第13話 光
イスがいるのは天つ名町全景を見渡すことができる高台にある展望台だ。
そこでイスは手すりの上を器用に立ちながら楽しそうに歌を歌っていた。
天つ名町全域に轟かせるその歌は、一般人の聴覚ではイスがどこで歌っているのかは分からないだろう。
しかしアッパーだけは超人的な聴覚によって天つ名町全域に轟くイスの歌声を聞き分けられるため、イスがどこにいるのかも比較的早い段階で把握していた。
「音でこの現象を起こしているのなら……!」
アッパーは『全力強化』を常に全身に纏いながら、イスの音をかき消すためにアッパーは口を開いてそこから音を出した。
すると天つ名町に轟いていたイスの歌が消えたのだ。
これは音に逆位相の音を重ねると音が消える現象をアッパー一人で起こしたものだ。
これにより天つ名町に轟いていたイスの歌は消え、イスの歌によって苦しんでいた人々は苦痛から解放されるようになったのだ。
だがそのような喜びも束の間、イスの歌とは別にイスの声が聞こえた。
《ふふふ! テンション上がってきたわ! それじゃあ次行くわよ!》
その言葉を聞いてアッパーは嫌な予感をした。
かくしてその予感は当たり、イスの曲がごく自然に切り替わったのだ。
「……ッ」
ポップをベースにした先ほどの曲からクラシックをベースにした曲がイスの口から発される。
その二つの繋ぎ目があまりにも自然だったため、アッパーはイスの新しい曲の逆位相を発するのに数拍遅れた。
だが事態はまだまだ終わらない。
最初はイス一人だけの独唱だったのが、とあるパートを抜けた瞬間にイスの声が重なりまるで二人のイスが歌っている状態になったのだ。
アッパーの声帯は一つしかなく、斉唱状態のイスの音をかき消せるのは一つだけだ。
当然漏れ出たもう一つのイスの音は天つ名町に拡散するため、そのせいで町の人々は再び苦しむようになった。
『マズイわね……先ほどの歌いながらリアルタイムで会話できることから考えて、彼女は一人で独唱、斉唱、そして恐らく合唱もできる筈よ!』
そして今イスが歌っている曲のパターンからして時間が経てば経つほど、曲のテンポは激しくなり、コーラスの数が徐々に増えて行くタイプだと予測できる。
このままではイスの音を一つだけ消せるアッパーのキャパを確実に超え、イスの複数の音によって増加した音の破壊力は計り知れなくなる。
(ならばイス本人を叩けば……ッ!)
この状況を起こしているイスを止めれば住民を苦しめている歌も止む。
ただ気絶をさせるとはいえかつての仲間を傷付けることになる状況に僅かではあるが、胸が苦しくなるアッパーであった。
ともあれ時間が掛かれば掛かるほどイスの歌っている曲が激しくなり、より苦しい状況になるのは明白だ。
足に力を込めてイスのいる展望台へと跳躍しようとするが、そこに焦った様子のクロノスがアッパーに待ったをかける。
『アッパー君、空から空間の反応が!』
アッパーもクロノスとほぼ同時に感知していた。
上を見上げると天つ名町の空に空間が複数に現れ、中からまるで蛇口の水のようにエネミーが大量に出てきたのだ。
(なんでどいつもこいつも周囲を巻き込むんだ……)
まるで示し合わせたかのような状況にアッパーは頭が痛くなった。
大量に現れたエネミーを見るとやはりイスの変貌はスピリットが何かしたという考えが思い浮かぶ。
スピリットに対する怒りがこみ上げながら、空から降ってくるエネミーを倒すために力を込めた足をイスのいる展望台ではなく、空に向けて跳躍した。
力の弱い一部のモブクラスエネミーなら、この高さで落ちれば勝手に死ぬだろう。
なのでアッパーが狙うのはこの高さで死なないエネミーだけであり、アッパーはイスの歌を軽減させながら空のエネミーに向かって力を叩きつけた。
『GUAAA!?』
当然『全力強化』状態のアッパーの放った力は対象エネミーを一撃で粉砕する。
