第18話 罪と向き合う時
中学生のような少女から成人寸前の女性達が、開いた森の中で久しぶりの自由と笑顔を浮かべながらキャンプをしていた。
年少組はこの広大な森を走りながら自らが感じる開放感に笑みを浮かべて、年長組はそんな少女達を見て自らも笑みを浮かべる。
誰も彼もが、幸せであった。
そんな幸せそうな彼女達の姿を離れた所にある切り株の上に座って見守る少女、斎藤まゆりは過去の記憶を思い出していた。
一人の少女の平穏が失われ、新しい人生を送ることになった少女の記憶である。
「お母さん……」
母と呟いた彼女の脳裏に映し出されるのは幼少の頃に過ごした肉親の姿ではなく、この『雛の巣』と一緒に過ごした一人の女性の姿であった。
何故この状況で先程の過去を思い出したのか。
恐らくそれは『雛の巣』らをこの森に連れてきた本人から言われた言葉から、母が口癖のように言っていた言葉と連想したからであろう。
「まゆり様? 一体どうしましたか?」
「カナミ……ううん、別になんでもないよ」
カナミと呼ばれる少女は、まゆりと同い年の少女だ。
彼女もまゆりと同時期に拉致され、あわや烏丸家の人々から酷い目に遭うところをまゆりが救ったことでまゆりを慕う様になった。
今まゆり達がいるのは、烏丸家から離れた森の中だという。
クロノスと呼ばれる月の能力者における生きる伝説が、まゆりを含めた『雛の巣』にいる彼女達をこの森に移したのだ。
「……まゆり様が何を悩んでいるのか正確には分かりませんが、こんな私でも推測することができます」
「…………」
まゆりは何も言わない。
切り株の上で膝を抱えて、遠くにある彼女達の姿を見て静かにカナミが言おうとしている事を聞いていた。
「『生きていたら必ず次がある』。お母様が生前言っていた口癖のように、ここまで生きてきた私達はついに次がやってきました」
拉致され、監禁され、まゆりがいなければもっと過酷な状況で生きていた今の次。
それは死でもなく、生き長らえながらも人としての心を失う未来でもない。
「それは『自由』。私達はついにそのチャンスがやってきました。しかしまゆり様は一人、心の中でこう思っている。『果たして私は自由を享受する権利はあるのか』と」
八年間ずっとまゆりを見てきたカナミだからこそ分かる。
まゆりは人を殺し、その裏で悩み苦しみそして罪悪感と嫌悪感で泣き続けるも前を進むまゆりを見ていたカナミは、既にまゆり自身が救われる可能性を放棄したと察した。
まるで人の未来を奪ってきたまゆりに救済される権利は無いのだとと言うように無茶な行動をするまゆりを見て、例えまゆりが自身の兄が必ず助けてくれるという希望を持っていようとも、まゆりは心の奥底でそう思っているのだと感じたのだ。
「でもそれは違います。お母様が言っていた『生きていれば必ず次がある』という言葉は、そんな罪を重ねてしまったまゆり様にも次があると、そう言っているのです」
「カナミ……」
「まゆり様。どうか自身は救われちゃいけないと思わないでください。救われてきた私達は、まゆり様こそが一番始めに救われて欲しいと願っているのです。……私が推測したものが合っていればの話ですが」
そう言って照れくさそうに笑みを浮かべるカナミを見て、まゆりはようやく笑みを浮かべた。しかしその笑みは、まるで諦めているような乾いた笑みだった。
「ううん……カナミの言う通り、私はそう思ってたかもしれない。だってカナミにそう言われて、ストンって心が納得したもん。でも――」
「――でも、貴女のお兄さんは無理矢理にでも救うから」
「……クロノス、さん……」
まゆりの言葉に被せるように言葉を重ねたのは『雛の巣』の女性達をこの森に転移させた生きる伝説、クロノスその人だった。
「ごめんなさいね話に割り込んで。でもお兄さんの事を分かっていれば、そう否定するものでもないわ」
「分かっています……昔からお兄ちゃんは、人を助けるためなら何でもするってことは。でもこんな私じゃあ救われてもやった事の罪悪感で押し潰されそうになるんです。なら尚更……」
「救われないことで楽になろうと?」
クロノスは生きてきた長い年月の間、様々な人間を見てきた。
