第15話 アッパーVSイス
天つ名町の展望台まで一息に跳躍したアッパーは、そこで手すりの上で楽しそうに歌っているイスの姿を見つけた。
彼女は展望台へと着地したアッパーに気づくと、嬉しそうに笑みを浮かべながら振り返る。
「あらアッパー、どう? 私のコンサートは」
「俺が言えるのはただ一つだけだ。目を覚ませイス」
短い期間だった任務ではあったが、それでもなお一緒に旅してきた仲間のことを理解しているアッパー。
旅の間仲間のことを常に気をかけ、また仲間の空気を察して場の雰囲気を変えてくれるパーティのコントロールを担っていたサブリーダー。
なまじ一度でも接触した相手に対しては短時間である程度情報を集める事ができるアッパーなら、イスがこのように人々を苦しませる行為はしないと理解している。
なら彼女がこのような行動を取るということは、先ほどのエネミーの出現という状況から考えてもデストロイヤークラスエネミーのスピリットが彼女に何かしたに違いないのだ。
精神を司るエネミーと名乗るのならば、かつての仲間を洗脳したと言われてもおかしなことはなく、だからこそアッパーは彼女に対する説得を最小限に留めたのだ。
「目を覚ます? 何を言っているのかしら? 私はもう目を覚ましているわ」
手すりの上から地面へと降りたイスはまるで自由になった喜びを表現するように両手を広げて、アッパーに笑みを見せる。
「歌が好き。
歌うのが好き。
みんなに歌ってあげるのが好き。
歌は喜び。
歌う事が私の喜び。
みんなが歌で喜ぶのが好き。
でも能力を覚醒した事で私はどうなった?」
思い出すように自身の喜びを語る。
だがアッパーに問いかけた最後の語りでこれまで喜びの表情を浮かべていた彼女の表情は突如として退屈で無表情をして、天つ名町を襲っているエネミーの方へと指を指した。
「見なさい、あの感情も何もない無生物を。人の前で歌を歌えなくなった私が唯一歌えたのはあの木偶の坊どもの前だけで、私があいつらに歌っていたのはいつも攻撃的で、悲観的で、悲劇的で、それでいて失望、諦観、絶望、失恋、悲哀を含んだ歌ばかり。
でも私は別にそれらの歌が嫌いというわけじゃない。ただつまらないのよ。
歌とは感情を込めるものよ。でもあいつらの前では私はいつもマイナスの感情を込めながら歌うわけなの。誰もが気が滅入る戦場で、私はいつもマイナスの感情で歌った」
彼女が自分のため、他人のため、家族のためにと喜びながら歌ったあの頃は一体何年前の事だろうかとイスは憂いを帯びた笑みを浮かべながら頭を抱える。
それはまるで劇場に出演している女優が自身の思いをギャラリーに表現するために演技をしているかのように振る舞っているようだ。
「久しぶりにプラスの感情で歌えた。久しぶりに私が楽しいと思える歌を歌えた! あぁこれだわ! やっぱり楽しいと思える歌は私が楽しいと思う歌でなくちゃ!」
そしてふと、まるで初めてその存在に気が付いたかのような視線を先ほどまでずっとイスの語りを聞いていたアッパーに向けて、コテンと首を傾げた。
「あら? そういえばアッパーはどうしてここにいるのかしら?」
不思議そうに聞くイスに、アッパーはこれから自分が言うセリフを目の前の彼女に言わなくてはいけない状況にため息を吐く。
先ほどのイスの想いで、アッパーはイスがどれだけ歌に対する想いを抱いていたか理解した。
そして恐らくだがその想いはスピリットの洗脳によって生まれたものではなく、常日頃からイスが抱いていたことだと言うのもアッパーは分かってしまった。
「……俺は」
でもだからこそ言うしかないのだ。
「――俺はお前を止めに来た」
そのような想いを常日頃から抱いていてもイスはそれを決して表に出すことは無かった。
それは短期間ではあるが人の心を正確に推測できるアッパーであっても、あの時エネミーを自身の声で倒していったイスの表情からそのような想いを推し量ることはできなかった。
