前編
一応爽やかな話のつもりで書いていますが、主人公が暗くてひねくれているので、ドロドロした箇所も多々あります。暴力表現も少々。
壁にかかった時計の音は、規則正しく、世界から時間を奪う。
机からつまみ上げたガラス片は蛍光灯の光を浴びて、星のように輝いている。その破片に息を吹きかけ、二、三度布で磨いたあと、アクリルケースにそっと入れる。すると、ガラス同士が小さな音を立てた。
ケースの中にはガラス片の他に、ビーズや細い針、おはじきなどが入っている。一つ一つ丁寧に磨かれたそれらは、一つの例外もなく色とりどりにきらめいている。思わずオレは手を止めて、少しの間その光景に見とれていた。
……駄目だ、惚けている暇はない。もうすぐ完成なんだから。
気を取り直し、ズレたメガネをかけ直す。もう一つガラス片を手に取った時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。返事をするどころか、振り向く間もなくドアが開く。この家にプライバシーなんてものは存在しない。
「瞭介」
無機質な声が、容赦なく鼓膜を叩く。
「……何、母さん」
ガラス片をそっと布に包み、机に置く。ため息が漏れないよう、オレはぎゅっと口を閉じた。
「まだ起きてるの。早く寝なさい、明日は始業式でしょ」
怒気のまとわりついた固い声は、オレの胸の奥をざわつかせる。
「分かった。もう寝るよ」
そう言って、椅子から立ち上がった。母の横をすり抜け、歯を磨きに洗面所へと足を向かわせる。ドアノブに手をかけた時、背中に冷たい声がぶつけられた。
「まだこんなことしてるの。万華鏡作りなんて」
「…………」
開きかけた口を、縫い合わせるように固く引き結ぶ。
「そんなことしてるから、成績が下がるのよ。こないだだって……」
「おやすみ、母さん」
それ以上言葉が鋭さを帯びる前に、部屋の外に体を滑り込ませ、ドアを閉める。そのまま足早に洗面所へ向かった。
洗面所の鏡の前に立ち、歯磨き粉をつけた歯ブラシを口に突っ込む。雑念を振り払うように、歯を磨く手を忙しく動かしていると、廊下の方でドアの閉まる音がした。部屋から出てきたのだろう足音は、階段を下りていく。それに安堵した自分がどうにも嫌になった。
口をすすぐのもそこそこに、自室に戻ることにする。
廊下を歩いていると、自室までの道のりの途中にある扉が目に留まった。目に留めてしまった。
誰もいなくなったその部屋の扉を見るだけで、どうしようもない苛立ちに胸の内をひっかきまわされる。
地団太を踏むように床を鳴らしながら、自室にたどり着く。中に入って机の上を見ると、完成間近の万華鏡、それらのパーツの上に、何か紙がかぶせられている。見ると、それは夕食の時に母さんに渡したテストの答案だった。でかでかと書かれた「九十六点」の赤が、嫌みったらしくこちらを見つめている。
「……壊されないだけ、まだマシなんだろうな」
上げたつもりの笑い声は、我ながら、ただのため息にしか聞こえなかった。
この家の空気は昔よりもずっとずっと、息苦しくなってしまった。
五年前、「アイツ」が家を出てってからは。
◇
結局昨日はあまり寝つけなかった。ここのところ、ずっとそうだ。
久々に生徒を飲み込んだ教室は、ガヤガヤとやかましい。皆、口々に、元気だった? だとか、今日から学校とかだりぃわーだとか、休み明けの常套句を吐き出している。
まあ、春休み中も塾漬けだったオレには関係のない話だ。
今日から本格的に受験生なのだから、今まで以上に気を引きしめなきゃな。
耳障りな喧騒をリスニングのCDでシャットアウトし、英語の長文問題に目を落としていると、しばらくして教室に先生が一人、入ってきたようだ。見たことはあるけれど、名前は知らない。その先生がA4サイズくらいの紙を二枚、黒板のど真ん中に貼り出した。おそらく、新しいクラスの割り当てと座席表だろう。