まゆりのように人を殺した罪悪感で自暴自棄となる人なんてごまんといた。
「いいえ、いいえ。それは違うわ」
だからこそクロノスは目の前の少女を救わなければならないのだ。
「救われずに楽になれるなんて物はこの世に存在しない。原因は別にあれど、貴女が奪ってきた命は貴女の魂に刻まれて、一生貴女の人生に付き纏う。罪によって重くなった石が、貴女の足を締め付けて地に落させようとする」
地の底は即ち地獄である。
重くなった罪の石が己の足を締めつけ、地の底で己を押し潰すのだ。それは想像を絶するほどに辛く、苦しみ、そして最後に死んでも望む楽はない。
つまるところ、まゆりは自身が救われない事で己が犯した罪から逃げようとしていた。
烏丸家にいる家族を守るための正当な殺しの理由がこの広樹達の救出作戦で崩れ去り、慣れようとしていた罪に対する罪悪感が幼い少女に襲いかかってきたのだ。
そんな彼女を慰めても、忘れさせようとも、必ずいつの日か自らの罪で押し潰されるのだとクロノスは過去の経験から理解していた。
「だから先に貴女が救われるの。そして救われた貴女が人を救うの。救った人々の笑顔を見て、貴女はようやく自身の心に繋がれている風船が膨らむ。膨らんだ分だけ貴女は罪の底から浮かび上がる」
浮かび上がった分だけ罪の石も一緒に浮かび上がる。
重くなった罪の石は決して軽くならず、罪の石によって締め付けられた足はずっと罪悪感として痛み続けるが、それでも地の底の落ちて押し潰される事はなくなるのだ。
だからこそ、罪の意識に苛まれている人を前に向けさせるには慰める事でも慣れさせる事でもない。
「罪の石を背負って浮かび上がる、それが罪を償うということよ」
罪を償わせる。
それが罪の意識に苛まれている者に唯一やれる心の救済だ。
「罪、を償う……」
「斎藤まゆり、私の学園に来なさい。貴女の家族と一緒にね」
◇
長政の能力でまるで生き物のように動く刀を『定規』で捌きながら、広樹は手に持った『鉛筆』を長政に向かって放つ。
そして長政はその鋭く向かってくる『鉛筆』に対し、自身の転移能力で回避する。
いつまでやっても恐らくそれらの繰り返しが予想されるであろうその流れは、長政の意識を確実に削ぎ落としていった。
(はぁはぁ……クソッ、何故こちらの攻撃が当たらない!?)
相手は強化系武装型の能力者であるのにも関わらず、長政が繰り出す変幻自在な斬撃を捌き続ける。
流石に長政でも相手の能力が単なる武装強化の能力者ではないと気付くが、それなら今度は何故己の『能力』が効かないのかと混乱し始める。
(効いた様子もない……動きに変化があった所もない)
いつも通り、そういつも通りに長政の無数の刀を定規で捌き続ける広樹の姿がそこにあったのだ。
(何がどうなっている……俺の『無効能力』は確実に発動している筈だぞ!?)
そう、長政は能力を発動していた。
無数の刀を操作する念力系の能力に、自身の身体を転移する能力。
その他に長政は、対象に能力の効果を無効化する能力を発動していたのだ。
通常であれば転移能力だけでも相手に気付かれずに殺すことができる。
刀を操作する念力の能力を使えれば、正面で相手取っても殺せる。
無効の能力を使えばそれが例えクロノスのような能力者相手でも長政は負けないのだ。
(それなのに効かない……!? 能力者であれば俺は負けるはずがない……能力者であれば……まさか能力者ではない? では何故能力者じゃない奴が文房具などで俺と渡り合える!?)
長政の思考は混乱の極みにいた。
処理をするのに容易な強化系武装型はこの戦いで偽物だと分かり、貴重な存在であるまゆりの消失と自身の能力が効かない現状に冷静になれないでいた。
「そらそらぁ! 動きが鈍ってるぞ!!」
どこからか持ってきたか分からない量の文房具の数々を繰り出す広樹の攻撃が焦りで動きが鈍っている長政を襲う。
だがこれでも長政は烏丸家に仕える暗殺部隊の隊長であり、烏丸家が保有する最高戦力だ。転移でこれらを回避し、手に持っていた刀を広樹に向かってぶん投げた。
当然、それでさえも広樹は対処してみせた。
(動きが人間の反応を超えている……!)