そしてその死んだエネミーの死体を蹴って次のエネミーに向かって跳躍し、次のエネミーを殺す。
その一方、先ほどアッパーが立っていた付近に一人の男が走ってやってきた。
「はぁ、はぁ! あ、あれは!?」
水無月光ことコウだ。
あの後アッパーと別れた後、イスの歌に彼も他の住民と同じように苦しんだがアッパーがイスの歌を軽減したお陰でこうしてアッパーを探すために走ってきたのだ。
翔けるように縦横無尽に空中を飛び回るアッパー。
本来ならば通常の人間ではかなりの勢いで飛び回るアッパーの姿を確認することはできない。
しかし何故かコウは超高速で動くアッパーの姿を捉えており、空中でエネミーと戦っているアッパーを見たコウは唖然とした。
「広、樹……?」
「――!?」
唖然としているコウの呟きは超人的な聴覚を持つアッパーの耳に入った。
何故ここにコウがいるのか、何故超高速で動く自分を捉えることができるのか、様々な疑問が浮かんでくるが一先ずこの大量のエネミーとイスの歌を何とかしなければとアッパーは体に力を込めた。
空間から現れるエネミーの数は未だ増え続け、それと同時にイスの歌は激しさを増していく。
この二つの脅威を一時的にも止めるために、アッパーはエネミーを送り出しているディメンジョンを殺し、次にエネミーを殺す速度を上げた。
当然殺せば殺すほどエネミーの死体が増え、重力に引かれながら落ちるエネミーの死体によって下にいる天つ名町の住民に被害が起きる。
だから殺したエネミーの死体を蹴って空中で一箇所に集まるようにコントロールをした。
肉片も、血飛沫も、何一つ地上にいる住民に降り注がないようにコントロールし、アッパーは空中でエネミーの死体を集め、そしてそれをイスのいる展望台に向かって蹴ったのだ。
イスに向かってエネミーの塊が飛んでいく。
そのままであればその塊の質量によってイスの体は押し潰されるのだが、アッパーが絶妙にエネミーの塊が途中で解けるように計算し、それによってイスへと直撃する事態は避けた。
《〜♪ ――……!? きゃあ!!》
だが解けたエネミーの塊はイスがいる展望台周辺に激突し、その衝撃で手すりの上で器用に立っていたイスは悲鳴を上げて地面に落ちた。
これでエネミーの輸出もイスの歌も止まった。
しかしこれがいつ再開されるのかは分からないため、根本的な問題は解決していない。
だがその前にと、地面に降り立ったアッパーはコウに向かって近づいた。
「コウ、お前は早くここの住民と一緒に避難してくれ!」
そのアッパーの声に、先ほどから呆然としていたコウは我に返った。
「……あ、あぁ分かった」
「よし! それじゃ頼んだぞ!」
その瞬間、アッパーは空間転移の反応を感知した。
空を見上げると、そこには先ほどと同じようにディメンジョンが空間を作ってそこからエネミーを降り注ぎ始めていた光景があった。
「またか……ッ!」
そう言ってアッパーは再び空に向かって跳躍した。
それを呆然と見送ったコウは、歯噛みしながらアッパーの姿を見てアッパーの言う通りに天つ名町の住民に避難の呼び掛けをするために走り出した。
(広樹……お前こんなことやってたのかよ)
久しぶりに再会した親友は化け物と戦っていた。
一体何がどうなっているのかは分からないし、どうしてアッパーが化け物と渡り合えるほどの力を持っているのかは分からない。
だがアッパーのやっていることは昔と変わらずに人を救うためにやっていることだっていうのは分かった。
「ここは危険です! はやく避難してください!」
しかしコウの内心は先ほどアッパーと再会した直後の物より暗かった。
(あぁ確かに、俺はお前の足手纏いになるな)
住民に避難の呼び掛けをしながら、コウは内心そう考える。
アッパーが能力を持つ前はちゃんとアッパーを助けることができたが、今では確実にアッパーとあの化け物との戦いに入ることはできない。