「ほい、自分のクラスを確認して移動ー」
気だるそうだがよく通る声で先生が言う。それまでたわいない世間話をしていたクラスメイトたち、いや、元クラスメイトか、は火事場の野次馬のように黒板に吸い寄せられていく。話す題材を、休み中の出来事からクラス替えのことに転換しながら。
今さら見るまでもないが、一応確認しておくか。団子のように固まった人混みが解けるのを待ち、隙間からクラスの割り当て表を見た。
三年七組。
名簿のオレの欄には、予想通りのクラスが割り当てられていた。
それを見てすぐに、七組の教室に移動する。
――三年七組、通称「ダッシュ」。
この学校では、理系の最後のクラスであるこの七組に、成績上位者や難関大志望の生徒が集められるのだ。
その教室に一歩足を踏み入れると、先程のクラスとは全く違った空気が全身を刺した。
静寂、とまではいかないが、他のクラスのやかましい雰囲気から隔絶された空間。まだ半分ぐらいの生徒は前の教室から移ってきていないようで、空席が目立つ。しかし、席に着いているほとんどの生徒は何かしらの参考書、あるいは文庫本に目を落とし、ごく一部の生徒たちが声をひそめて笑い合っている。張り詰めた雰囲気が、ちりちりと頬を焼いているみたいだ。
ここがオレと一年を共にするクラスか。別段、感慨深くもない。三年のクラスなんて、ある程度落ち着いて勉強ができさえすればいい。
それにおいては、まさにこのクラスは最高と言えるだろう。充分すぎるくらいだ。
黒板に貼ってある座席表に従って席を探す。出席番号は十八番。一番後ろの席だ。
席に着き、参考書を眺めていると、続々と新しいクラスメイトたちの椅子を引く音がする。そいつらも、座ってすぐに何かのページをめくり始める。いつの間にか、声をひそめていた奴らも談笑をやめていた。耳に届くのは、ページをめくる音とシャーペンを走らせる音、あとは外から漏れる微かな話し声だけ。
「そろそろ体育館に移動してくださーい」
怖いくらいの沈黙を破ったのは、女子生徒の声だった。たぶん、先生に伝言を頼まれた他のクラスの人だろう。
始業式のために、あちこちから椅子を引き立ち上がる音がする。胸ポケットに入っている英単語帳を確認し、オレも席を立った。単語帳は小さいから、式の間に勉強していても先生たちにはバレにくい。抜かりなしだ。
体育館に向かう人混みの中には、プリントの二、三枚綴りを持っている奴もいる。プリントはかなり目立つだろうに、きっと塾でのテスト範囲か何かなんだろう。どいつもこいつも切羽詰まってんなと、自分のことを棚に上げて嘲笑った。
体育館に着き、クラスごとに出席番号順に並んで座る。座った瞬間に、周りの何人かが単語帳やらプリントやら、それぞれの勉強道具を食い入るように見つめ始める。
しかし、それもどうやらうちのクラスの人間だけのようだ。他のクラスは皆、雑談したり、どつきあったりして笑っている。改めて「ダッシュクラス」の異常さにゾッとした。まぁ、オレもそのクラスの一員、同類ではあるのだが。
――しょうがないじゃないか。勉強しなければ、時間を惜しんで勉強しなければ。親の期待に応えられない。そうなったら、オレも「アイツ」の仲間入りだ。
もう幾度となく見た単語を頭の中で反芻していると、式の始まる合図があった。形だけの起立礼をして、また座り込む。どうせあるのは校長だか、生徒指導の先生だかの薄っぺらいご指導ご鞭撻だ。
案の定、耳に入ってくる言葉の断片は、「夢に向かって頑張って」だとか、「気を引きしめて」だとか、実のない忠告だ。夢に向かって? くっだらねえ。
