ……」
牢獄の中で泣くアリス。
牢屋に突き飛ばすように入れられた際、父から送られたドレスが跳ねた泥水がドレス毎汚れた自分の姿を見てアリスは兄と姉の話を思い出す。
ここ最近父と会わせないように周りが妨害しているその理由が今わかった。アリスが皇族じゃないから父親が離れていくのではない、周りが離していくのだと。
例え実の娘だろうと『偉大な炎』を出せなければ皇族と認めないその意識はとても強固で、アンダームーンで父以外誰も親しい存在がいないアリスから唯一の家族である父親と切り離そうと子供相手でも容赦しないのだ。
(このままだとお父さんに会えなくなる……!)
一人だと皇帝である父の前にはいけない。
護衛までもがアリスを皇帝の前に通さないのだ。
母も失いこのままだと父との繋がりも奪われると思ったアリスは、親子でいられる証である『偉大な炎』を発現しようと躍起になっていく。
周りは最早敵だらけで、物理的にも精神的にもアリスと皇帝を繋ぐ絆を奪おうとアリスを追い詰めていく。
(皇族としてじゃない……お父さんの娘として『偉大な炎』を出さないと!!)
それでもなお、アリスは『偉大な炎』を出せていない。
これではまるでアリスの能力までもが親子ではないと証明しているみたいで、これまで自分を愛してくれていた父に対して裏切っていると思ってしまったのだ。
やがて月日が経ち、アリスは自身が出て行く旨を周りに言ったことで最後の最後でようやく父に会えた。
「おぉアリス、アリス! すまなかった私に見る目がないせいで……!」
その間、ジークライルはアリスの状況を理解していた。
アリスを皇族扱いしない連中を処罰し、アリスの環境を整えようと頑張った。未だにアリスの排斥運動は収まっていないため、ジークライルの目には隈ができており一睡もしていないと窺い知れる。
そんなジークライルに、アリスはこう言った。
「皇帝陛下」
「あ、アリス……?」
これまでお父さんと呼んでいたアリスが、まるで他人行儀のように娘としてではなく皇帝陛下に仕える一臣下としての礼を取っていた。
アリスはこの後皇族としての自分を捨て、超能力学園に行った。
例え周りの環境が今まで通りになろうとも、例え彼女を皇族扱いし皇帝陛下の娘として認められようとも、彼女は自身の能力が『偉大な炎』を出せなければ、娘でいる資格はないと自分自身を許せないようになっていたのだ。
そしてアリスは超能力学園にて、アザーネームであるアトリという名前を貰い、現在に至る。




