第17話 それが少女の始まり
これは今から八年前の出来事。
最初は冷たい床の感触が体中を伝わり、混濁しながらも意識は徐々に覚醒していく。
眠気が意識を襲うも、嫌な予感が己の思考に警鐘を鳴り響かせ、少女は眠気に逆らいながら渋々体ごと起き上がり眼を開ける。
「ようやく起きたか」
体を起き上がらせると同時に知らない男の声が聞こえる。
視界の先は未だにぼやけ、声の持ち主である男の輪郭は曖昧に見える。
「ここは……?」
直感的に今いる部屋は自身が知らない部屋だと理解する。
薄暗く温かみのない部屋の中で二つ、人型の輪郭が自分を見ている。
恐らくは大人が二人。それを理解すると今度は今自分がいる部屋を見渡す。
「お兄ちゃん?」
反射的に自身が最も頼りになる家族の名前を呼ぶ。当然兄と呼ぶ声に返す声はなく、少女は自身が目の前の大人二人を除いてこの部屋に一人いると分かった。
そして兄と呼んだ瞬間、それと同時にこれまでの経緯を思い出す。
少女と兄が過ごす家に、大勢の男たちが鍵が掛けてあるはずのドアを開き中に入ってくる。当然兄はその男達に誰だと叫び、恐怖に怯える妹を連れて受話器に向かおうとする。警察か、知り合いか、とにかくこの異常事態に誰か頼れる大人がいないか連絡をするつもりだろう。
だがその前に、見知らぬ男達が兄妹達の行方を遮る。
『烏丸家の者だ。予知通り斎藤まゆりを我が家の養子にする』
『一体何を言っているんだ!!』
幼い妹よりも一歳年上の兄が分からないと言った言葉に、妹が分かるはずもない。勿論それが例え見識のある大人がいようとも、彼らの言葉の真の意味は分からないだろう。
元より烏丸家の者達も、そんな兄妹に分かりやすく説明する考えもなければ、良識のある大人の対応をする気はなく、彼らは抵抗する兄妹を押さえつけ妹を大柄な男が脇に抱える。
「本当にこの子なんだな?」
徐々に事態が分かり、幼い彼女の表情が青ざめていく中、少女は男の声により我に返る。どうやら記憶を思い出す過程で黙りこくった少女を無視して彼らは雑談を始めたようだ。
最初に少女の存在について疑問を持った男がもう一人の男に、声をかける。その言葉を聞いた少女はぜひ間違いであって欲しいと願う。
「はい、予知の能力者が言った特徴と同じです」
しかしそんな少女の願いを裏切り、確認の言葉を振られた男は肯定の言葉を言い放った。
一部の単語に心当たりはないが、少女は自分が拉致されたことは間違いではないということに落胆を感じる。そんな彼女を無視して彼らの雑談は続く。
「しかしまだ能力が覚醒してない上にまだ幼いじゃないか。これじゃあ『交配』も『移植』も出来ん」
「やはり……ストレスを与えて強制的に覚醒するしかないでしょうか」
「ガキが好きな変態共にやってもこの年だと悲惨な境遇に直ぐに順応しそうだな。少なくとももうちょっと成長させないと」
「もしくは頭がパーになる可能性もありますしね。取り敢えず『雛の巣』の奴らに預けましょう」
会話の大半が理解できない。
だが男達が話した内容のニュアンスは少女にとって絶望に落とす内容であるのは明らかであると、少女は無意識のうちに抱いた。
そして話したい事を話したからか、少女の存在について確認をした男が少女に向かって歩いてくる。
「お? もう完全に覚醒したか。だが残念なことお嬢ちゃんはまた眠らなければならない」
「やめてっ……こないで……!!」
少女の助けを求める声が虚しく部屋に響く。ここには自身を含めて三人しかいなく、少女を助ける者はいない。
男が一歩近づいて来る度に、少女は足で地面を押し出しながら部屋の隅までに尻をついて後ずさる。
「余計な労力を掛けさせないでくれよ……」
少女に向かって手を伸ばす男の姿を見て、一つの光景がフラッシュバックのように少女の脳裏を駆け巡り、少女の喉から恐怖に怯える絶叫が溢れ出す。
「いや……いやぁぁぁぁぁぁ!」
記憶にある光景は自身が拉致される時の記憶。
兄は男達によって連れ去っていく妹を取り返すために、周囲の物を使いながら男達に対し抵抗を見せる。そんな中、兄を振りかぶった皿が男の一人の脳天に当たり皿が割れる。