早く終わらないかと思いながら、単語確認に精を出す。そのうちに新しい先生たちの紹介に移っていたようだ。
「次は、今年教師になったばかりの、吉川秀明先生です。先生には二年と三年の数学を担当してもらいます」
よりによって数学担当が、新任の教師か。教え方がうまいといいんだが……。
いや、まぁ最悪ド下手でも別にいいか。自分で勉強して、分からないところは塾でも何でも、ベテランの先生に訊けばいい。
「では吉川先生、自己紹介お願いします」
「はい」
上機嫌そうに跳ねた、軽い声が耳に届く。その声に、何か引っかかるものを感じた。
「えーただ今ご紹介に預かりました、吉川秀明と申します……」
少し高めの、演技がかった声。前にどこかで、聞いたことのあるような声。いったいどこで聞いたのだろうか……。
手元の単語帳から顔を上げて、視線を壇上の人物へと移す。その教師の顔を、認識する。
ソイツが誰なのかを理解した瞬間、全身が凍りついた。
硬直した指から滑り落ちた単語帳が、乾いた音を立てて床に落ちる。その音で我に返った。
「まだ教師になったばかりで不慣れな点も多いですが、生徒である皆さんにいろいろなことを、教わりたいと思います」
床に落ちた単語帳を拾いながら、もう一度顔を上げる。自分の首が、古い機械人形のように軋むのを感じた。
そこにいたのは紛れもなく、オレの兄。
五年前に家を出た「アイツ」が、ステージでマイクを握っていた。
何かの間違いだと思いたかった。
だが、見間違うはずもない。外側に向かって跳ねまくった短髪。メガネの奥で細められた、キツネのような目。口角を無理やり斜め上に引き伸ばしたような、うさんくさい笑み。
他人の空似であるわけがなかった。
それからの式の内容は覚えていない。絶えず頭の中を襲う鐘の音のような衝撃に思考が遮られ、目線はただ単語帳のアルファベットを追っている。脳内の鐘の音を消すように、ただの文字の羅列に一心不乱にすがりついた。
そうしていると、閉式の号令がかけられた。ふらつく体を奮い立たせ、なんとか号令に従う。
号令が終わると一拍置いて、わっと体育館中に私語が飛び交う。司会の先生からの何でもない伝達事項が終わると、体育館はぞろぞろと生徒たちを吐き出し始めた。やっと、終わった。
「おい、関田」
立ち上がり、人の波に混ざろうとしたところで、オレを呼ぶ声に振り返る。声の主は、二年の時の担任だった。
「は……はい?」
瞬間、何か悪いことをしたかと思考を巡らせる。式中に単語帳を見ていたのがバレたのか?
「さっき、七組の生徒にお前の様子がおかしいと言われてな」
……なんだ、そんなことか。あいにく、寝不足以外に身体的な問題はない。この頭痛も、めまいも、体調のせいではないことは分かりきっている。
「気分が悪いのか? 真っ青だぞ」
「いえ……大丈夫です」
そう答えると、元担任は首をひねった。そんなにオレはひどい顔をしているのだろうか。
「しんどかったら、無理しないで保健室に行くんだぞ」
「はい、ありがとう……ございます」
軽くお辞儀をして、出口へ向かう。早く教室に戻らないと、その場に座り込んでしまいそうだった。
足早に、体育館を出た。早く席に着いて休みたいのに、人混みはまるで凪いだ海のように、ゆっくりと進んでいく。どこにもぶつけられないイライラが喉の奥で暴れ回る。横を歩く女子たちの甲高い喋り声が、煩くて仕方がない。聞きたくもないのに、声がでかいせいで会話がはっきり聞こえてしまう。
「ねぇねぇ、あの新しい先生ちょっとカッコよくなかった?」
「ああ、あの吉川先生?」
「そうそう! あの先生が数学担当だといいなぁ~」
……今すぐその辺のものを壊してストレス解消をしたくなった。
クソ! まさかまたアイツのせいで顔面格差の屈辱を味わうことになるとは思わなかった!