それは一重に、彼女は自身の歌が他人を容易く傷つけるものであると理解していたがために彼女が理性でその想いを抑えていたのだ。
歌というのはイスにとって非常に大切なものだ。
しかしその大切だと思っている歌が他人を傷つけることに我慢できるはずもなく、イスは人前で歌わないことを決心したのだ。
「……貴方は、私に歌わせないと?」
「俺はかつてのお前の決心を尊重しただけだ。たかがあの半透明野郎の洗脳でお前の決心を踏み躙りさせたくはないからな」
戦うための構えを取る。
これがアッパーにとって初めて仲間に向けた構えであった。
「何ならお前の歌を俺が聞いてやるよ。俺一人のギャラリーで申し訳ないが、俺ならお前の歌を聞いてあげられるぞ」
「――ハハ、嬉しいわアッパー」
そのイスの言葉を皮切りに両者に流れる空気が止まり、互いの隙を伺うように静かに見つめ合う二人。
その時は、天つ名町でエネミーと戦っているコウの光によって動き出した。
「――!」
最初に動き出したのはアッパーだ。
だがその動きは先ほどから『全力強化』を使用していたため、イスの知覚を超えるほどの速度となっていた。
超高速でイスの背後に移動したアッパーにイスは気付いていない。
時間であれば僅か数コンマの時間。
能力以外は普通の女性が訓練した程度の身体能力でしかないイスであるため、身体能力の差があるアッパー相手に身体能力で敵う筈もない。
アッパーが狙うのはイスの気絶だ。
彼女の洗脳を解く手段を持ち合わせていないため、アッパーが持てる手段はそれしかないがそれでも手段としては最善なものだ。
かといって『全力強化』状態のアッパーだと、そのまま彼女に当て身をしようとすれば気絶させて病院送りにするつもりが、彼女の体を貫通させて天国送りになるのは想像に容易い。
だからこそアッパーはこのの状態でも、ちゃんとイスの身体能力に合わせた力加減をする必要があるのだ。
――だが。
「……これは」
「ふふ」
その加減された当て身はイスを後遺症なしの怪我なしに気絶させるほどの絶妙な力加減ではあるが、当然それは当たればの話。
アッパーがイスへの当て身が届く前に、イスの手前でまるで振動の壁ような物がアッパーの当て身を防いでいたのだ。
「貴方が移動する位置は私が発している音の波の動きによって把握しているわ。そして貴方の攻撃を防いでいるその壁は勿論が私が発した音の振動を増幅させて見えない壁にしたの」
ただ音を発して相手に干渉するのならそれは『精神系』の能力だと言えるのかもしれない。
ただ声を発するだけで周囲に物理的な影響を及ぼせるのならそれは『現象系』の能力なのかもしれない。
だが彼女の能力は声や音を自在に操ることで精神的な干渉、物理的な影響の二つを引き起こすことができるのだ。
それが彼女の能力を『独自系』と呼ぶ証左。
その系統の能力はどの系統にも属さないオンリーワンの能力であり、共通しているのはどの『独自系』も非常に強力だということである。
「でもこの壁は一般人相手なら簡単に防げるけど、貴方の能力の前じゃあただの音。でも分かっているわ貴方が私を傷つけたくないということを。そのために手加減してくれることを」
だから彼女を殺す気で行かなければ、止めることができない。
《〜♪》
「……チッ」
歌を歌うことで周囲に音の波動を放つイスにアッパーは舌打ちを出すも、アッパーはその場から動かずに甘んじてイスの音の波動を受ける。
もうイスの能力は最初に時点でアッパーに効かなくなっているのだ。
イスは自分の能力でアッパーが吹き飛ばないと見ると、嬉しそうに笑って自分からアッパーとの距離を取った。
そして次に口を開きまたも歌を歌う。
だが今度は先ほどエネミーを駆除しているアッパーを襲った技と同じ物、フルコーラス・フォルテッシモを繰り出したのだ。
――アッパーのいる地面に向かって。
「地形を利用するか!」