皿を頭にぶつけられた男は流石に兄の抵抗を無視できるはずもなく、激高した男は少女の兄を殴り、吹き飛ばされた兄はタンスにぶつかり、ぐったりと体の力を無くす。
それを見た男たちはその肩に少女を抱えながら去っていく中、抱えられた少女が最後に見た光景は、頭から血を流し力なく少女の名前を叫ぶ兄の姿だった。
そんな光景を思い出した少女は、何かが解き放たれる感覚がした。
「何!?」
過酷な記憶と同時に、膨大な使い方の知識と力が刹那の内に幼い少女を襲う。
伸ばされたその男の手は、兄を殴り怪我を負わせた男の姿と重なったことで、一瞬の内に味わった残酷な出来事がより鮮明に少女に思い出させ、少女の何かが覚醒したのだ。
それが覚醒したと同時に、少女のいる空間がグニャリとねじ曲がる。
「ぎゃあああああ!!?」
男は激痛のあまりに声が枯れるほどの絶叫を上げる。
男の腕はありえない方向にねじ曲がり、あるいは圧縮され、または膨張していく。
そしてそれは不幸にも男の体勢が崩れ、少女に向かい倒れたことによって悲鳴が消えた。
否、悲鳴が消えたのではない。
男の体が少女に倒れていったため、歪んだ空間に入った男の頭が圧縮されたことで声を発する器官が無くなったのだ。そして男の身体が乱重力に耐え切れず、無残な様相になった腕と同じ末路に辿り着く。
――爆散した男の血が少女の体にぶちまけられる。
むせ返るような異臭に人並みに暖かい液体が少女の感覚を震わし、バラバラにされた物体が慣性に従い少女に当たる。
そっと目を開ける少女の目に入ったのは、辺り一面に広がる赤黒い液体と肌色な物体が数個。
見れば少女の体にもその赤黒い液体がベットリと付いていた。
「え……なに……?」
呆然と自身の腕を見る少女。
その腕に付いている赤黒い液体に何やら嫌な予感を感じる少女は、未だにねじ曲がってる周囲より安全な場所にいるもう一人の男を見る。
「あ……あぁ……」
その男も呆然と少女を見ていた。まるでこの現象を起こした元凶を見るかのような視線で、少女を見つめていた。
何が起きたか分からない、ただこれが自分がやったということであろうということは分かった。
この兄が流した血と同じような液体は自分がやったのだ。
そう漠然と分かった少女は、頭を抱えながら涙を流す。
「あぁぁぁぁ……あぁぁぁぁぁ……っ!!」
少女の叫びと呼応し、周囲に広がるねじ曲がった空間が更に膨張し始める。
その空間を見た男は悲鳴を叫び、泣きながら気絶した少女を残してその部屋から逃げ出した。
◇
それから、どれぐらい時間が経ったのだろうか。
日は既に暮れ始め、少女がいた部屋は既に膨張した重力の暴走により跡形もない。あるのは部屋の残骸らしき奇妙な物体が、膝を抱えて呆然とする少女の周囲に転がっていた。
部屋が消滅したおかげで、どうやらここはどこかの屋敷にある部屋の一角で、その屋敷を囲むように木々が生え茂っているのが分かるようになった。
そしてそんな少女の周囲には、ライトを使って少女の辺りを照らしながら様子を伺っている人々がいた。彼らは烏丸家に所属している能力対策部門の人員で、養子にするためと拉致してきた少女に能力による暴走が起こったことで少女がいる場所に集まっていた。
その能力対策部門のリーダーであり、烏丸家の現当主である烏丸玄十郎の右腕である長政は、部下に現在の様子を尋ねる。
「対象の様子はどうだ?」
そんな長政の問に、現在少女の能力を調査している一人が答えた。
「駄目です。対象の能力は未だ健在、尚も拡大中。このままでは我が屋敷も乱重力に巻き込まれ、全壊するのは時間の問題です」
「……ふむ。幸いなことに周囲の空間に比べ、地面への干渉は鈍い。そのまま地面の底に行く心配はいらないな」
「それでもあの広がりようは、下手すると地球丸ごと行きそうな気もしますが」
「冗談はやめろと言いたいが、『時空』の例があるからな。もし対象があの化け物レベルの潜在能力があれば冗談じゃすまなくなる。まぁ流石に能力者の体力が先に尽きるだろうさ。あの規模の暴走は持ち主のキャパシティを超えても尚暴走し続けるしな」
つまり下手をすると、少女の命でさえも吸収し能力の暴走は少女が死なない限りずっとあのままだという可能性があるのだ。
すると一人の部下が長政に駆け寄り、報告を行う。