長政は今の今までずっと全力を出し続けている。
最初の先手で左の大腿を鉛筆で穿たれた事で僅かに戦力が低下したが、それでも十分にカバーできる損傷だ。
それに相手の力は強大である事は当初の調べで分かっていたが、能力の効果で十分対処できると考えていた。
だがそれは広樹が長政の部下を半殺ししたことで、長政は広樹のことを明確な脅威と再認識し、長政は広樹を殺すために全力を出すことに決めたのだ。
しかし結果がこれだ。
長政は広樹を殺そうと全力を出しているが、対する広樹は余裕が有るように見える。
事実、定規であるにしても長政の頬を切ってみせたその一閃から、相手は長政に対する殺傷能力は持ち合わせていながらも、広樹は何故か積極的に攻撃を仕掛けてこないのだ。
どう考えても時間稼ぎだということは長政自身もとっくに気付いていた。
だからこそ長政は許せないのだ。
与えられた能力が相手に通用しないこの現状に。
栄光ある烏丸家の能力が何も出来ないこの不甲斐なさに。
(クソ、冷静になれ……。俺の任務はコイツの抹殺だが、優先順位はまゆりだ。先ずは消えたまゆりの行方を知らなければならない……貴重なサンプルが消えれば我が烏丸家の研究が……!)
「まるで宿題が夏休み明け寸前に消えた小学生のような焦りだな」
「――なに?」
まるで長政の心の内に答えるように言葉を放った広樹に、長政は一瞬思考が真っ白に染まる。
それと同時に空中に浮かんでいた無数の刀の制御が狂いそうになり、危うく地に落ちる所を何とか気を持ち直しながら制御を開始させた。
「はっ図星か? まゆりが消えてかなり焦っているようだな!」
「……大切な家族だからなぁ!!」
単純な言葉で僅かばかりの動揺を見せた己に苛立ちを募りながも、長政はそれらを消し去るように刀を広樹に向かって振り下ろす。
その斬撃を広樹は定規の腹を使って払いのける。
「焦りで自慢のポーカーフェイスが崩れてるぜ? その言葉が嘘だって言っているようなもんだな!」
「嘘と分かった所で……!!」
広樹を見据える長政は、そこで言いようのない恐怖を感じた。
目が笑っていないのだ。長政と相対する広樹の表情には、数多の人間を殺してきた長政でさえも心の底から凍える程に、長政を見ていたのだ。
「要らぬことまで考えたマヌケな自分を恨むんだな」
一瞬の目の瞬き。
そして気が付けば。
(……なんだ?)
先程までに見ていた光景が変わっていた。
(何が起きている?)
目を動かせば自分がいた位置よりも遥かな後方にいることが分かる。
小さな木漏れ日が頭上を僅かに照らし、どうやら自分は樹の下で寝ていることが分かった。
(いや、寝ている? 何故俺はここで寝ている?)
先程まで、自分は広樹と戦っていた。
まるで途中から記憶が途切れている事に困惑を隠せない長政だが、考えても仕方ないというで身体を起き上がらせようとした。
(? なんだ? 身体が、動かない)
寝ている態勢でいる長政の身体に長政が身体を動かそうとしてもぴくりと動かない。
(動け……! 動くんだ!! 何故の俺の身体は動かないんだ!!)
「あ……ぁぁ……!」
(!? 何だ今の声は……どこから聞こえてくる!?)
「ぁぁ……なん……!?」
(!! ま、まさか……)
その声で、長政はどこからか聞こえてくる音が誰の者か理解した。
(俺の口から漏れ出た声なのか!? こんなか弱い声が……俺の口から漏れ出た声だというのか!?)
そして同時に、長政は全身から強烈な激痛が伝えられた。
まるであらゆる痛みを凝縮したかのような感覚に長政は絶叫を上げようと口を開こうとするが、更なる激痛が顔全体に広がり悶えるしかない。
(痛い痛い痛い痛い痛い!! 何がどうなっているこれは一体何だ何故俺はここで寝ている何故ここで俺は激痛を味わっている何故何故何故何故何故!!!!)
「よう……ご機嫌なようだな」
「!! さい……と、う……ひろ、きぃ……!!!」
激痛に耐える長政に声を掛けてきたのは一人の少年。
その少年、斉藤広樹はそんな長政を見下すかのように冷たい眼差しを向けて、笑っていた。
「こんなにも俺が早く生まれていれば……早く能力の覚醒をすればと思った事はないよ……」
「な、に……を!!」
「何故まゆりを執着しているのか。何故お前に能力が『三つ』あるのか。……そして烏丸家の外道っぷりも全部分かった」
「ぁ……なんっ……だと?」
冗談だという事で一笑に付せば良かったが長政の思考は何を分かったのか、どうして分かったのかというループに陥っていた。
広樹に明かしていない長政の持つ能力が気付かれた事で長政は冗談だと聞こえなくなったのだ。
「さぁ答え合わせと行こうか」