複数に重なったイスの歌によってアッパーのいる地面が抉り取られる。
流石に足場が崩れたとなればアッパーは足場を移すためにジャンプするしかないが、それを見越したイスが空中にいるアッパーに向かって超音波を発した。
「うおっ」
ダメージはないが、支える物がない空中ではアッパーの体は容易く吹き飛ばされ、先ほどよりイスとの距離を引き離されたアッパーは空中で体勢を立て直し、地面に着地する。
「……さて、どうしたものか」
そう呟くと同時にイスの歌がまたやってきた。
独唱、重唱、合唱とイスの声が複数に重なりアッパーに襲い掛かるもアッパーは動かずにその場で彼女の歌を受け続けた。
そして受け続ける度に、どうやら自分の歌を聞いてくれていると思ったのかイスは誰もが見惚れるほどの笑みを浮かべて歌を激しくさせていく。
体中に響く振動がなければアッパーは黙ってイスの歌を聴き続けるだろうが、今はとにかく時間がない。
スピリットにいると思われる他の仲間たちの安否や、この天つ名町で戦っているコウの体力が持たないのだ。
しかし今のアッパーには打つ手がない。
当て身を与えようとも加減したそれはイスの体に届かず、かといって身体能力に物を言わせて押し込んでも勢いがなければ気絶させることができない。
反対に勢いに乗せて行けば今度はイスの体を貫通するだろう。
「……クソ」
地面に対する二度目の歌。
地面が抉れる前にアッパーは退避する。
そして体を激しく上下左右に動かしていたからか、アッパーの首に掛けていたビン入れが懐から飛び出した。
「……」
アッパーの前にあるのはアッパーが任務に出発する前にメティスという一見幼女しか見えない女性から渡された能力を無効化する鉱石、『無鉱』が入っているビンだ。
それをビンごと手に取り、考えるアッパー。
「……やるか」
そして数コンマで考えが纏まったのか、アッパーはそのビンに付いている首に掛けるための紐を引きちぎり、イスに向かって走った。
「あら? 何か決意したようだけど、まだまだ私の歌を聞かせてもらうわよ!」
通算三度目のフルコーラス・フォルテッシモ。
だが今度イスが出したのはそれを間を置かずに連続で出すものだった。
このように使えば喉が枯れて数時間は使えなく技ではあるが、イスはアッパーに関する資料を読んでアッパーに関する情報を知っていた。
それはアッパーは何か決意をする時は、必ず決意した通りに遂行されるということである。
その知識が彼女の無意識による経験がその決意したアッパーを自分に近付かせてはならないと判断したのだ。
「残念だが――」
果たしてその技は、
「――俺に同じ技は通じねえよ」
アッパーがイスの連続フルコーラス・フォルテッシモを受けてもまるでビクともせず、普通にそのままイスの元へと近付けたことでアッパーに通じないと分かった。
「ちぃとばかし衝撃が来るかも知れねぇが我慢しろよ!」
手に持ったビンを握力で割り、その手にある無鉱がアッパーの手元に残る。
この鉱石を素肌で触れれば能力を無効化するという代物なのだが、アッパーの体は既に超人。
よってこれまで体に纏わせていた『全力強化』はアッパーの体から消えるも、その超人的な身体能力はまだ残り、アッパーは無鉱をイスに向かって突き出した。
当然イスの手前で音の壁が立ちはだかるが手にひらを押し出すことに関しては別に加減は必要なく、アッパーが手に持った無鉱をイスの肌に触れさせることに成功した。
「――!」
その瞬間、イスの体が僅かに痙攣したと同時にイスの後頭部から青白い半透明な何かが飛び出して消えた。
「おっと」
イスの体から力の支えが失われ、地面に倒れるところをアッパーが抱き留める。
イスの呼吸は正常であり、どうやら彼女は気を失ったということが分かる。
「……良かったぁ」
その状態のイスにアッパーは安堵する。
そしてそれと同時に、アッパーはようやく仲間の一人を助けられたことにより一層決意を固めた。