だがそれでもコウはアッパーの助けとなりたかった。
思い出すのは弱い者いじめをしている不良に立ち向かって行ったアッパーは、怪我をしながらも不良を打ちのめし、いじめられっ子を助けた。
いつもの光景、いつもの日常。
怪我をし、傷つけながらも、アッパーは人助けを止めない。
アッパーが人を助ける度にアッパーを頼る人々が増えていくが誰もアッパーを助けない、助けられない。
(だから俺がアッパーのために人を助ける)
これがコウがアッパーと一緒に人を助ける理由だ。
だがそれも、アッパーとコウの住む世界が違うようになったせいでアッパーの助けになることはできなくなった。
「クソ……」
あまりの悔しさにそう吐き捨て、拳を強く握りしめる。
そんなコウの視界に、落下の衝撃で死体になったはずのエネミーが動くのが見えた。
「な、何だ?」
「ギャ……ギャギャ……」
コウは知らないがモブクラスエネミーのゴブリンと呼ばれる化け物だ。
どうやら落下する前に先に死体と化していた仲間がクッションになったお陰で辛うじて生きていた様子である。
「ッ!?」
異形の化け物が自身の目の前にいることに恐怖を抱くコウ。
確かに目の前の化け物は仲間のクッションで落下の衝撃を和らげていたようではあるが、それでも衝撃を完全に受け流すことはできず、瀕死の状態だ。
だがその化け物のコウを見る目が殺意に満ち溢れており、その化け物の殺意にコウが当てられたのだ。
「ギ、ギャギャギャギャ――グギャ」
這いずりながら自身に向かってくるゴブリンにコウは足をすくめて目を閉じた。
だがその途中で押し潰されたかのような悲鳴を上げて、先ほどまで上げていた声が聞こえなくなる。
その異常に違和感を覚えたコウは、恐る恐る目を開けるとそこにはゴブリンを落下で潰したアッパーの姿があった。
「大丈夫か!」
「あ、あぁありがとう……」
心配をするアッパーにコウは礼を言った。
だがその直後に何かを空から感じ取ったアッパーは勢いよく空を見上げる。
それにつられてコウも上を見上げると、そこにはアッパーに向かって落ちてくる片方の腕が巨大な剣になっていた無貌の巨人の光景があった。
「ひ、広樹!」
逃げろと叫ぶコウ。
だがこのような事態でもアッパーは冷静であり、落ちてくるクライシスクラスのジャイアントマーダーを迎撃するために足に力を込める。
◇
そして同時刻。
アッパーが蹴ったエネミーの塊から復帰したイスが、再び手すりの上に立って笑みを浮かべていた。
「あーもーライブ中に干渉するのは良くないなぁ。なら貴方にだけ私の響きを聞かせてあげる!」
息を吸い、そして口を開けた。
――フルコーラス・フォルテッシモ。
その瞬間、イスの声から放たれる彼女が現状出せる全ての『声』がアッパーに襲い掛かる。
◇
「ぐぅ!?」
突如アッパーの耳に襲い掛かるイスの増強した音によってアッパーは体勢を崩し、地面に足をついた。
まさか『全力強化』状態のアッパーでさえもダメージを与えられるほどの威力をイスが出せることにアッパーの様子を見ていたクロノスが驚く。
(まだ、挽回はできる)
その一瞬の隙は本来ならば致命的なものであるのだが、それでもアッパーは挽回できる隙だ。
だがそれを知らないコウは、体勢を崩して隙を見せたアッパーに絶望を抱いた。
助けたい。
しかしそのための力がコウにはない。
(どうすればいいんだ……俺はどうすればいい!?)
ふと、本能のままに手を伸ばす。
それが、コウのこれからの人生を左右した。
コウが手を伸ばした先はアッパーに向かって落ちてくるジャイアントマーダー。
その瞬間、コウの手のひらから線状の光が放たれ、ジャイアントマーダーの体を消滅させたのだ。
『……え?』
その光景に、コウとアッパーが呆然としたように呟いた。