「長政様。彼女の容態が回復しました」
「そうか。可能性は半々だが彼女に賭けるしかない。我が当主は嫌がるだろうが、失敗したら俺が対象の能力を無効化にし、殺すとしよう」
そんな長政の命令を聞いた部下は、同僚にその事を伝えるとまもなく『彼女』がやって来た。
上等な着物を着ているが、表情はボロボロで頬は痩せこけていて目元には隈が出来ている彼女。
フラフラと覚束ない足取りで長政の下に辿り着くと、長政の後方にある暴走中の少女を発見し、悲痛そうな表情で顔を歪ませた。
「そんな……また子供を拉致したのですか……」
「これは我が烏丸家にとって重要な素材だ。だが今は見て分かる通り、能力が暴走していて手が付けられない状態だ。そこで貴様にやって貰いたいことがある」
「……あの子は……私と同じ『重力』の能力者なんですね……」
「あぁそうだ。重力というものは全てが解明されていない謎多き現象だからな。それでも所詮は能力者の能力。そこに貴様がアレに強化感応現象を引き起こせば、収まるだろう」
――強化感応現象。
それは同系統の能力者二人以上が同時に能力を行使することで、発動された能力が強化されるという現象である。強化されるといっても威力等は勿論、行使される能力の範囲や、能力の制御力といった事までもが強化される。
そんな今回の作戦は、強化感応現象の制御力強化によって少女の重力を制御し、少女の周囲に広がっている乱重力を無くすというのが作戦である。
「分かったのなら、さぁ行け」
長政の命令と同時に、彼の部下が彼女を少女の方向に押し出す。急な押し方で彼女は危うく転びそうにながらも、しっかりと足を踏ん張って少女の方へと歩き出した。
少女に近づいていくと、同系統の能力持ち故の感性か、少女の周りに展開している乱重力と普通の空間との境界線がはっきりしてきた。
彼女はその境界線に立ち止まり、乱重力を観察していた彼女は驚愕を表した眼差しで中央にいる少女を見つめる。
(同系統の能力を持っているから分かる……。彼女は私よりも強い能力を持っている)
こんな幼い少女の才能を見たからこそ、彼女は少女の未来に憂いを感じずにいられない。
烏丸家とは、当主の欲望のままに活動する非道な組織である。そんな組織に少女が連れてこられたのだ。途轍もない才能を持つ少女は烏丸家に利益をもたらす道具として育てられ、一般の能力者である『雛の巣』の女性達は人間ではなく道具として扱う。
程度の差はあれ、ここに拉致された女性達は道具として認識される。
どれも悲惨で、救いようのない事実であった。
(それでも私は貴女を救わなければならない。例えこの先が地獄だとしても、生きていれば必ず良い事が起きると信じているから)
ゆっくりと、彼女は境界線の先へと一歩足を進めた。
どんな人物でもどのような能力者でもまともに乱重力の中に入れば、圧縮と膨張そして四散になるほどの強力な乱重力だが、彼女は躊躇なく入っていったのだ。
しかし引き起こされる悲劇とは裏腹に、彼女の五体は無事なままだ。
(凄い重力……。私でも集中して能力を発動しないと身体中が持っていかれる)
そして少女もまた、こちらに向かってくる女性の姿が見えた。
「こないで……」
弱々しい声。
そんな少女に、彼女は笑みを浮かべて「大丈夫。私がいるよ」と答えた。
強化感応現象は対象と接触しなければ引き起こされない。だから今彼女が歩いているこの重力の空間は、自身が展開している重力の防御壁により無理矢理進んでいるだけである。当然、このまま長時間居続ければ展開している防御壁は崩れ、彼女の身に乱重力の嵐がやってくるだろう。
しかしそのまま走っても防御壁を維持している集中力も途切れるため、慎重かつ迅速に少女に向かって歩いていくのだ。
――そして、
(もうすぐ……!)
少女の場所と女性の場所が近づき、彼女は手を伸ばす。
(貴女の未来を閉ざさないためにも……!)
例えこれから先、苦痛にまみれた人生を歩もうとも。
(生を諦めなければ、『次』がある!)
幼い少女を我が子のように抱きしめる。
女性の思いは果たして少女に伝わったのかは分からない。
ただ分かることは、少女は女性を抱きしめ返したということだけである。