なんとか七組の教室にたどり着いて、すぐに自分の席に座った。そのまま机に突っ伏し、感情の整理を試みる。目を閉じて、呼吸を整えていたら、少しは落ち着くんじゃないかと期待して。
思惑通り、少し落ち着いてきたところで、担任と副担任であろう先生が二人、入ってきた。一人はまったく見覚えがなかったが、もう一人の方には見覚えがある。特に悪い評判を聞いた覚えのない先生だ。……特別いい評判も聞いたことはないが。確か担当は生物だった。
「はい、じゃ、君号令かけてー」
先生の片方が一番前の席の男子に合図を頼む。号令のあと、先生の自己紹介が始まった。それによると、見覚えのある方が担任で、見覚えのない方は新しく赴任してきた先生だそうだ。担当は現社。どうりで見たことないはずだ。まぁ何はともあれ、副担任がアイツじゃなくてよかったと安堵する。そんな運命のイタズラは御免だ。
先生二人の自己紹介が終わると、今度は生徒の方の自己紹介だ。めんどくさいが、担任副担任からしてみれば重要なのだろう。名前を覚えたり、大体どんな生徒なのかを知ったり。
しばらくして、自分の番が回ってきた。席を立って、話し始める。
「関田瞭介です。趣味は読書。一年間、よろしくお願いします」
そう言って、頭を下げる。戸惑いながら拍手を送る、二人の先生と一部の生徒の目が「それだけ?」と言っていたが、別段他に言うこともない。
読書以外で唯一の趣味である万華鏡作りは、中学の自己紹介の時に話したら、カッコつけとか女みたいだとか散々言われてもう懲りた。もう誰にだって話すもんか。
そのまま、何事もなく最後の四十番まで紹介が終わった。その次は教科書やら名簿やら、模試の予定やらの配布だ。
「はい、次渡すのは前期の時間割表です。明日から授業始まるから、ちゃんと確認しといてねー」
時間割表。その言葉を聞いて、落ち着いていた心臓がまた、音を立てて跳ね始める。そうだ、副担任は違っても、数学の担当がアイツの可能性だってある。
しかしよくよく考えてみれば、いくら三年の数学担当と言ったって、三年の全クラスを担当するわけじゃない。せいぜい二クラスか三クラスだろう。それに、新任なんだから、きっとオレのクラスじゃない。そうだろう。そうであってくれ……。
しかし、どうやらその祈りが、「運命のイタズラ」ってやつの引き金だったようだ。
数学Cの担当教師の欄に、一つの例外もなく書かれた「吉川」の文字が、現実を見ろよと嗤った気がした。
◇
あの悪夢のような出来事から、一日経った。今日もまた睡眠時間は足りてない。
よりにもよって、新学期初の授業日、今日の三時間目は数学Cだ。運命の神様は、何が何でもオレとアイツを早く会わせたいらしい。
何の覚悟もできないまま、無情にもチャイムは鳴る。だが、鳴り終わってもアイツは来ない。時計の秒針が三周しても、現れない。このままずっと来なければいいと思った。
「いやー遅れてごめん! 学年主任の先生に呼ばれてましてー」
本来の時間から五分ほど経ったところで、能天気な声とともにアイツが姿を現した。どたどたと遠慮なく教壇に上がって、またあのうさんくさい笑みを浮かべる。
昨日遠目でアイツを見た時は、もしかしたら同名のよく似た人なんじゃないか、という淡い期待をまだ捨て切れずにいた。秀明、なんてよくある名前だし。
しかし、この狭い教室だ。いくらオレが後ろの席とはいえ、アイツの顔がよく見える。笑った時の目も、口元も、つまみ上げたように少し上向きの鼻も、むかつくほど記憶の中のアイツと一緒だ。認めざるを得ない。
「はいっ、じゃ、学級委員さん? 号令かけてくださーい」
学級委員の号令で、席を立つ。礼をする直前、アイツと目が合った気がして、慌てて目をそらした。
「はいっ、今日から一年間、数学のCを教えさせてもらう吉川といいますー。ヨッシーでも秀明先生でも好きに呼んでくださいねー☆」
危うくぶっとばすぞと口に出しそうになった。五年経って、少しは落ち着いたかと思ったが、そんなことはない、アイツはアイツだった。
「じゃあ俺、みんなの名前を覚えるためにも、出席番号順に呼んでいくから返事してくださーい」
担任でもないのに、覚える必要なんかないだろ。この無駄な馴れ馴れしさが、今も昔も大嫌いだった。
自分の番号が近づくたびに、アイツに対する苛立ちが、膨れ上がっていくのを感じる。
「えっと次はー、関田、瞭介!」
ついにアイツがオレの名前を呼ぶ。心臓が握りつぶされるような心地がした。
「はい」
できるだけ平静を装って、返事をする。いつものクセで教壇の方を見ると、今度ははっきりアイツと目が合った。アイツの両目がオレを見ていた。背中を冷たい汗が流れていく。
しかし、そんなオレをよそに、アイツは何も言わず、緩やかにオレから視線を外した。そして、貼りつけた笑みを少しも崩すことなく次の生徒の名前を呼ぶ。
「次、芹沢慶子さん!」
「はい」
そのあとも何の淀みもなく、アイツは生徒の名前と顔を確認する。
もしかして……気づいて、ないのか?
五年も経っていれば、あっちはほとんど変わってなくても、オレの方は成長している。いや、いくら見た目が変わったとしても、名前はどうだ。アイツは婿養子にでもなったのか名字が変わっているが、オレの方は変わっていない。というか、変わるはずがない。
アイツは五年前、あの家に関する一切の記憶を、頭の奥底にしまい込んだのだろうか。それとも本当に、きれいさっぱり忘れてしまったのだろうか。
オレのことも。
思わずシャーペンを持つ手に力を込める。もしオレに並外れた握力があったなら、シャーペンを真っ二つにへし折っていたかもしれない。
「はいっ、じゃあ皆、これから一年間よろしくお願いしまっす!」
どうやら最後の生徒の確認が終わったようだ。控えめなよろしくお願いします、が教室のあちこちから飛ぶ。
「じゃ、早速授業を始めるんだが、その前に皆に言っておきたいことがある」
そう言ってアイツは、急に声のトーンを落とした。やめてくれ、どうせロクなことじゃないんだろ。
「新卒が何を偉そうに、と思われるかもしれないが、難関大を狙う皆に俺からのアドバイスだ」
アンタにアドバイスされる筋合いはない。
どうしたってこれから一年間はアイツの授業を受けるのだから、慣れなきゃいけないのは分かってる。なのに、胸に渦巻くアイツへの不満が止まらない。表に出さないようにするのが精一杯だ。
「勉強は大事だ、大いにするといい。でも、勉強のためにすべてを犠牲にするのは違う」
アイツはなぜか少し寂しそうにしながら、ご高説を垂れている。
「どうせ社会に出たら、勉強のできるできないは関係ないんだ。勉強ができるからって仕事ができるわけじゃない。それに、勉強しかできない奴は、社会ではつまらない奴って烙印を押されてしまう」
やめろ。それ以上言うんじゃない。
「全部失くしてから、後悔しても遅いんだぞ」
……全部失くして? どのツラさげて、そんなこと言ってんだ。
自由も、夢も、主体性も。
全部全部、アンタが出てってから、オレが失くしたものだ。
オレから全部を奪っていったのは、アンタじゃないか。
何かが切れた、音がした。
気がつくとオレはカバンを引っ掴んで、教室を飛び出していた。声にならない声で叫びながら。
「関田!?」
アイツの驚いた声が背中を刺す。
何が関田だ。自分だって、関田じゃないか。
関田だったじゃないか。
階段を駆け下り、校舎を飛び出し、校門へと向かう。反射的に持ってきてしまった学生カバンの金具が、ガチャガチャと煩い。こんな時でさえ、バカの一つ覚えみたいに勉強道具を離さない自分に、ほとほと嫌気がさした。
行く当てはない。行きたい所さえない。ただ、学校と家には戻りたくなかった。
どこでもいい、どこか遠くへ行きたい。
日頃の運動不足がたたって、息が止まりそうになる。
酸欠で何も考えられない。
だけど、それでいい。今は何も考えたくない。
校門を出てからそれほど経っていないのに、肺が空気を取り込むたびにズキズキ痛む。頭も痛い。
その痛みが、オレには何もできやしないと言っている気がした。
「……ちくしょう」
荒い息とともに吐いた悪態は、かすれて自分の耳にさえ届かなかった。